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2017年7月22日土曜日

国際理論心理学会での企画2

※8/5記:大会プログラムに変更があり、この企画は8月25日、13:30-15:00に変更になりました。
 
 
前記事への追加です。
国際理論心理学会(1STP 2017)、8/24日午後にはこんなワークショップがあります。

8/24 15:30-17:00 
8/25 13:30-15:00  Room A302
[Workshop 3]
  Alternative concepts of self, body and mind from contemporary Japanese perspectives
[Organizer]
  Tetsuya Kono (Rikkyo University)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
[Presenter]
  Tetsuya Kono (Rikkyo University)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
  Takayuki Ito (International Research Center for Japanese Studies)
  Yu Inutsuka (The University of Tokyo)
 
この企画は、現代(に必ずしも限りませんが)日本のパースペクティヴからオルタナティブな「自己」と「心身論」を議論する趣旨のものです。河野先生、伊東先生とは2015年の京都カンファレンス、2016年の国際心理学会議と、2年続きでアジア的な心身観から自己をとらえなおす議論を続けているので、これが3回目になります。
 
近代的な「自己」のとらえかたは、そのベースに独特の心身の見方(二元論)を持っていて、それが個人主義的な発想や独我論的な心観と緊密に連動しています。しかも、こうした観点は心理学の根っこにある仮説的な見方にもなっています。では、日本的な、あるいは東アジア的な観点を取ることで、こうした自己の見方を刷新できるのでしょうか。また、そうだとして、それは現代の心の見方にどのような貢献をなしうるのでしょうか。こういった論点を考えるワークショップです。
 

 

2017年7月6日木曜日

第80回心の科学の基礎論研究会

MLで告知が回っていますので、以下に同じ案内を貼り付けておきます。いずれの発表も、文字通り「心の科学の基礎論」をめぐる重要な講演になるものと思われます。例によって田中は帰国前なので参加できませんが…


 

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「心の科学の基礎論」研究会( 第80回)のご案内
表記の研究会を下記の通り開催いたします。奮ってご参加下さい。

【日時】2017/7/22(土) 午後1:30~5:30(午後1時開場)
【場所】明治大学駿河台キャンパス研究棟2階第8会議室
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html

・趣旨 本研究会も80回目(21年目)を迎え、かつオープンアクセスジャーナル「こころの科学とエピステモロジー」創刊を来年に控え、特集「心理学のエピステモロジー」と銘打って以下の企画を行います。
・司会 渡辺恒夫(東邦大学/心理学・現象学)

・講演1 加藤義信(名古屋芸術大学/発達心理学)
【題】アンリ・ワロンの発達論の独創性に学ぶ:現代発達心理学の批判的捉え直しのために
【要旨】心理学は人文・社会科学の中で最も自然科学化が進んだ領域であると見なされている。その一つの下位分野である発達心理学も例外ではない。/第一線で活躍する多くの発達研究者にとって、研究するとは、英語の学術誌に掲載された論文を読み、そこで共有されている問題意識を自らのものとした上で、「科学的」であると受容される方法の枠内でデータを収集し、それらを論文に(できれば英語で)仕上げて投稿し新知見のプライオリティ競争に参加することと、今や同義である。しかし、発達研究において、自然科学と同様のこうした学問の「制度化」、さらには「国際化」が、あたかもアメリカを中心に地球規模で成立していると、本当に考えてよいのだろうか。発達研究が当該研究者(及びその研究者の所属する階級・社会・文化)の発達観・子ども観・人間観に深く規定されて一定のバイアスのもとにしか成り立たない学問であるとすれば、この領域における「自然科学的な学問共同体」の存在を無自覚に想定するのは幻想に過ぎない。/自戒を込めて言えば、発表者がこれまで行ってきた認知発達の実験的研究も、こうした研究スタイルと無縁であったわけではない。ただ、上記のような問題意識だけは若い頃から持ち続けてきたので、一方で、今や時代遅れとみなされる20世紀前半のフランス語圏の二人の発達のグランド・セオリスト、ピアジェとワロンにずっとこだわりながら、英語圏を中心とする発達研究に欠けた視点をそこから学び取ろうとしてきた。特に最近は、ワロンの発達論に含まれる幾つかのアイデアが現代の発達心理学に新たな地平を切り開く可能性を有していることに注目してきた。今回は、この点を中心に話題提供することにしたい。

