その3。
9月29日〜30日、大阪の門真市文化会館ルミエールホールにて「第19回 認知神経リハビリテーション学会学術集会」が開催されます。
光栄なことに大会の特別講演者として話をさせていただきます。声をかけていただいたタイミングが身体図式・身体イメージの国際シンポを開催した直後で、ちょうどイアン・ウォーターマンのリハビリ過程に即して身体イメージについて考え直していたところでした。ウォーターマンは感染症に由来するニューロパシー(末梢の神経障害)に陥り、首から下の触覚と固有感覚を失ってしまった患者です。その患者が、身体を見つめて身体イメージを活用することで、日常生活のさまざまな行為を実行できるようになったのですが、ここには、リハビリテーションにおける運動イメージと身体イメージの持つ本質的な意義が隠れているように思うのです。当日はこの点を掘り下げて考えてみたいと思っています。
私の教え子のなかにも、リハビリテーションの現場で働いている卒業生がいるので、この分野の専門家とのコラボレーションを楽しみにしています。
た
こんにちは、田中彰吾(東海大学文明研究所所長・文化社会学部教授)です。身体性に関連する心理学と哲学を研究しています。各種お仕事のご連絡はshg.tanaka@gmail.comまでお寄せください。
2018年8月29日水曜日
2018年8月28日火曜日
9月の登壇予定(2)
その2。
9月25〜27日、仙台国際センターで日本心理学会第82回大会が開催されます。
田中も関係するシンポジウムで話します。
(1)
9/25 (火) 13:10-15:10 小会議室2
シンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて-近代心理学と現象学」
企画代表:渡辺恒夫,話題提供:渡辺恒夫・田中彰吾・村田憲郎,指定討論:直江清隆・渡邊芳之,司会:渡辺恒夫
(2)
9/27 (木) 13:10-15:10 会議室3B
シンポジウム「事例研究はいかにして「客観的」たりえ、他者に利用可能たりうるか?」
企画代表:三嶋博之,話題提供:河野哲也・佐藤由紀・青山慶,指定討論:三嶋博之・田中彰吾,司会:染谷昌義
(1)のほうは「心の科学の基礎論研究会」の議論のスピンオフ企画のようなものです。ブレンターノ、ゲシュタルト心理学、フッサール現象学、という歴史的起源をたどりつつ、そこから発展する可能性のあった「もうひとつの心理学」を考えます。
(2)は、去年から進行中の科研費プロジェクト「生態学的現象学による個別事例学の哲学的基礎付けとアーカイブの構築」の企画です。「個別事例学」としていま議論を進めているものの経過報告という意味合いがありそうです。今回はとくに、一回しか生起しない出来事を事例研究として位置付けるにはどうすればいいのか、という論点を掘り下げることになりそうです。
心理学会に参加予定の方は会場でお会いしましょう。
た
9月25〜27日、仙台国際センターで日本心理学会第82回大会が開催されます。
田中も関係するシンポジウムで話します。
(1)
9/25 (火) 13:10-15:10 小会議室2
シンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて-近代心理学と現象学」
企画代表:渡辺恒夫,話題提供:渡辺恒夫・田中彰吾・村田憲郎,指定討論:直江清隆・渡邊芳之,司会:渡辺恒夫
(2)
9/27 (木) 13:10-15:10 会議室3B
シンポジウム「事例研究はいかにして「客観的」たりえ、他者に利用可能たりうるか?」
企画代表:三嶋博之,話題提供:河野哲也・佐藤由紀・青山慶,指定討論:三嶋博之・田中彰吾,司会:染谷昌義
(1)のほうは「心の科学の基礎論研究会」の議論のスピンオフ企画のようなものです。ブレンターノ、ゲシュタルト心理学、フッサール現象学、という歴史的起源をたどりつつ、そこから発展する可能性のあった「もうひとつの心理学」を考えます。
(2)は、去年から進行中の科研費プロジェクト「生態学的現象学による個別事例学の哲学的基礎付けとアーカイブの構築」の企画です。「個別事例学」としていま議論を進めているものの経過報告という意味合いがありそうです。今回はとくに、一回しか生起しない出来事を事例研究として位置付けるにはどうすればいいのか、という論点を掘り下げることになりそうです。
心理学会に参加予定の方は会場でお会いしましょう。
た
9月の登壇予定(1)
これから登壇する予定をいくつか。
その1。
9月13日、ドイツ・ハイデルベルクで開かれるカンファレンス「Time, the Body, and the Other」で話します。
このカンファレンス、じつはハイデルベルクでヤスパース講座の主任をつとめてきたトーマス・フックス氏の60歳の誕生日祝いという隠れた意味があります。カンファレンス・ディナーは、彼にゆかりのある人たちが集まっての誕生パーティになるらしいです。これは盛り上がりそうで楽しみ。
