2020年5月29日金曜日

F・ファノンについて (Ataria & Tanaka, 2020)

初めて、人種差別の問題に言及する論文を書きました。社会問題としての差別について言及しているというよりは、身体的経験として人種差別がどのように生きられているのか、ということを論じたものです。

フランツ・ファノンという黒人の精神科医の経験を主なテクストにして考えています。ファノンは現在はあまり読まれることのない思想家だと思いますが、フランス領マルチニーク出身の黒人としてフランスで教育を受けた人物で、自身の被差別の経験を生々しい文章で1950年代に残しています。

Ataria, Y., & Tanaka, S. (2020). When body image takes over the body schema: The case of Franz Fanon. Human Studies. (online first)

彼が生きた1950年代当時に比べれば、いまの世界にはこれほど激しい人種差別は見られなくなっていると思います。が、目立つものではない分、よりささやかな非言語的経験としてエスニシティにまつわる差別を経験することも現在では増えているようにも思います。視線や接触や言葉づかいのように。身体図式のレベルでの人種差別、とでも言えばいいでしょうか。

この論文、身体図式や身体イメージの観点からエスニシティを考えたい方にご覧いただけると幸いです。
 

 


2020年5月10日日曜日

『現象学入門』の書評が出ました

コイファーとチェメロによる『現象学入門』の翻訳は刊行からもうすぐ2年になります。現象学の入門書にもさまざまなものがありますが、本書は身体性認知科学とのつながりから現象学を歴史的に展望したものになっている点でとてもユニークで、わりと好評を得ております。

このたび、知人の芹場輝さんが『こころの科学とエピステモロジー』誌に本訳書の書評を寄せてくれました。


力作の書評です(力が入り過ぎててところどころ熟語や漢字の選択が硬くで読みづらいですが…)。とくに、「3.本書の内容紹介」は1ページ程度できわめて正確に本書を要約しているので、ここだけ読んでも本書がどういう構成なのかがよくわかります。

なお、最後の「言語の現象学」について触れているくだりは、私自身も課題にしているところですね。身体性の問題から現象学に接近すると、スキルや「身体化された自己」など、どちらかというと環境と身体の相互作用に関心が向かいがちになります。とくに、ダイナミカルシステム理論を使って現象を記述するアプローチになると、そもそも物理的次元の記述だけが問題にされ、「心」なるものについての独立した記述は不要になりますし。

このブログでも何度か書いてきましたが、身体性・行為・知覚から論じ始めながら、言語を使うことで派生するナラティブの次元をどのように理論に取り入れていくかはとても重要です。今年から科研費で取り組み始めたプロジェクトもこの論点にかかわっています。なので、私自身の仕事は、『現象学入門』の翻訳作業が完了した地点からもう一歩前に歩き始めているという感じではあります。遅々として進まないのがもどかしいですが。

ともあれ、コイファー&チェメロ『現象学入門』のファンの皆さん、あるいは買ったけど積読になっている皆さん、途中で投げ出している皆さん。上記書評を読んでみてください。
 
 

『こころの科学とエピステモロジー』第2号

田中も編集委員のひとりを務めている電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』の第2号が刊行されました。

こころの科学とエピステモロジー
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/

上記のサイトから全記事ダウンロードできます。今号のハイライトは、有名ながら日本語で読めなかった「ゲシュタルト質について」(エーレンフェルス、1890)の本邦初訳が収録されたことでしょう。

主な内容
・エディトリアル「手作りの科学としての夢研究」(編集委員長)
・原著論文「階層的自律コミュニケーション・システム(HACS)モデルを用いた
 小説の共同性付与メカニズムに関する基礎情報学的考察」(中村肇)
・翻訳論文 エーレンフェルス著「ゲシュタルト質について」(村田憲郎/訳・解題)
・創刊号「心的現前時間」(シュテルン)へのコメント特集
・高砂美樹/村田憲郎
・創刊号へのコメント論文(伊藤直樹)
書評・ノンフィクション部門
・コイファー&チェメロ著『現象学入門』(評:芹場輝)
・西研著『哲学は対話する』(評:渡辺恒夫)
書評・フィクション部門
・桜木紫乃著『緋の河』(評:渡辺恒夫)
・映像メディア時評「『人文死生学研究会番外編涼宮ハルヒ』+京都アニメーション
 お別れの会参列報告」(土居豊・渡辺恒夫・三浦俊彦)

