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投稿

リクール『他者のような自己自身』第8研究

あっという間に6月。来年度のカリキュラム改革準備とコロナ対応とで大学の仕事に追われているうちに5月は過ぎてしまいました。グチってる暇もなく日々が過ぎていくばかりです。こんなことばかりに追われていると自分がだんだんアホになっていくような気がするので、気を取り直して読書会の話題を。村田憲郎先生による力作の『他者のような自己自身』第8研究のレジュメをアップしました。 ポール・リクール『他者のような自己自身』第8研究 「良い生き方」という倫理的目標が、「なすべきこと」という道徳的規範のテストにかけられる、というのがざっくりとした第8研究の趣旨です。…が、うーん、この章は今まで読んできた中で一番難解でした。カントの道徳理論が主題的に取り上げられているのですが、カントそのものというよりリクールのカント解釈が延々と繰り広げられていて、門外漢の私はついていけませんでした。それでなくても日々の業務でアホになっている中で読書会に合わせて自分を学者モードに戻すのは本当に大変です。 ただ、よく理解できた(気がする)のは、カントが「自律」「目的としての人格」「定言命法」から始めて理性によって基礎づけようとした道徳が、そのままでは完結できないというか、感性や情動や受動性といった次元を巻き込まざるを得ないような穴を持っているということです。まあ、当然といえば当然のことかもしれませんが、裏を返すと、道徳的規範もまた身体的存在としての人間どうしの関係から基礎付ける必要があるということです。それは一般的な関係性の中にある道徳を考えるときには当然の問題なのですが、他者のレベルが抽象化して「制度のレベルでの正義」を考えるときにはカントのやり方とは違った難しさをともなうはずです。メルロ゠ポンティのように身体的存在から始める哲学者が、社会契約や国家についてうまく語りきれていないように見えるのも、この点に関連しているように思います。
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博士論文ってたいへん

昨年以降、大学院で博士論文の審査を引き受けるようになりました。昨年度は東海大学の同僚でもある鷹取勇希さんが文明研究専攻に提出された学位論文の主査をお受けしました。英文で300ページ近い大作で、最初から最後まで読み込むのが大変でした。もちろん書いている本人はもっと大変なのでしょうけれど、より良い論文にするために隅々まで読み込んでコメントする作業もなかなか大変でした。 どこまで改訂すれば学位に値するのかという判断をつけながら全体を読み込んで不足箇所を指摘するのは、ある意味で自分がどのような基準で学問をとらえているのかを自覚する作業でもあります。他人の学問への甘さは自分の学問への甘さであり、他人の学問への厳しさは自分の学問への厳しさでもあります。甘さと厳しさの両極のあいだで、「何が学位に値するか」を考えながら読み込むのは自分にとって新たな発見が多くありました。 また、仕事をお受けして、改めて自分の博士論文を審査した先生方も大変だったのだろうなと思いを馳せました。とくに私の博士論文はユングの共時性といういわば「鬼門」にあたるテーマを扱っていたので、なおさらだっただろうと思います。学位を取得して20年近くたって、改めて指導していただいた先生方に深く感謝した次第です。 …で、なんでこんな記事を書いているのかというと、ただいまカリフォルニアにある某大学院の学生の博士論文のexternal reviewer(学外の副査)をお受けしているからです。ちょうど明日までに全体を読み込んでコメントを返さねばならないので、昨日今日で「ボディワークにおける触れる経験」についての長大な博士論文を読んでいました。ワンテーマで書かれた200ページ以上の論文を読んでいるとさすがに頭の中がその主題一色になりますね。上がりきった脳内のボルテージを下げるために、ここに記事を書いて気分転換してみたのでした。 論文はハンズオン・ヒーリングにおける「触れる」経験を扱っているのですが、ボディワーカーにインタビューした内容を質的に分析していて、ものすごく深い内容になっています。どうやら、触れる経験というのは「気がふれる」という言い方にもあるように、狂おしいくらい深く傷つく経験をもたらす場合があるようです。ただ、その分、とても深く愛されていることを実感する癒しの経験でもあるということなんでしょうね。論文を読んで、触れるこ

「コミュニケーションの再考」記事

GWということでようやくまとめて原稿を書くモードに入っている田中ですこんにちは。以前こちらでも紹介しましたが、2月に登壇したイベントの記事がアップされたそうなのでご紹介します。 「 コミュニケーションの再考 / Frontier Session #2 」 このイベントは、オフィスデザインを手がける会社「フロンティア・コンサルティング」の社員さん向けトークセッションでした。パンデミックのためテレワークが広がり、仕事のスタイルが大きく変わりつつあります。そんな中で、オンラインとオフラインのコミュニケーションをどう考えればいいのか、身体性の観点からいろいろと話題提供しました。もちろん私も答えは持っているわけではありませんが… 当日お話したことの中には記事になっていないものも結構あったように記憶していますが、2時間弱のセッションをすべて文字化するのも難しいのでしょうね。上記リンク先はいわば当日のハイライトになっています。 当日、セッションでもご一緒した後尾志郎さんが開発された「tonari」というオンラインコミュニケーションのシステムを見学しました。フロンティアの社内に設置されているのですが、これがなかなか画期的でした。ほぼ等身大の大画面で大阪と東京のオフィスが画面を介してリアルタイムでつながっています。もちろん音声もかなり自然にやりとりできるという優れもの。上のリンク先で実際のイメージを見られます。 これだったら遠隔地の研究室と常時接続にしていろんな共同研究ができるなぁ、とうらやましくなりました。といっても、帰り際に後尾さんに導入費用をそれとなく聞いてみたら私がもらっている科研費より0の数が一個多い金額なので「やっぱダメか…」となったのですが。そのうち科研費の基盤Aとか取れるようになったらうちの研究室にもtonariを入れたいです。  

