2024年3月15日金曜日

オンライン講座「自己の科学」(4/21)

1月に刊行された書籍『自己の科学は可能か--心身脳問題で考える』の関連イベントを、新曜社と日本心理学会、認定心理士の会の共催で行うことになりました。

日時 2024年4月21日(日) 13:00―15:00(開場12:50)
会場 ZOOMオンライン会場(定員500名・参加費無料・入退室自由)
講師 田中彰吾(司会)・今泉 修・金山範明・弘光健太郎(本書著者)

日本心理学会または認定心理士会の会員限定の企画になりますが、ご関心のある皆様、ぜひご参加ください。1月の出版記念シンポジウムでは設定されていなかった今泉さんと弘光さんの講演を聞くことができます。申込は以下のリンクから、4月16日まで可能です。


ところで、本書の販売が開始されて2ヶ月経過したのですが、不思議なことにAmazonのサイトではいまだカスタマーレビューが登録されていません。販売は堅調だと聞いています。Amazonで購入された皆さま、どうかレビューにご協力ください!

2024年3月7日木曜日

一周忌

突然二人の仕事仲間を失ってほぼ一年になります。

一人は鈴木宏昭先生。認知科学会の会長も務められた先生でした。私は「プロジェクション・サイエンス」のシンポジウムで2017年にご一緒して以来、晩年の先生とはご一緒する機会が本当に多くありました。訃報が飛び込んできたのも、認知科学会でオーガナイズド・セッションを二人で企画してそれが採択された直後でした。あまりに突然だったので、以来いまだに先生がこの世を去られた実感がわかずにいます。もしかして先生もご自身が亡くなったことを実感していないのでは、などと思うことがときどきあります。

もう一人は、東海大の同僚だった元田州彦先生です。かつて東海大に総合教育センターという部署があった頃からの付き合いでした。昨年度、10年ぶりに一緒に演習科目を担当して、学生と一緒に毎週にぎやかな議論を重ねたところでした。2023年度まで勤めると定年退職される予定だったので、第二の人生の予定を折々にたくさん聴いていました。大学の管理職から離れて好きな研究に打ち込めることを心待ちにされていて、南方熊楠の足跡を熊野に訪ねることを楽しみにされていました。

付き合いの深い方が亡くなられると、日々のふとした瞬間にその方の存在感が私の生活世界の片隅に顔を出します。鈴木先生と議論を重ねた青山学院のとある会議室にいくと今でも鈴木先生が扉の向こうから顔を出しそうな気がすることがあります。元田先生の研究室から引き取ったゴッフマンやブルデューの著作を見ていると、いかにも彼がそこに立っていて本を開きながらこちらに向かって「この箇所どう思う?」と議論をしたがっていそうな面影が浮かんできます。

こういう経験は、いわば幻肢のようなものかもしれません。ひとは四肢の一部を突然失うと、その部位のありありとした実在感を失った後も感じます。腕がなくなってもコップに向かって腕が伸びる感じがしたり、ないはずの脚で立ちあがろうとしたり、といった「身体が覚えている」経験が起こります。亡くした腕や脚で行っていた行為が、環境の知覚とともに蘇り、幻肢の感覚を生むのです。

共に生きた他者の記憶も、亡くなった身体の一部と同じで、私にとっては「身体が覚えている」経験になっています。その人とよく交わした会話や議論は、繰り返された相互行為として私の身体の奥底に堆積され、環境の知覚とともに蘇り、「その人の存在感」をありありと感じさせます。

鈴木先生も元田先生ももうこの世界にはいません。そんなことは百も承知です。ですが、他者の記憶は、たんなるエピソードではなく、彼らとの対話=相互作用=相互行為の記憶として私の身体に刻み込まれています。そして、その相互行為が埋め込まれていた環境を知覚すると、相手の存在感としてその場に戻ってくることがあります。