カンファレンスのタイトルを見て、私は当初、鏡像、身体イメージ、反省的自己の話をしようと思っていたのですが、準備をするうちに気が変わりました。今回は対人恐怖症の話をしてきます。対人恐怖症は、他者の視線に出会った瞬間を契機として、私の身体がいつもどおりのあり方を失って、赤面したりどもったりし始めるという点で、「Time, the Body, and the Other」というテーマをうまく反映している主題だと思います。
た
2018年8月27日月曜日
8月の備忘録
たまたまTVをつけたら日テレで24時間テレビをやっていて「えっ、もう8月終わっちゃうの?」と何とも言えない脱力感におそわれた田中ですこんにちは。
とりあえず、8月に進めた主な仕事を備忘録的に記しておきます。
た
とりあえず、8月に進めた主な仕事を備忘録的に記しておきます。
- 同僚のO先生と来年の職場の時間割原案の作成(ひたすらむなしく頭を使う時間だった…)
- 友人と共著で書いている論文の執筆(今まで読んだことのなかったフランツ・ファノンを初めて本格的に読んで人種差別や植民地的経験についていろいろ思うところあり)
- 11月に質的心理学会で登壇するシンポジウムの準備(ナラティヴについて考えます)
- 8月中旬に北京で開かれた世界哲学会の準備(河野先生と企画したラウンドテーブル1件、自分の研究発表1件。どっちも盛況でありがたかった。ちなみに初北京で食事は満喫したのですが、途中からアレルギー性?の鼻炎がひどくなってまいりました)
- 8/24に立教で開かれたヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』合評会で司会(司会を依頼されたタイミングでたまたまファノンを読んでいて人種差別について考えを深めたくて依頼を受けたのですが、ンゴさんやレビュアーの発表を聞いていて考えることがいろいろあり。おそらく、身体イメージのレベルでのネガティヴな経験が身体図式へと織り込まれ図式がうまく機能しなくなる点に差別される経験の身体性の核心があると思う。他にも多々刺激を受けた)
- 某出版社から予定している次の単著の企画書を作成
- 来月末の日本心理学会で登壇するシンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて」の発表準備(ただいま進行中)
た
2018年8月9日木曜日
自撮りを入れてみました(Tanaka 2018)
こんばんは。
今年、刊行が始まった新しいジャーナルで「Human Arenas」というのがあって、私もAssociate Editorとして参加しているという話を以前書きました。
「新ジャーナル:Human Arenas」
それで、去年、国際理論心理学会が東京であったときに、関係者と「Locating the bodily borders of individuality」という名称のシンポジウムを開いたのですが、その発表を論文にするようせっつかれていました。
…うーん、締め切りが4月末だし、他に優先順位の高い仕事いくつか抱えてるし書けないよな〜、ってほとんど諦めていたのですが、他の仕事の合間にところどころ浮いた時間で短い論文をなんとか書きました(自分で自分をほめてあげたい-笑。
ただいま、Online Firstの状態で雑誌のサイトで公開されています。以下のリンクをたどって右側にある「Download PDF」をクリックすると無料でダウンロードできます。
Tanaka, S. (2018). Bodily Basis of the Diverse Modes of the Self. Human Arenas, 1. https://doi.org/10.1007/s42087-018-0030-x
中身は一種のレビュー的な内容です。身体経験がいかにして多様な自己のあり方を支えているのか、現象学的な分析を短くまとめてあります。前反省的な自己、反省的な自己、自律的な自己、相互依存的な自己、それぞれ、身体経験が環境や他者との相互作用を通じてどのように焦点化されるかに応じて、構成される自己の様式も異なるという話です。
ところで、文章が短いので何か工夫できないかな〜と思って、自撮りの写真(顔ではなくて手だけですが)をいくつか入れてみました。(a)物に触れる、(b)自分で自分に触れる、(c)他者に触れられる、それぞれの場面で紙面を充実させるのに写真に一役買ってもらいました。手作り感がなんとも残念な感じに仕上がっていますのでぜひご覧ください(笑
た
[2018/8/11 追記]
先ほど上記リンクを確認したら、第1巻第3号にページを割り当てられていました。正確な書誌情報は以下になります。
Tanaka, S. (2018). Bodily basis of the diverse modes of the self. Human Arenas, 1, 223-230.