また、田中彰吾・宮原克典訳の『現象学入門』にもついに初の書評が出ました。知人の芹場輝さんによるものです。これは心して読まねばなりませんね。後日コメントします。
 

 

2020年5月2日土曜日

禍いの4月

今年度の大学は一斉に遠隔授業を取り入れる方向で動いています。もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて。4月は結局その対応にふり回されて終わってしまいました。

教務関係の主任を今年も引き受けている関係で、この4月は、現在の所属先に着任して以来もっとも大学の校務が多かったのではないかと思います。まさに「コロナ禍」という言葉がぴったりでした。

記録をかねて、ふり返っておきます。

3月30日:所属先の現代教養センターの科目担当教員に連絡。この時点では授業開始が4/24に後ろ倒しになっただけで、通常通り教室で開講する予定でした。いわゆる「三密」を回避する授業運営を依頼。

4月3日:授業開始がさらに後ろ倒しになり、5月11日開始が決まりました。また、遠隔授業に変更になる可能性を初めて担当教員に通知しました。ただ、この時点ではまだ正式決定ではありませんでした。

4月9日:学内で6日に春学期授業をすべて遠隔にすることが決まり、それに合わせてセンターとしての対応方法をとりまとめ、メールを配信。使用するシステムについてはこの時点では決定できず、その前に、授業回数、定期試験、大人数クラスの履修制限など、大枠の対応について連絡。

4月17日:これまで学内で利用されてきたオンライン・システムを利用して遠隔授業を実施する方針でマニュアルを作成し、配信。この頃、他大から既存システムがダウンした話が複数入ってきており、学内でも調査が始まる。

4月22日:遠隔授業が決まって初の教授会。まぁ、ご多分にもれず授業運営方法についてあれこれ質問が出ました。教授会は3時間ぐらいの長丁場でした(見方によってはそれでも短かかったのかも)。教授会ももちろん遠隔ですが、この時点ですでに数十時間は教務関係者と遠隔で会議をこなしていたので、これといって新鮮味もなく。

4月25日:既存のシステムがアクセス過剰でダウンするだろうという学内の検討結果を受けて他のシステムを利用する方法を模索。マニュアルの改訂準備に着手。

4月28日:既存のシステムは利用時間に制限が加わるとの通知が学内で配信される。学生のアクセスは学部ごとに週2回に制限されるとのこと。

5月1日:既存システムに加えてMicrosoft Teams等の代替手段を確保するよう依頼する改訂版の遠隔授業マニュアルを配信。細々とした変更が多数あって、作るのに苦労しました。

主な日付を並べましたが、各日付のあいだに複数の打ち合わせ、会議、セミナーが随時Teamsで入る過密スケジュールの4月でした。

愚痴ですが、今月の私の月給は、時給に換算すると最低賃金をかなり下回ると思います。失職するよりはマシですが、労働時間が異常に長くて「社畜」という言葉が初めてわが口を突いて出てきた4月でした。優秀で事務処理能力もきわめて高い同僚の教務関係者たちに支えられても、このありさまですからね。

遠隔授業の導入でこれだけ振り回されると、さすがに3月以前の世界がはるか遠くに感じられます。それに、大学の現場もこれだけの変化を経験すると、コロナ以前の世界に単純に戻ることはないでしょう。今後、遠隔授業を実践しながら、変化の方向を見極めたいと思っています。

