2025年12月28日日曜日

執筆中

原稿を執筆中です。

ある方面の『事典』掲載用の記事なのですが、調べものにAIがこれだけ活躍する現状では、事典の記事として何を書くべきか迷います。

一通りの内容であれば検索エンジンとAIの組み合わせで相当なことを自分で調べて学べる時代になっているので、あまりに標準的な事柄は事典の記事として書く必要性を感じないですし、だからと言って、執筆者の個性や知的背景があまり強く出てしまうような書き方だと事典としてあまり役に立たないでしょうし…(ちなみにWikipediaは執筆者の観点や政治的ポジションが強く反映されすぎていて事典としてよろしくないと感じることが多いです)。

それで思ったのは、結局のところ「行間」から記事の深みが伝わるような努力をするしかないのかな、ということです。AIが出力を得意としているのが「情報」だとすると、この情報を構成する記号は現実に接地していない以上、言ってみれば「世界」を持っていないし世界と相互作用した「経験」も持っていないわけですね。人間の書き手には身体があって、世界と相互作用した経験が備わっており、同じ記号を使いこなす際に、その記号が記号として整理する際にともなっていた豊かな文脈を身体知として保持しています。

もっとも、誰が書いてもこの「深み」が言葉になるとは限らないわけですが、だからこそ書き手は行間に深みが出るように何らかの工夫を自覚的に行う必要があると思います。ではどういう工夫をすればいいのか? わかりやすい答えに行き当たらないまま、いま記事を執筆しながら苦闘しているところです。

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