2018年11月20日火曜日

12/1-2 精神病理の形而上学

今週末の質的心理学会もまだ終わっていないのですが、その次の週、12月1日・2日に、以下のイベントがあります。
 

先の7月に『精神病理の形而上学』という訳書が刊行されたのですが、その著者のピーター・ザッカー氏を招聘して二日間のシンポジウムを行うそうです。私も二日目に登壇してお話します。同書はなかなか興味深くて、精神科疾患について、いわゆる本質主義の立場でもなく、社会構成主義の立場でもなく、プラグマティズムの立場から哲学的な考察を深めようとしています。著作はややとっつきにくい感があるので、本人の講演を聞いてみると面白いかもしれません。場所は両日とも駒場18号館4F、コラボレーションルーム2です。
 
 

2018年11月14日水曜日

QOLを考える

少し前になりますが、11月1日号の東海大学新聞に記事を掲載していただきました。掲載していただいた、といいますかQOLについて夏頃に原稿依頼があったので、これも貴重な機会かなと思って寄稿しました。お題はQOLです。
 

「知の架け橋」というシリーズ記事で、今年は大学新聞に2ヶ月に1回のペースで「「QOL」を考える」というコラムが設定されています。ウェブ版の大学新聞でも同じ記事が収録されると思いますが、ちょうど来週の質的心理学会で議論するナラティヴの問題に絡めて書いたので、ここにも掲載しておきます。
 
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QOL。もちろんQuality of Lifeの略である。「生活の質」と訳される現代の重要なキーワードのひとつで、本学もまた「人々のQOL向上に資する大学」を目指している。もともと、英語の「Life」は生活、生命、人生など幅のある意味を持つ言葉なので、QOLという概念もそれが用いられる文脈に応じて多様な含意を持つ。ここでは、研究者としての筆者の立ち位置から見えるQOLのひとつの側面について、思うところを手短に述べてみる。

もともとQOLが論じられるようになった社会的背景のひとつに、医療現場の問題がある。20世紀後半は生命科学と医療技術が急速に発展し、先進国では人々の平均寿命が大幅に伸びただけでなく、がんのような難治性の疾患においても患者の生存率は着実に向上するようになった。単純に言うと、人々が生きていられる時間はそれだけ長くなったのである。このこと自体は喜ばしいが、問題は、生きている時間が長くなっても、その中身が豊かになっているとは必ずしも言えない場合もある、ということにある。だから、生きている時間の「質(quality)」が問われることになったのだ。

全身にチューブやセンサーが取り付けられ、意識不明の状態で延命が続いている重症患者を、その見た目から「スパゲティ症候群」と呼ぶことがある。このような状態でも家族は生きていて欲しいと願うかもしれないが、患者本人には生きていることの充実感を得るのは難しいだろう。生きている時間の量と質がこれほどくっきり分離して現れる状態は他にない。たんに生存が保たれている状態と、その人の生命や生活や人生が充実している状態を区別する何か、それがここで問われている「質」に他ならない。

じつは、QOLをめぐる議論が医療現場から一般社会へと広まりつつあった1980年代、心理学の世界では違った文脈で「質」が問われるようになっていた。数量化して測定できるデータをもとに人間の行動を解明することを心理学は伝統的に重視してきた(そして現在もそうである)が、数量化できない人間の主観的経験を解明しようとする「質的研究」と呼ばれる方法が勢いを持つようになったのである。質的研究にもいろいろな立場があるが、本人がみずからの経験について語る言葉をデータとして重視する傾向は共通している。とくに、重要な出来事や人生についての本人による語りは「ナラティヴ(narrative)」と呼ばれる。

たんに生きている状態と、本人がそこに何らかの積極的な意義を感じつつ生きている状態の違いを考えるうえで、ナラティヴは重要な観点を提供してくれる。フランスの哲学者リクール(1913-2005)も述べているが、人はみずからの人生を物語ることで、自己アイデンティティを見出す生き物だからである。あなたは、自分の人生について友人に語って聞かせるとしたら、どんな物語にして語るだろう。今まで生きてきた時間をどのように振り返り、今から生きる時間をどのように展望するだろう。きっとその物語は、あなた自身にとってQOLを考える大事な入口なのである。
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QOLはいろんな角度から論じることができそうですが、こうしてみるとナラティヴもQOLを考えるうえで意外に重要な切り口になりうることがわかっていただけるのではないでしょうか。
 

 

2018年11月11日日曜日

11/25 質的心理学会シンポジウム

ちょうど2週間後ですが、こういうシンポジウムに登壇します。

日本質的心理学会・第15回大会
11月24〜25日@名桜大学

シンポジウム「ナラティヴを通した他者理解―聞き手の視点と感性に注目しながら」
- 企画・司会:植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
- 話題提供者:田中彰吾(東海大学),植田嘉好子(川崎医療福祉大学),能智正博(東京大学)
- 指定討論者:西研(東京医科大学)