・講演2 山口裕之(徳島大学/哲学・エピステモロジー)
【題】心の科学のエピステモロジー:現代心理学が暗黙のうちに前提とするものを探る
【要旨】現代の心理学は、「心」を対象とする科学である。そこには、丸ごとの人間に介入して結果を質問票などで測るといった研究だけでなく、何か作業をしているときに使う脳の領域をfMRIなどで測定したり、神経細胞の電気的反応を調べたりといった「脳の研究」も含まれる。/しかし、そもそも「心」とは何だろうか。心理学において研究されている「知覚」「知能」「情動」「態度」などといった概念は、普遍的に妥当する概念なのであろうか。心は脳と単純に同一視してよいものであろうか。/少しばかり近代哲学を読んでみると、現代の
心理学とよく似た主題が扱われていることがすぐにわかる。知覚の研究はデカルトやロックなどに含まれているし、コンディヤックなどフランス啓蒙思想には人間の発達段階に対する体系的な考察が含まれている。しかし同時に気づくことは、そこで使われている言葉が、現代の心理学用語とは異なっていることである。mindではなくsoul(フランス語ではâme)が、emotionでなくpassionが、それぞれ一見すると前者と同じ意味で使われている。attitudeやmotivationなどという言葉は見かけず、volontéがそれらと重なりながら大幅にはみ出すような含意で使われる。intelligenceは、大文字で書けば「神」のことである。全般的に言って、当時の心(soulないしâme)の議論には、キリスト教的な色彩が濃い。/現代の心理学は、そうした近代哲学の議論を換骨奪胎することで、「科学」の一分野となったのである。そしてそのとき、「心」に対する特定の見方が、暗黙の前提として立てられることになった。今回の発表では、近代哲学から心理学へ、何が受け継がれ、何が変容したのかを考えることで、現代心理学の「暗黙の前提」を探りたい。
 
・誰でも参加できます。申し込み不要、原則無料です。
・注意!研究会はお互いに学び合う場です。自説を声高に一方的に主張し続けるような行為は迷惑行為に当たりますので御遠慮下さい。また、本研究会は哲学の研究会ではないので、こころの科学と直接関係のない哲学論議もお控え下さい。
・心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご覧下さい。
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro
・担当世話人:渡辺恒夫 東邦大学(psychotw[アットマーク]env.sci.toho-u.ac.jp


2017年4月3日月曜日

『心の科学史』とエンボディード・アプローチ

昨年秋に講談社学術文庫版で再版された高橋澪子氏の『心の科学史』を読んでいて、次のような文章に出会いました。

【自然への問いかけや仮説の検証手段としての現代的意味における実験が<心(ゼーレ)>そのものを対象にしておこなわれたことは、おそらく、かつて一度もなく、(自然科学におけるそれと同様の意味を持つ)近代的方法としての実験は、心理学にあっては、<心(ゼーレ)>そのものを追放したあとの「行動科学」においてのみ、はじめて可能となったのではないだろうか。むろん、この種の議論を(新行動主義者がしたように)”定義の問題”としてかわすことは簡単である。だが、ここでいう<心>とは、定義以前の、近代以降に生まれたわれわれの誰もが日常生活の中で”心得て”いる(暗黙のうちに了解し合っている)常識概念としての<心>、すなわち”内なる”(そして、さらにつけ加えて言えば”自律的な”)心であり、そのような<心>ないし<ゼーレ>を対象とする”実験”科学は、かつて一度も存在しなかった。】(第四章・第3節・4)

ここで著者が言っているのはこういうことです。デカルトが物心二元論によって見出したような「われ思う」を基本にする私秘的(プライベート)な領域ーー日常的な言葉で言うと「内面」のことですーーが心理学の対象である限り、それは決して実験科学の対象にはなりえない、と。内面としての心は、直接知覚できませんし、観察対象になりませんから、心を対象にする科学というのは成り立たないわけです。古くは哲学者のカントが、『自然科学の形而上学的原理』のなかで、類似する議論にもとづいて心理学が不可能だと述べています。

ただ、興味深いのは、だから心理学は実験をベースとする自然科学として成立しえないのだ、とは著者が必ずしも考えていない点です。巻末の解説で、渡辺恒夫氏もこう書いています。

【ただし著者は、行動主義やその延長にある生物学的心理学だけが唯一の科学的心理学だと言っている訳ではない。物心二元論の枠組みをもう一度認識論的に乗り越えたところに、「『科学』ではあっても、もはや『近代科学』とはその意味をまったく異にする新しい心理学」が成立しなければならないと言う。】

一体どのような心理学なんでしょうか?