私は墓参りという行為をあまりしないのですが、それは、墓の前に立っても相手の記憶と存在に出会い直すことができないからです(会ったことがない歴史上の人物は別ですが)。むしろ、相手と繰り返した相互作用が埋め込まれた場所や場面に不意に出くわすとき、相手の存在が一瞬この世界に姿を現わします。それを感じる瞬間、ひとがお墓の前で手を合わせるように、思わず心で合掌せずにはいられません。

ここに記して哀悼の意を表します。


2024年3月2日土曜日

チャーチル&フィッシャー゠スミス「実存現象学的研究」邦訳

本日、第4回人間科学研究会を開催しました。ご講演いただいた奥井先生、植田先生お二人のお話の中で紹介されていたスコット・チャーチル氏の論文ですが、以下に邦訳を掲載しておきました。リンクから全文を参照いただけますのでご利用ください。

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スコット・D・チャーチル,エイミー・M・フィッシャー゠スミス著

実存現象学的研究--心理学の代案としての「人間科学」

(監訳:田中彰吾,訳:村井尚子・植田嘉好子・奥井遼)

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もともとは理論心理学のアンソロジーに掲載された論文ですが、フッサール現象学だけでなく一方でディルタイの精神科学まで遡りつつ、他方でサルトルの現象学を心理学として応用するという、なかなか重厚な内容になっていると思います。ですが、いちど方法論としての核心を掴んでいただければ心理学に限らずまさに「人間科学」全般への応用が可能なものになっていることがご理解いただけるかと思います。

現象学と質的研究について、より方法論的な理解を深めたい方はぜひご一読いただければ幸いです。


2024年2月23日金曜日

対話空間のオラリティ (3/9 オンライン)

2019年から参加していた科研費プロジェクトの成果発表となるシンポジウムが開催されることになりました。

シンポジウム「対話空間のオラリティ:オープンダイアローグ、当事者研究、相互行為をめぐって」

JSPS科研費(19KT0001)「対人援助とセラピーにおける対話実践の身体性と社会性:対話空間のオラリティ研究」(研究代表:石原孝二)
本研究はオープンダイアローグ、当事者研究、ACT(包括型地域生活支援)の対話実践を比較しながら、それぞれの効果や特徴、伝達過程などを明らかにするとともに、身体的相互作用・同期や発話の交代プロセス、対話空間の構造・デザイン、対話実践の伝播を支える社会制度や社会的基盤のあり方を考察することを目的としています。音声言語を通じて実現される共在性(オラリティ)のあり方が、対話実践の参加者にどのような影響をあたえ、そうした実践が社会制度やコミュニティのあり方とどのような関係にあるのかを考えます。本研究の終了にあたり、総括シンポジウムを行います。

2024年3月9日(土)13時~17時15分 オンライン 参加費無料
13:00-14:30
石原孝二(東京大学)
斉藤環(筑波大学)
矢原隆行(熊本大学)
井庭崇(慶應義塾大学)
13:35-15:40
浦野茂(三重県立看護大学)
田中彰吾(東海大学)
北中淳子(慶應義塾大学)
15:45-16:50
糸川昌成(東京都医学総合研究所)
向谷地生良(北海道医療大学)
熊谷晋一郎(東京大学)
16:50-17:15 クロージング

Peatix上でイベントページが開設されております。

申し込みは必要ですが参加費は無料です。
どうぞご参加ください。

2024年2月17日土曜日

自己であることと科学すること

1月20日に開催した出版記念シンポジウム「自己の科学は可能か」での議論を通じて考えたことを記事にまとめました。事後報告ですみません、1月31日にすでに新曜社のWebマガジン「クラルス」で公開されております。
 
連載 『自己の科学は可能か』出版記念シンポジウムの現場から
 
何を書いたかというと、
・あらゆる経験に「自己」は随伴していること
・それゆえ、何らかの経験を科学することは「自己の科学」であること
・とはいえ、「経験」を反省によって取り出そうとすると変質すること
・その一方で、「経験」は主体のトップダウンの構えによっても影響を受けること
・以上の条件を考慮して、それでも「同じ経験」と言いうる経験を対象とすべきこと
といったことです。