引き続き、リンクからたどってPDFファイルを無料でダウンロードできるようです。
「新ジャーナル:Human Arenas」
それで、去年、国際理論心理学会が東京であったときに、関係者と「Locating the bodily borders of individuality」という名称のシンポジウムを開いたのですが、その発表を論文にするようせっつかれていました。
…うーん、締め切りが4月末だし、他に優先順位の高い仕事いくつか抱えてるし書けないよな〜、ってほとんど諦めていたのですが、他の仕事の合間にところどころ浮いた時間で短い論文をなんとか書きました(自分で自分をほめてあげたい-笑。
ただいま、Online Firstの状態で雑誌のサイトで公開されています。以下のリンクをたどって右側にある「Download PDF」をクリックすると無料でダウンロードできます。
Tanaka, S. (2018). Bodily Basis of the Diverse Modes of the Self. Human Arenas, 1. https://doi.org/10.1007/s42087-018-0030-x
中身は一種のレビュー的な内容です。身体経験がいかにして多様な自己のあり方を支えているのか、現象学的な分析を短くまとめてあります。前反省的な自己、反省的な自己、自律的な自己、相互依存的な自己、それぞれ、身体経験が環境や他者との相互作用を通じてどのように焦点化されるかに応じて、構成される自己の様式も異なるという話です。
ところで、文章が短いので何か工夫できないかな〜と思って、自撮りの写真(顔ではなくて手だけですが)をいくつか入れてみました。(a)物に触れる、(b)自分で自分に触れる、(c)他者に触れられる、それぞれの場面で紙面を充実させるのに写真に一役買ってもらいました。手作り感がなんとも残念な感じに仕上がっていますのでぜひご覧ください(笑
た
[2018/8/11 追記]
先ほど上記リンクを確認したら、第1巻第3号にページを割り当てられていました。正確な書誌情報は以下になります。
Tanaka, S. (2018). Bodily basis of the diverse modes of the self. Human Arenas, 1, 223-230.
引き続き、リンクからたどってPDFファイルを無料でダウンロードできるようです。
2018年8月3日金曜日
序が読めます-『現象学入門:新しい心の科学と哲学のために』
こんにちは。
7月末に販売された拙訳、コイファー&チェメロ『現象学入門』ですが、勁草書房編集部のサイト「けいそうビブリオフィル」で冒頭の「序」が読めるようになりました。
あとがきたちよみ『現象学入門』
6ページの短い文章に、本書のサブタイトル「新しい心の科学と哲学のために」を凝縮したような内容が記されています。逆に、普通の現象学入門に期待されるけれど、本書には書かれていないことについても、この序で明記されています。
ちなみに、序には、私が原著で読んだときに思わず顔がほころんだ(うれしくて)一文があります。
「あなたが現象学を学ぶべき最も簡単な理由は、すべての人が現象学を学ぶべきだからである。」(The simplest reason one should study phenomenology is because everyone should. )
こんなに強烈な価値判断に満ちた一文をさらっと書けてしまうのって、なかなかすごくないですか? これがたんに著者らの現象学に対する偏愛だったなら、この本をわざわざ訳したりはしなかっただろうと思います。
本書は、現象学の古典的な考え方について、現代の視点からフェアに評価しつつも、そこに流れている新たな可能性(とくに身体性認知科学に連なる)を拓こうとしています。ぜひ上記サイトにお立ち寄りください。
た
7月末に販売された拙訳、コイファー&チェメロ『現象学入門』ですが、勁草書房編集部のサイト「けいそうビブリオフィル」で冒頭の「序」が読めるようになりました。
あとがきたちよみ『現象学入門』
6ページの短い文章に、本書のサブタイトル「新しい心の科学と哲学のために」を凝縮したような内容が記されています。逆に、普通の現象学入門に期待されるけれど、本書には書かれていないことについても、この序で明記されています。
ちなみに、序には、私が原著で読んだときに思わず顔がほころんだ(うれしくて)一文があります。
「あなたが現象学を学ぶべき最も簡単な理由は、すべての人が現象学を学ぶべきだからである。」(The simplest reason one should study phenomenology is because everyone should. )
こんなに強烈な価値判断に満ちた一文をさらっと書けてしまうのって、なかなかすごくないですか? これがたんに著者らの現象学に対する偏愛だったなら、この本をわざわざ訳したりはしなかっただろうと思います。
本書は、現象学の古典的な考え方について、現代の視点からフェアに評価しつつも、そこに流れている新たな可能性(とくに身体性認知科学に連なる)を拓こうとしています。ぜひ上記サイトにお立ち寄りください。
た
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