著者も認めるように簡単な答えはありませんが、「心理学の哲学」「理論心理学」「心理学基礎論」などの名前で呼ばれる領域では、さまざまな議論が繰り広げられています。私自身も、認知神経科学の研究成果を現象学的な観点から理論的に整理したり、実験以前の探索的研究に質的なアプローチで迫ったり、といった仕事をしています。基本的には、デカルトまでさかのぼって身体との関係から心をとらえ直し、「心=内面」という発想を取り外すことが、最も重要なアプローチだと考えています。このページの趣旨でもある「エンボディード・アプローチ」ということになりますね。

いずれにしても、心理学はもともと、「何を心とするのか」「どのようにアプローチするのか」「他者の心は知りうるのか」といった方法論的に難しい課題を多く抱えているということです。なので、実験や臨床や質的研究に深く取り組もうとすればするほど、認識論的な根拠について考えることを求められる、ということなのです。
 

2017年1月25日水曜日

雑誌『こころの科学のエピステモロジー』

ちょっとフライング気味ですが、進行中のプロジェクトのお話。

2015年、2016年と2年続きでエンボデディード・アプローチ研究会と合同開催している研究会があります。「心の科学の基礎論」研究会です。

研究会HPの冒頭にはこう書いてあります。

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「心の科学の基礎論」研究会は、自然の科学と同様の意味で心の科学は成立しうるのか、 科学的認識の主体である人間が自らを科学的に認識するとはどういうことか、 そもそも心とは何か、等々の根源的問題を、心理学2500年の歴史と、人工知能・神経科学など 最先端科学の成果を共に踏まえて根源的・徹底的に論じ合うための場として発足した研究会です。
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崇高すぎるくらい崇高な設立趣旨ですね(笑 

まあでも真面目な話、「科学的に心をとらえる」といっても自然科学のように対象を明確に分離して観察できないので、最初から難しい論点が含まれています。だから心理学基礎論とか、「心理学の哲学」といった議論がどうしても必要なのです。私が現象学から出発して、身体との関係を考慮しながら心の問題を問うているのも、こういう事情があります。

しかも、哲学に踏み込むようなそうした科学基礎論的な議論は、先端的な研究のほうが問題になりやすいのですね。安定した研究を可能にする実験パラダイムが一度できてしまうと、現場の研究者は方法論に関する難しい議論はパスして、目先の実験条件を変えることで新しい結果を出そうとする方向に流れますから。

事情は臨床心理学でも変わりません。認知行動療法や精神分析のように安定した臨床上の技法ができてしまうと哲学的な基盤はあまり顧みられなくなりますが、そもそも目の前のクライエントの状態を理解するとはどういうことなのか、治療的介入がなぜ可能なのか、原理的に考えてみる必要はあります。

で、本題です。ここの研究会の世話人メンバー(私もその一人です)で、新しいジャーナルを立ち上げようという話になっています。『こころの科学のエピステモロジー』です。けっこうクールな誌名だと思いません?

今年は国際理論心理学会が8月に東京で開催されますし、日本でも心理学の基礎論や心理学の哲学に関心が高まる一年になると思います。

理論心理学会で発表を予定している皆さんは、ぜひ「心の科学の基礎論」研究会でも発表してください(発表者は随時募集しているので私にご相談いただければOKです)。ジャーナル紙面の一部は、研究会での発表内容を論文化したものに割く予定です。




*2017年5月27日追記
その後、多少の紆余曲折があって、ジャーナルの名前は『こころの科学とエピステモロジー』に変更になりました。「こころの科学」「エピステモロジー」の両者を結ぶ助詞が「の」から「と」になっただけですが、しかしこの一字が変わるだけで、目指すものがだいぶ変わる可能性はありそうです。