YouTubeチャンネルできました

事後報告になってすみません。先日YouTubeに研究室のチャンネルができました。 「 田中彰吾研究室 」 一昨日の4月27日から配信を始めたところです。といっても私自身は動画を編集できないので、手伝ってくれてる学生さん(吉見玲輝さん)に任せっぱなしです。効果音とかテロップはすべて彼女が入れてくれています。こういう作業を進んでやってくれる学生が周りにいる自分は恵まれてますね、ほんと。 私はというと、とりあえず頭の中にある小ネタを直前に整理してそのまんま話す、みたいな作業を今のところしています。もうちょっと準備したほうがいいのかもしれませんが、もともと著作の解説動画を撮り始めたのがきっかけだったので、今のところはほぼ準備なしです。水曜の午前中の授業が終わった後、夕方に会議が始まるまでのあいだに10分ものの動画を3本まとめて撮るみたいなやり方なので、途中にチャイムが鳴ったりして学校感満載の動画になってます(笑 ともあれ、難しくなりがちな学問のお話をとにかく一般向けにわかりやすくすることにこだわってやっていますので、いちどご覧いただけると幸いです。見ている方と一緒に作っていきたいので、よろしければコメント欄でいろいろと書き込んでください。 どうぞご愛顧のほどを。

研究者向け:ECogS 2021

前回の投稿からあいも変わらず新年度のもろもろの業務に追われている田中ですこんにちは。 今回は、身体性認知の分野に関心のある大学院生やポスドク向け情報です。沖縄にあるOIST(沖縄科学技術大学院大学)で身体性認知の国際会議が11月に予定されています。対面かオンラインか併用か、実際の運営はまだ検討中とのことですが、発表の募集が始まっています。 ECogS 2021  (International Conference on Embodied Cognitive Science 2021) Call for Proposals キーノートのメンバーがすごく豪華です(除く私)。 この面々 を見てください。これ、OISTに身体性認知の研究を牽引するトム・フロースさんがいるから実現できた企画なんだろうな。私にとっても、いろいろ話を聞いて学ばせてもらう機会になりそうです。 パンデミックが下火になれば沖縄で参加できる可能性もあるみたいなので、楽しみです。11月1日〜5日、沖縄のOISTにて。

動画を作ってみました

こんにちは。四月になって年度が変わり、あっという間に時間が過ぎていきますが皆さんお元気ですか。私もご多分にもれず毎日すごい量の仕事に追われっぱなしなのですが、その合間をぬって動画を作ってみました。 この本を書いたきっかけ   「この本」というのは拙著『生きられた〈私〉をもとめて-身体・意識・他者』(北大路書房・2017年)のことです。友人がツイッターで作ってくれた本書のbotにもフォロワーさんが増えてきたのと、今学期は大学の授業で初めてこの本を授業の教科書として使いたいというのとがあって、これから本書を手に取ってみようと思っている方のために簡単な案内動画を作りました。 動画を通じた情報発信は、ただいま別件でも進行中です。動画作成に詳しい学生さんがいて、作成を手伝ってくれているので、今回の動画とはまた違ったテイストのものが近いうちにアップされることと思います。進展がありましたら随時ここでも紹介しますね。 みなさま、動画でもお付き合いいただけると幸いです!

『他者のような自己自身』第7研究

研究アーカイブ のページにリクール『他者のような自己自身』第7研究のレジュメを追加しておきました。 『他者のような自己自身』第7研究 この章では「善い生き方」が探究されます。生き方を考えるというのは昔から哲学の主題のひとつだったわけですが、リクールはこれをたんに個人の問題とはとらえず、他者との関係、制度との関係まで視野に入れて論じています。章の途中では「友愛」を題材にして他者との関係で「善い生き方」に考察がおよび、最後の節では「正義」を題材にして制度との関係で「善い生き方」についての考察がなされています。   現代人は、自分という個人の問題に切り詰めて生き方の問題を考えてしまいがちですが、自己が物語的なものであり、物語が言語によって語られるものだとすると、それは必ず語りの相手先である他者を必要とするわけです。したがって、善い生き方や「幸せ」はたんに個人や主観の問題ではなく、少なくとも他者との共生的関係が視野に入ったものでなくてはならないはずです。さらに言うと、他者は必ず共同体の一員としての他者でもありますし、自分の人生を語るストーリーは共同体の中での標準的な語りとの関係において実質的な意味を与えられる(他人のストーリーとの比較の中でしか自分のストーリーは際立った意味を持たない)わけですから、自己の生き方は他者や共同体のあり方とも切り離せないのですよね。…そういったことを考えさせられる章になっています。   ところで、本書を読んでいるとときどき抱く感慨があります。哲学者って良くも悪くも厨二病っぽいテキストを残す人物が多い(とくに著名な人物ほど)と思うのですが、リクールにはそういうところがまったくありません。文章に派手さやカッコ良さを感じることはないのですが、じつに味わい深い文章の書き手です。噛むほどに味が出るスルメみたいな哲学者ですねぇ。