2020年8月29日土曜日

人間知×脳×AI研究教育センター

今週は北海道大学のCHAIN(人間知×脳×AI研究教育センター)でサマースクールがありました。月〜金まで大阪大学の朝倉暢彦先生と二人で講師を務め、心地よい疲労感の中でこの記事を書いています。

前半2日が田中のレクチャー中心、後半2日が朝倉先生のレクチャー中心、最後1日は学生の発表という構成でした。前半は哲学的な観点からの話題提供(社会的認知の話でした)、後半はデータ科学的な観点からの話題提供(社会的認知や視覚イメージのベイズ推定)。学生は両者の講義を受けて、実験を含め研究プロジェクトにつながるようなアイデアを発表せねばならないので、おのずと学際研究のトレーニングになっていました。

学際研究を売りや目的にしている場所は国内外にたくさんありますが、関係者がそれぞれの専門に棲み分けていて内実がともなっていないケースが実際には多いように思います。CHAINはそういう意味では、センター長の田口茂先生や、スタッフの吉田正俊・島崎秀昭・宮原克典の各先生が皆さんオープンで異分野から学ぼうとする姿勢に満ちていて、「意識」「自己」「社会性」「合理性」という大きな問いをめぐって高次元の知の融合が期待できる場所になっています。最終日の学生たちの発表を聞いていると、短時間でとてもよくまとまった研究アイデアを披露していたので、その印象を強くしました。こういう場所から次世代を担う優秀な研究者が巣立ってくれるといいなと思います。

それはそうと、今回は5日間の集中講義もやはりリモートでの実施なのでした。札幌に行くことを楽しみに引き受けた仕事でもあったので、とても残念でした…
 


2020年8月20日木曜日

プロジェクション・サイエンス

アマゾンに発売の案内が出たそうです。


新しい認知科学の可能性に関心がある方にとっては、面白い内容を多々含むものになっていると思います。サブタイトル「心と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学」がそれを物語っていると思います。

ちなみにアマゾンの表示で編者の鈴木宏昭先生の名前が「宏招」と間違って表示されていますが、なぜなんでしょうか。

田中も分担して1章寄稿しました。
田中彰吾「ポスト身体性認知としてのプロジェクション概念」(2章)

他の章の多くは学会誌『認知科学』でプロジェクション・サイエンスの特集が組まれたときの原稿を増補したものですが、田中は書き下ろしで新たな原稿を寄稿しました。「プロジェクション」という概念に託して、身体性認知科学の未来について考えています。あえて「ポスト身体性認知科学」という言葉を使ってみました。

短期間で一気に書いたものなので雑な箇所も残っているかもしれませんが、従来の身体性認知科学が陥っている現状を超える手がかりについて、ストレートに考察する論考になっています。この原稿を出発点にして、今後もっと「ポスト身体性認知」に連なる研究を進められればと思います。

身体性の問題だけでなく、「プロジェクション・サイエンス」は意味や価値という従来の認知科学がうまく扱ってくることができなかった重要な問題を多々扱っています。今後の展開に期待が持てる分野になりそうですよ。
 


2020年8月1日土曜日

書評を寄稿しました

今週の図書新聞に書評を寄稿しています。

図書新聞
第3459号(2020年8月8日)

聞くところによると、前号に掲載されたとある社会学系の書籍の書評がSNSで炎上しているんだそうで(相当に酷評されていることに著者が反撃しているらしい)、それについての編集部の見解が新たにこの号に掲載されています。

そういう話題性に富む(?)書評に比べれば私のものはマイルドで普通の書評です。以下の書を取り上げました。

佐藤義之著『「心の哲学」批判序説』講談社(選書メチエ、2020年4月刊)
書評:「物質から意識を見るか、生命から意識を見るか--進化論を取り入れることで、物理主義に依拠する従来の心の哲学に対して根源的な批判を試みる」

有料ものなのでコンテンツはここで公開できないですが、ご関心のあるかたは上のリンクから読んでみてください。

同書は、心の哲学で主流になっている、いわゆる物理主義から意識を理解する立場(物理世界が因果的に閉じているという見方に立って、神経過程に還元して意識を理解する立場)に対する根源的な批判を試みています。きちんと読めば、物理主義の立場で意識を理解しようとするのがそもそも無謀な試みであることに納得がいくぐらい、よく整理された批判を重ねています。第二部では現象学的な意識の理解が試みられていますが、それよりも第一部の「心の哲学」批判の部分が良いですね。

個人的には、大学院生の頃に意識科学の議論に関心を持って調べ始めた頃から「ハードプロブレム」は疑似問題だよなぁ、という感じを持ち続けて今に至ります。なので心の哲学のように物理主義から意識を理解する試みそのものに乗れず、現象学から身体の問題を考えてきました。ポイントは、ハードプロブレムはやはり心身問題の焼き直しなので設定そのものを退ける必要があって、心身問題を「身身問題(body-body problem)」として再整理するところに現象学の役割がある、ということです。

このあたりの事情は、これも講談社選書メチエからいずれ出版される共著『心の哲学史(仮題)』の担当章に整理して書いておきました。共著といっても各章6〜7万字詰め込まれてますから、私の章も薄い書籍分ぐらいの分量はあります。お楽しみに。