ところで、こんな渦中でも4月に共著の原稿を20000字くらい書き進めました。自分を褒めてやりたいと思います。



2020年4月4日土曜日

新たな助成

これまで、当サイトおよびエンボディードアプローチ研究会は以下の公的資金の助成を受けて運営されてきました。

2015~2019年度,科研費・基盤研究(B)「Embodied Human Scienceの構想と展開」

2019年度で助成期間が終了しましたが、このたび、新たに以下の助成を受けることが内定しました。ここに記して感謝申し上げます。

・2020年度〜2023年度(予定),科研費・基盤研究(B)「身体化された自己:ミニマルからナラティヴへ」

前年度までは「Embodied Human Science(身体性人間科学)」を構想してきました。中心に据えてきたのは、いわゆるミニマル・セルフの問題です。不必要な要素をすべて取り払ってもなお残る自己とは何か。これを身体性の観点から明らかにしました。また、その延長で、身体行為にもとづいて自己と他者がどのように相互理解を発展させるのか、記述することを試みました。

今年度からは、ミニマル・セルフからナラティヴ・セルフ(物語的自己)に少しずつ研究の焦点を移していく予定です。身体行為にもとづく自己は、身体レベルで経験した出来事をどのようにものがたり、さらにその物語にもとづく自己アイデンティティを構築していくのか。こうした問題意識にもとづいて今後の研究を展開していきます。

今後も引き続き、当サイトおよびエンボディードアプローチ研究会をよろしくお願い致します。 
 

 

2020年3月27日金曜日

間身体性療法が奏功した症例?

友人から来たメールの件名が「間身体性療法が奏功した症例」となっていて、何のことだろうと思って本文を読んでみたら私のことが書いてありました。いわく、若い頃と違って私の笑顔が歪んでいないんだそうです。この写真のことです。

間身体性、ご存知の通りメルロ゠ポンティの概念です。自己の身体と他者の身体のあいだには潜在的に通じ合う関係があって、それはあくびの伝染や笑顔の連鎖のように、同調する身体表現として顕在化します。メールを送ってきた友人によると、若い頃の私は屈託のない笑顔を浮かべることがなく、いつも微妙に歪んでいたとのこと。もちろん、本人的にはそんな自覚はまったくなかったのですが。心外なこと甚だしい(笑

それはともかく、間身体性はコミュニケーション場面でもきわめて重要な要因を果たしています。新型コロナウィルスの感染拡大に応じてテレワークが盛んになりつつありますが、オフィスワークには身体性を共有できる良さと、それに由来する固有の意義があります。おそらく、テレワークが発達すればするほど、テレワークだから実現できることと、オフィスワークだから実現できること、両方の意味が別々に自覚されるようになるだろうと思います。

以下は、そんなことを考えるうえで参考にしていただけるであろうインタビュー記事です。


今回は、オフィスデザインを事業としている「フロンティアコンサルティング」社によるインタビューでした。インタビューはそれこそスカイプではなく私の研究室で同じ空間を共有しながら行ったものです。ウイルスの感染拡大が問題になる前の1月上旬に実施できたのは今思うと幸いでした。

わりと分かりやすい記事にまとめてくださっていると思います。身体性、空間デザイン、オフィス空間に関心のある方々ご覧いただければ幸いです。

 

2020年3月16日月曜日

研究会中止 (3/25 東海大学)

来週25日に予定されていたエンボディードアプローチ研究会、残念ながら中止することになりました。トム・フラインスさんがオランダから来日される予定だったのですが、先週あたりからヨーロッパでも新型コロナウイルスの影響が顕著で、大学閉鎖にともなって出張も許可されない状況になっているとのことです。

研究会を楽しみにされていた皆さまには申し訳ありません。時期を改めての開催を検討しておりますので、どうぞご容赦ください。


2020年3月14日土曜日

雑誌『体育の科学』に寄稿しました

昨年9月に久々に体育学会のシンポジウムに登壇する機会があったのですが、そのときにお話しした内容をもとに執筆した原稿が『体育の科学』に掲載されました。

体育の科学70巻3月号:特集「eスポーツを考える」(杏林書院)

特集には、当日シンポジウムでご一緒した秋吉遼子氏(東海大学)、佐藤晋太郎氏(早稲田大学)も寄稿されています。お二人ともわりと網羅的に論点をおさえているので、eスポーツに全般的に関心のある人には参考になる紙面構成になっていると思います。