上記のポイントは、著作そのものの中では紙幅の都合でうまく書けていなかったポイントでもありますし、当日の議論に後押しされて書けたところもありますので(特にタイトルは入來先生の当日の講演に触発されています)、上記リンクからお読みいただければ幸甚です。

第4回人間科学研究会 (3/2 オンライン)

IHSRC日本開催に連動して2019年から年1回のペースで開催してきた「人間科学研究会」ですが、このたび以下の日程で第4回研究会を開催することになりました。今回は、教育学分野から奥井遼先生(同志社大学)、社会福祉学分野から植田嘉好子先生(川崎医療福祉大学)にご講演いただきます。現象学と質的研究にご関心のある皆様、どうぞ奮ってご参加ください。

第4回人間科学研究会

日時:2024年3月2日(土)14:00〜17:15,オンライン

Zoom開催(参加希望の方は事務局の田中までお問い合わせください)

14:00〜15:30 講演1

「エキスパートの生きられた経験 ――糸操り現代人形劇の現場から」奥井遼(同志社大学)

要旨:本発表では、現代人形劇を事例として、「わざ」を身につけた人における生きられた経験を記述する。発表者はこれまで京都の小さな人形劇団において、稽古や公演の場に居合わせながら参与観察を重ねてきた。その中で、稽古をするたびに舞台運びがスムーズになっていく様子や、限られた舞台装置の中で表現スタイルを模索する姿などを目の当たりにして、わざを習得することに伴う知覚の変容や、優れたわざを身につけた人ならではのものの見方を知るに至った。それは必ずしもわざの獲得や上達という単線的で量的な拡張を意味するものではない。むしろ葛藤や矛盾も含めたダイナミックな経験の質の変化にほかならない。これらも含め、本発表ではわざを遂行している人たちについての「〈生きられた〉空間や時間や世界」の「報告書」を記すことを目指す。

15:45〜17:15 講演2

「“明けない夜はない”―救急医療ソーシャルワーカーの専門性確立への途(みち)」植田嘉好子(川崎医療福祉大学)

要旨:救急医療の現場では予告なしに生命の危機状態にある患者が運び込まれ,同時に,虐待や自殺,貧困,身寄りなし、オーバーステイ、ごみ屋敷等の社会的課題も顕在化する.今回取り上げるのはこれらに対応する救急認定ソーシャルワーカー(ESW:Emergency Social Worker)の認識である。病院内外でのさまざまな対立(医療職、患者、家族、行政、地域の他機関、制度政策)をどのように乗り越え、専門職としての地位を確立してきたのか。またそれは何を目指したものであったのか。時間の猶予がほとんどない中で行っているESWの洞察や推理,判断,根拠の確かめ,逡巡や葛藤,挑戦などの実践経験の意味を、熟練ESWらへのインタビューから現象学的に明らかにしていく。


2024年1月27日土曜日

Web連載 (新曜社クラルス)

先週の出版記念シンポジウムから1週間。対面・オンラインともに結構な反響を頂いたこともあって、新曜社さんのWebマガジン「クラルス」で何度か連載記事を書かせていただく機会を得ました。早速第一弾が公開されています。
 
 
浅井さんのメモを田中がリタッチ、あとは全員で推敲、という感じであっという間に書きました。23日の夕方には公開されていましたから、とにかく早かったです。当日のこの報告を皮切りに、これから個別の著者1回ずつぐらい連載を回すことになっています。私も当日いただいた質問に答えつつ、何か書こうと思っています。
 
あと、日本心理学会と連動して新刊連動講座を4月に開催する予定で調整中です。こちらは「認定心理士の会×出版社」という連携イベントになるようです。下記ページを見ると、けっこういろんな書籍で過去にイベントが開催されているようです。
 
 
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ところで、私は休む暇なく今週も別のシンポジウムに登壇していました。事後報告ですが、記録用に掲載しておきます。

