2020年3月27日金曜日

間身体性療法が奏功した症例?

友人から来たメールの件名が「間身体性療法が奏功した症例」となっていて、何のことだろうと思って本文を読んでみたら私のことが書いてありました。いわく、若い頃と違って私の笑顔が歪んでいないんだそうです。この写真のことです。

間身体性、ご存知の通りメルロ゠ポンティの概念です。自己の身体と他者の身体のあいだには潜在的に通じ合う関係があって、それはあくびの伝染や笑顔の連鎖のように、同調する身体表現として顕在化します。メールを送ってきた友人によると、若い頃の私は屈託のない笑顔を浮かべることがなく、いつも微妙に歪んでいたとのこと。もちろん、本人的にはそんな自覚はまったくなかったのですが。心外なこと甚だしい(笑

それはともかく、間身体性はコミュニケーション場面でもきわめて重要な要因を果たしています。新型コロナウィルスの感染拡大に応じてテレワークが盛んになりつつありますが、オフィスワークには身体性を共有できる良さと、それに由来する固有の意義があります。おそらく、テレワークが発達すればするほど、テレワークだから実現できることと、オフィスワークだから実現できること、両方の意味が別々に自覚されるようになるだろうと思います。

以下は、そんなことを考えるうえで参考にしていただけるであろうインタビュー記事です。


今回は、オフィスデザインを事業としている「フロンティアコンサルティング」社によるインタビューでした。インタビューはそれこそスカイプではなく私の研究室で同じ空間を共有しながら行ったものです。ウイルスの感染拡大が問題になる前の1月上旬に実施できたのは今思うと幸いでした。

わりと分かりやすい記事にまとめてくださっていると思います。身体性、空間デザイン、オフィス空間に関心のある方々ご覧いただければ幸いです。

 

2020年3月16日月曜日

研究会中止 (3/25 東海大学)

来週25日に予定されていたエンボディードアプローチ研究会、残念ながら中止することになりました。トム・フラインスさんがオランダから来日される予定だったのですが、先週あたりからヨーロッパでも新型コロナウイルスの影響が顕著で、大学閉鎖にともなって出張も許可されない状況になっているとのことです。

研究会を楽しみにされていた皆さまには申し訳ありません。時期を改めての開催を検討しておりますので、どうぞご容赦ください。


2020年3月14日土曜日

雑誌『体育の科学』に寄稿しました

昨年9月に久々に体育学会のシンポジウムに登壇する機会があったのですが、そのときにお話しした内容をもとに執筆した原稿が『体育の科学』に掲載されました。

体育の科学70巻3月号:特集「eスポーツを考える」(杏林書院)

特集には、当日シンポジウムでご一緒した秋吉遼子氏(東海大学)、佐藤晋太郎氏(早稲田大学)も寄稿されています。お二人ともわりと網羅的に論点をおさえているので、eスポーツに全般的に関心のある人には参考になる紙面構成になっていると思います。

私の寄稿分は以下のような構成です。

田中彰吾「身体性哲学からみたeスポーツ」
 1. eスポーツと他のスポーツとの共通点
 2. eスポーツに固有の特徴
  1) 身体図式の利用方法
  2) 仮想空間への適応
 3. スポーツの身体的経験と情報技術

もともとeスポーツの専門家ではないのでたいした内容は書けていないのですが、体育哲学的な論考としては日本では今のところあまり例がない考察になっているかと思います。

ちなみに、「eスポーツはスポーツじゃない」という主張は世間でもよく聞かれるところですが、それはeスポーツを考えるさいの問題ではありません。本当の問題は、情報技術の急速な進化とともに、ひとの身体経験そのものが劇的に変化しつつあることです。eスポーツを考えることは、情報化された未来の身体について考えることでもあります。今回の原稿では最後に少し触れただけですが、いずれこのことの意味を、VR技術やBMIなどとも合わせて、じっくり考えてみたいと思っています。
 




3.11から9年

早いもので東日本大震災から9年たちました。昨今コロナウイルスの関係で年度末・年度はじめの対応に追われているのですが、その慌ただしさが9年前と似ているせいで、改めて当時を思い出すことが多いです。

ウイルスとは直接関係ないのですが、先日震災関連で取材を1件お受けしました。かつてこんな論文を発表していたのですが、その内容について問い合わせがあったためです。

田中彰吾(2015)「復興のランドスケープ-東日本大震災後の防潮堤建設を再考する」『文明』第20号,81-90ページ

当時も今も東海大の文明研究所の所員を兼務しているのですが、当時は震災復興の研究プロジェクトに従事していて、心理学や身体論から貢献できるテーマとしてランドスケープ論を取り上げたのでした。とくに当時は巨大防潮堤建設が始まりつつあったので、主としてその問題を批判的に取り上げました。

当時気仙沼や陸前高田まで行って現地を歩いてみて感じましたが、この防潮堤建設は東北のランドスケープを一変させてしまうに違いないと予感しました。どうやら、その予感は本当になりつつあるようです。以下の記事を読んでいただけるとよくわかるかと思います。残念ながら読者限定記事なので会員でない方はアクセスできないようですが…。

読売新聞(2020年3月5日朝刊)
[震災9年]復興のゴールは<上>かさ上げ移転 薄らぐ絆
[震災9年]復興のゴールは<中>避難先に愛着 鈍る帰還
[震災9年]復興のゴールは<下>住民の輪で街づくり

田中のコメントは<上>に部分的に掲載されています。「復興後の街に共通するのは、現実感のなさだ」「人と風景がうまくつながっている感じがしない。人々のなりわいや暮らしになじむ街づくりを行う視点はあったか」というコメントを紹介していただきました。

ただ、防潮堤はじめ復興のあり方に批判的なことをいう前に、あの震災で命を落とされた方々につつしんで哀悼の意を表したく思います。私の拙い論文もその思いをもとに書いたものです。