2021年6月3日木曜日

リクール『他者のような自己自身』第8研究

あっという間に6月。来年度のカリキュラム改革準備とコロナ対応とで大学の仕事に追われているうちに5月は過ぎてしまいました。グチってる暇もなく日々が過ぎていくばかりです。こんなことばかりに追われていると自分がだんだんアホになっていくような気がするので、気を取り直して読書会の話題を。村田憲郎先生による力作の『他者のような自己自身』第8研究のレジュメをアップしました。

ポール・リクール『他者のような自己自身』第8研究

「良い生き方」という倫理的目標が、「なすべきこと」という道徳的規範のテストにかけられる、というのがざっくりとした第8研究の趣旨です。…が、うーん、この章は今まで読んできた中で一番難解でした。カントの道徳理論が主題的に取り上げられているのですが、カントそのものというよりリクールのカント解釈が延々と繰り広げられていて、門外漢の私はついていけませんでした。それでなくても日々の業務でアホになっている中で読書会に合わせて自分を学者モードに戻すのは本当に大変です。

ただ、よく理解できた(気がする)のは、カントが「自律」「目的としての人格」「定言命法」から始めて理性によって基礎づけようとした道徳が、そのままでは完結できないというか、感性や情動や受動性といった次元を巻き込まざるを得ないような穴を持っているということです。まあ、当然といえば当然のことかもしれませんが、裏を返すと、道徳的規範もまた身体的存在としての人間どうしの関係から基礎付ける必要があるということです。それは一般的な関係性の中にある道徳を考えるときには当然の問題なのですが、他者のレベルが抽象化して「制度のレベルでの正義」を考えるときにはカントのやり方とは違った難しさをともなうはずです。メルロ゠ポンティのように身体的存在から始める哲学者が、社会契約や国家についてうまく語りきれていないように見えるのも、この点に関連しているように思います。