このたび、研究室兼個人ホームページができました。
田中彰吾研究室(東海大学・現代教養センター)
これまで、このブログの独立ページとして設置していた「研究会・WS案内」と「過去の開催記録」は、以下のページに情報を移動しました。
「研究会」https://shogo-tanaka.jp/study-group.html
ブログページに設定されていたリンク等はこれから順次移転していきます。
よろしくお願いします。
た
こんにちは、田中彰吾(東海大学文明研究所所長・文化社会学部教授)です。身体性に関連する心理学と哲学を研究しています。各種お仕事のご連絡はshg.tanaka@gmail.comまでお寄せください。
このたび、研究室兼個人ホームページができました。
田中彰吾研究室(東海大学・現代教養センター)
これまで、このブログの独立ページとして設置していた「研究会・WS案内」と「過去の開催記録」は、以下のページに情報を移動しました。
「研究会」https://shogo-tanaka.jp/study-group.html
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よろしくお願いします。
た
9月に認知科学会で「プロジェクション・サイエンス」のシンポジウムがあり、そのときに神経科学者の入来篤史先生とパネリストとしてご一緒させていただきました。そのことがご縁で、シンポジウムを企画してくださった鈴木宏昭先生(青山学院大学)と一緒に神戸の理化学研究所にある入来先生のラボを訪問しました。
ニホンザルの実験環境を拝見した後でいろいろと議論させていただいたのですが、自己をめぐる本質的な論点が次から次へと出てきて大変刺激的でした。道具を使うと、身体図式が拡張するだけでなく身体イメージが一時的に崩れることで、道具を使う存在はかえって自己の身体を意識化・対象化する契機を持つこと;サルは座ることを始めたことで背骨が直立し、手が自由になって潜在的には道具を使えるようになっていること(実際タイのカニクイザルには道具を使うものがいるらしい);ヒトは直立歩行することで「上下」という座標軸と水平線、またそれに連動する「左右」という座標軸をかなり自覚的に分岐できるようになったであろうこと;二足歩行するとき周辺視野に両足が入っており、見えないとうまく歩けないが、それはある意味で空間内の「ここ」という位置を「ここ以外」という場所と潜在的に区別する意味を持つこと;自己身体を対象化し、自己の位置する「ここ」を自覚できることが、ヒトの自己意識をたんに前反省的な自己感から反省的な自己意識にしたということ;おそらくこれらすべての条件は、ホモ・サピエンスが地球上の広大な領域(「ここ」以外のどこか)を移動しつくしたことの前提条件になっていること…
どうでしょう? 自己意識の発達と進化をめぐって、ものすごく根源的で哲学的な論点をおさえていますよね? お二人ともサイエンスの根底にある哲学的な問いに取り組もうとされていることが伝わってきて、議論に熱中しているうちにあっという間に二日間の出張が過ぎ去ってしまいました。
た
久しぶりにエンボディードアプローチ研究会を開催することになりました。コロナ禍で開催が滞っておりましたが、12月19日にZoomでの開催を予定しています。
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<心の科学の基礎論研究会(第87回)&エンボディードプローチ研究会(第9回)・合同研究会>
…の自己論を読み直しました。10年ぶりぐらいでしょうか。やっぱり面白いですね。ジェームズは哲学も心理学もわかっていた稀有な人だなと改めて思いました。自己を「主我(I)」と「客我(Me)」にわけて論じているのですが、客我のほうは経験的な自己をめぐる心理学的考察になっていて、主我のほうは超越論的自我に連なるような(実際にはそれを批判していますが)哲学的考察になっています。フッサールなら前者は現象学的心理学、後者は超越論的現象学というかたちで厳密に区別されてしまいそうですが、それを区別しながらも同じ章で論じられてしまうところにジェームズのジェームズらしさがよく現れているように感じました。
ああ、思い出した。2013年に日本心理学会で「自己へのエンボディード・アプローチ」というシンポジウムを企画したときに予習としてジェームズの自己論を読んだのでした。10年も経っていませんでしたね。歳をとったせいか、過去の出来事がいつ起こったのか、認知があいまいになっているようです。
というわけで以下レジュメへのリンクです。
W・ジェームズ (1892/1992).「自我」今田寛訳『心理学(上)』(第12章)岩波書店.
た