 企画趣旨
 ナラティヴは生の出来事についての語りや物語を指し、心理、福祉、医療などの質的研究における重要な手がかりとされてきた。ブルーナーは人間の思考様式を「論理-科学的様式」と「物語的様式」とに分類し、人々の生活の社会文化的次元や個人的豊かさを理解するうえで「物語的様式」の重要性を強調した。また医療では科学的根拠を重視するエヴィデンス・ベイスト・メディスンに対して、患者の語りや対話に基づくナラティヴ・ベイスト・メディスンが提唱されている。
 ただ、こうしたナラティヴは真空のなかに生まれるものではなく、インタビュー等の対話のなかで生じるものであり、あるいはそのようななかで聞き手によって聞き取られるものである。患者やクライエントの語りを、あるいは語られないナラティヴを、他者である私たち研究者はどのように理解し、妥当な研究データとして活用することができるのか。
私たちはこれまでにも学会の場で「ナラティヴ・セルフ」について議論してきたが、前回の議論では、次のようなテーマが浮かび上がっている。
  ①ナラティヴにおける情動や欲望の次元、
  ②語り手と聞き手の関係や相互作用、および聞き手の感性の問題、
  ③ナラティヴ分析におけるパースペクティヴと妥当性の課題
 ナラティヴを用いる実践や研究では、クライエントや研究協力者等の「他者」に対する理解が前提であり重要な目的でもある。しかしそれがどのように聞き手において実現され、第三者へと普遍化されるのか。本シンポジウムでは、上記のテーマを意識しながら田中、植田、能智が話題提供を行い、それを踏まえて現象学者の西が指定討論を行って、人間的な経験の本質に迫るルートとしてのナラティヴに関する議論を深めていきたいと考えている。
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このメンバーでシンポジウムを組むのは2回目で、昨年8月の国際理論心理学会でのシンポジウム以来になります。もっと遡ると発端は2016年7月にエンボディードアプローチ研究会で開催した「人間科学と現象学―他者の経験にアプローチする」にあります。現象学を人間科学に応用するさいには、そもそも研究者がインタビュー対象者をどのように理解できるのかが問題になります。そのとき、インタビューの聴き手と語り手の関係性に依存する次元を超えて相手を理解するには、語り手の表面的なナラティヴを超えて、ナラティヴによって構成されているアイデンティティの次元にまで迫る必要があるんじゃないか、という議論になったのでした。今回の企画も、こうした議論の延長にあります。

今回は会場が沖縄県名護市の名桜大学になります。沖縄に行くのは10年以上ぶりなので、ランドスケープの変化を目にするのも楽しみにしています。

 

2018年11月8日木曜日

10月の備忘録

前回の投稿からちょうど1ヶ月。ブログを更新できないまま場当たり的に仕事をやっつけ続ける日々が続いています。以下、とりあえずこの間にこなした仕事を備忘録として書いておきます。
 
・駒場で「学際科学概論」の講義:105分の講義を連続2コマで、終わったら声がかすれました。が、自身の研究に深くかかわる内容を講義できるいい機会でした。
・科研費の申請書作成:手元にリサイクルできる企画があったので、計画調書としてリライトして提出しました。枠が挑戦的研究なので、まあ、採択されないと思いますが。
・医学部の学士編入生を相手に「現代文明論」の講義:3年ぶりに担当したので思い切って内容を変えて「心の病は実在するか?」というタイトルにしました。精神医学の哲学がらみの講義。講義につづく学生のディスカッションでは、精神障害の命名と診断をめぐって、なかなか味わい深い意見が多々出ていました。
・身体図式と身体イメージに関する展望論文:自他研の面々で書いた論文のとりまとめ作業…作業が遅れてみんなに迷惑をかけていたのですが、ようやくエディット終了。
・リハビリテーション関連の議論:小脳病変に由来する運動障害の理学療法を専門としている菊地豊先生とディープな議論。小脳変性症の当事者の映像をいくつか拝見しましたが、触発されて考えることが多々ありました。今後も、運動障害と運動学習について、時間をかけて議論を深めていくことになりそうです。
・国際シンポジウムの準備:毎年3月にデンマークの東海大学ヨーロッパ学術センターで開催しているシンポジウムの事務的な準備がようやく始まりました。
・準備中の単著の執筆:進捗はまあまあです。
・フックス本の読書会:毎回議論が盛り上がるのでなかなか進みませんが、3章まで読み終わりました。

あれこれ迫り来る主任のお仕事(こちらは「お仕事」であって本来の「仕事」ではありません)の合間にこれだけ研究を進めたので、よしとします。