こちらのイベントは上記とはまた違った趣旨で、量子モデルの他分野への拡張を目指す趣旨のものでした(話を準備していて自己研究との重大な連関に気づきましたがそれはまたいつか)。昨日終わったところですが、内容の濃い議論の数々でじつに楽しかったです。たまたま事前に小澤政直先生と量子論&現象学の同時代的並行性についてメールでやり取りしていたこともあって、さまざまな先生方との議論を通じてとても深い学びの機会を得ました。昨日お話しした内容はこれから発展させるべき重要な仕事になりそうです。
 

2024年1月6日土曜日

シンポジウム (1/20 お茶の水女子大学)

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
昨日、無事に新刊『自己の科学は可能か』が発売されました。
 
 
関心をお持ちの方も多いようですので、出版に関連するシンポジウムをご案内します。


当日は、執筆者5名のうち3名が本文の内容紹介を行い、その後ゲスト公演、著者陣とゲストによるディスカッションと進みます。ゲストは、入來篤史先生(理化学研究所)、積山薫先生(京都大学)、苧阪直行先生(京都大学)と豪華な顔ぶれです。

本書の内容に関心を寄せる方であれば、どなたでもご参加いただけます。オンサイトとオンラインのハイブリッド開催ですので、ぜひご参加ください。

では、今年もよろしくお願いします。

2023年11月28日火曜日

お知らせ (2/2) 書籍の出版(『自己の科学は可能か』)

以下、お知らせ2件目です。こちらは新刊の情報です。

このブログでもときどき言及していますが、だいぶ前から「自他表象研究会」という場所で若手の実験心理学、認知神経科学の研究者たちと議論を続けています。その研究会の成果がようやく一冊の書物にまとまりました。

田中彰吾(編著),今泉修・金山範明・浅井智久・弘光健太郎(著)『自己の科学は可能か--心身脳問題として考える』新曜社,二〇二四年

 
カバーデザイン、かっこいいですよね。デザインの原案は浅井さん、それをプロのデザイナー重実生哉さんが整形してくれたものです。書店で平積みになってたらかなりの方が手に取ってくれそうです(書店のみなさん、ぜひ平積みにしてください!)
 
内容もかなり尖りがあって面白いものになっていると思います。本文の「とがり具合」の一端をお伝えするために目次を書き出してみます。
 
序「脳と身体とこの私」(田中彰吾)
第Ⅰ部 自己研究の現在地
 第1章 自己研究の体系的な深化のために(田中彰吾)
 第2章 身体性と物語性の架け橋(今泉 修)
 第3章 自己の証明を脳内に見つける苦闘とその失敗(金山範明)
 第4章 自己は本当に脳が作り出すのか(弘光健太郎)
 第5章 「かたち」と「わたし」│ 現実からの脱身体化と抽象空間での具象化(浅井智久)
第Ⅱ部 ディスカッション
 第6章 自己研究の此岸と彼岸

全編そうではありますが、第Ⅱ部のディスカッションはとりわけこの本でないと読めない内容をふんだんに含んでいます。自己を科学的に理解する試みの難しさと面白さが研究者の本音とともににじみ出る内容になっています。

年末または年明けに配本される予定です。お楽しみに〜


お知らせ (1/2) 共著論文 Miyahara Tanaka (2023)

しばらくのご無沙汰でした。研究プロジェクトがあれこれ同時進行なのと、所属先の文学研究科で学位論文の審査2件を抱えていて、いつもにも増して忙しなく動き回っておりました。
 
以下、お知らせが2件あります。うち1件目。
北大の宮原克典さんと共同研究していた内容がようやく論文として形になりました。手元の記録をたどると、最初に論文のプロット案を作ったのが2020年の今頃なので、かれこれ3年かかって書き上げ、投稿し、査読を受け、修正し、掲載された、というなが〜い経緯をたどった一本になります。

https://doi.org/10.1080/09515089.2023.2286281

ナラティブセルフ論を身体性の観点から理解し直す趣旨の論文です。身体は世界との相互作用を通じてさまざまな「習慣」を作り上げる存在ですが、その習慣が「語る」というナラティブ実践にも表れているのではないかという問題意識のもとで議論したものになります。身体性と物語性に関心のある方、このトピックではおそらく今後必読の論文になりますのでぜひご覧ください。