私の寄稿分は以下のような構成です。

田中彰吾「身体性哲学からみたeスポーツ」
 1. eスポーツと他のスポーツとの共通点
 2. eスポーツに固有の特徴
  1) 身体図式の利用方法
  2) 仮想空間への適応
 3. スポーツの身体的経験と情報技術

もともとeスポーツの専門家ではないのでたいした内容は書けていないのですが、体育哲学的な論考としては日本では今のところあまり例がない考察になっているかと思います。

ちなみに、「eスポーツはスポーツじゃない」という主張は世間でもよく聞かれるところですが、それはeスポーツを考えるさいの問題ではありません。本当の問題は、情報技術の急速な進化とともに、ひとの身体経験そのものが劇的に変化しつつあることです。eスポーツを考えることは、情報化された未来の身体について考えることでもあります。今回の原稿では最後に少し触れただけですが、いずれこのことの意味を、VR技術やBMIなどとも合わせて、じっくり考えてみたいと思っています。
 




3.11から9年

早いもので東日本大震災から9年たちました。昨今コロナウイルスの関係で年度末・年度はじめの対応に追われているのですが、その慌ただしさが9年前と似ているせいで、改めて当時を思い出すことが多いです。

ウイルスとは直接関係ないのですが、先日震災関連で取材を1件お受けしました。かつてこんな論文を発表していたのですが、その内容について問い合わせがあったためです。

田中彰吾(2015)「復興のランドスケープ-東日本大震災後の防潮堤建設を再考する」『文明』第20号,81-90ページ

当時も今も東海大の文明研究所の所員を兼務しているのですが、当時は震災復興の研究プロジェクトに従事していて、心理学や身体論から貢献できるテーマとしてランドスケープ論を取り上げたのでした。とくに当時は巨大防潮堤建設が始まりつつあったので、主としてその問題を批判的に取り上げました。

当時気仙沼や陸前高田まで行って現地を歩いてみて感じましたが、この防潮堤建設は東北のランドスケープを一変させてしまうに違いないと予感しました。どうやら、その予感は本当になりつつあるようです。以下の記事を読んでいただけるとよくわかるかと思います。残念ながら読者限定記事なので会員でない方はアクセスできないようですが…。

読売新聞(2020年3月5日朝刊)
[震災9年]復興のゴールは<上>かさ上げ移転 薄らぐ絆
[震災9年]復興のゴールは<中>避難先に愛着 鈍る帰還
[震災9年]復興のゴールは<下>住民の輪で街づくり

田中のコメントは<上>に部分的に掲載されています。「復興後の街に共通するのは、現実感のなさだ」「人と風景がうまくつながっている感じがしない。人々のなりわいや暮らしになじむ街づくりを行う視点はあったか」というコメントを紹介していただきました。

ただ、防潮堤はじめ復興のあり方に批判的なことをいう前に、あの震災で命を落とされた方々につつしんで哀悼の意を表したく思います。私の拙い論文もその思いをもとに書いたものです。
 

 

2020年2月27日木曜日

レジュメ追加 (他者のような自己自身)

2019年度秋学期の大学院ゼミでポール・リクール 『他者のような自己自身』を読み始めました。リクール 、考えていることは面白いのですが、文体と思考がまわりくどく遅々として進んでいかないので、読むのに骨が折れます。途中から大学の同僚でフッサール研究者の村田憲郎先生が加わってくれて、一緒に議論しながら読み進めることで、だいぶ深く読み込めるようになってきました。

研究アーカイブのページにここまでのレジュメをアップしてあります。
序言
第3研究
第4研究

ちなみに、村田先生と私のペアで現象学を学べる環境は、なかなか得難いかもしれません。現象学、エナクティヴィズム、ナラティヴ論など、リクールに触発されていつも議論が広がっていきます。メンバーが増えていくとかなり面白い議論の場になっていきそうです。次の学期も時間を取って続ける予定ですので、関心のある方は遊びにきてください。
 
た