2021年5月15日土曜日

博士論文ってたいへん

昨年以降、大学院で博士論文の審査を引き受けるようになりました。昨年度は東海大学の同僚でもある鷹取勇希さんが文明研究専攻に提出された学位論文の主査をお受けしました。英文で300ページ近い大作で、最初から最後まで読み込むのが大変でした。もちろん書いている本人はもっと大変なのでしょうけれど、より良い論文にするために隅々まで読み込んでコメントする作業もなかなか大変でした。

どこまで改訂すれば学位に値するのかという判断をつけながら全体を読み込んで不足箇所を指摘するのは、ある意味で自分がどのような基準で学問をとらえているのかを自覚する作業でもあります。他人の学問への甘さは自分の学問への甘さであり、他人の学問への厳しさは自分の学問への厳しさでもあります。甘さと厳しさの両極のあいだで、「何が学位に値するか」を考えながら読み込むのは自分にとって新たな発見が多くありました。

また、仕事をお受けして、改めて自分の博士論文を審査した先生方も大変だったのだろうなと思いを馳せました。とくに私の博士論文はユングの共時性といういわば「鬼門」にあたるテーマを扱っていたので、なおさらだっただろうと思います。学位を取得して20年近くたって、改めて指導していただいた先生方に深く感謝した次第です。

…で、なんでこんな記事を書いているのかというと、ただいまカリフォルニアにある某大学院の学生の博士論文のexternal reviewer(学外の副査)をお受けしているからです。ちょうど明日までに全体を読み込んでコメントを返さねばならないので、昨日今日で「ボディワークにおける触れる経験」についての長大な博士論文を読んでいました。ワンテーマで書かれた200ページ以上の論文を読んでいるとさすがに頭の中がその主題一色になりますね。上がりきった脳内のボルテージを下げるために、ここに記事を書いて気分転換してみたのでした。

論文はハンズオン・ヒーリングにおける「触れる」経験を扱っているのですが、ボディワーカーにインタビューした内容を質的に分析していて、ものすごく深い内容になっています。どうやら、触れる経験というのは「気がふれる」という言い方にもあるように、狂おしいくらい深く傷つく経験をもたらす場合があるようです。ただ、その分、とても深く愛されていることを実感する癒しの経験でもあるということなんでしょうね。論文を読んで、触れることにともなう暴力と癒しの両義性を再発見した次第です。

さて、では本人向けにコメントを書くことにしましょうか…

2021年5月4日火曜日

「コミュニケーションの再考」記事

GWということでようやくまとめて原稿を書くモードに入っている田中ですこんにちは。以前こちらでも紹介しましたが、2月に登壇したイベントの記事がアップされたそうなのでご紹介します。

コミュニケーションの再考 / Frontier Session #2

このイベントは、オフィスデザインを手がける会社「フロンティア・コンサルティング」の社員さん向けトークセッションでした。パンデミックのためテレワークが広がり、仕事のスタイルが大きく変わりつつあります。そんな中で、オンラインとオフラインのコミュニケーションをどう考えればいいのか、身体性の観点からいろいろと話題提供しました。もちろん私も答えは持っているわけではありませんが…

当日お話したことの中には記事になっていないものも結構あったように記憶していますが、2時間弱のセッションをすべて文字化するのも難しいのでしょうね。上記リンク先はいわば当日のハイライトになっています。

当日、セッションでもご一緒した後尾志郎さんが開発された「tonari」というオンラインコミュニケーションのシステムを見学しました。フロンティアの社内に設置されているのですが、これがなかなか画期的でした。ほぼ等身大の大画面で大阪と東京のオフィスが画面を介してリアルタイムでつながっています。もちろん音声もかなり自然にやりとりできるという優れもの。上のリンク先で実際のイメージを見られます。

これだったら遠隔地の研究室と常時接続にしていろんな共同研究ができるなぁ、とうらやましくなりました。といっても、帰り際に後尾さんに導入費用をそれとなく聞いてみたら私がもらっている科研費より0の数が一個多い金額なので「やっぱダメか…」となったのですが。そのうち科研費の基盤Aとか取れるようになったらうちの研究室にもtonariを入れたいです。