2017年1月17日火曜日

ナラティヴ・セルフと実存

以下、メモ。
ナラティヴ・セルフをめぐって、身体性の問題とどう絡めて論じるべきか思案中。

  • ブルーナー(1986)が人間の思考の様式を「論理・科学的様式」と「物語(ナラティヴ)的様式」とに区別して以来、ナラティヴは人間科学の重要な論点であり続けている。
  • ナラティヴは、さまざまな出来事を有機的な物語として結びつける点で、記憶にもとづく自己同一性の感覚を説明するのに応用されてきた(「ナラティヴ・アイデンティティ」)。→McAdams, 1993など。
  • 自己がナラティヴを通じて構成されるものだという議論に関して、次の2点を区別して考えるべきだろう。
  • 1)ナラティヴは「語り」であり、「語り手-聞き手」関係をそこに内包している(自己内の語りだとしても同様)。だとすると、ナラティヴが形成する自己(ナラティヴ・セルフ)は必ず「関係的 relational」である。「私」は、聞き手との関係において構成される存在である。→ガーゲン「Relational Self」,ハーマンス「Dialogical Self」
  • 2)ただし、ナラティヴ・セルフが「関係的」であることは、それが聞き手との関係のみに依存して作られることを意味しない。人生には、誕生・病・死のように、「語り尽くせない出来事」が含まれる。また、それらをめぐって、人はみずからの「実存的感覚 existential feeling」を保持している。→ラトクリフ「existential feeling」
  • 実存的感覚は語り尽くせず、ナラティヴにそのすべてが反映されるわけでもない。にもかかわらず、人はそれについて語るよう差し向けられている。「ナラティヴ・セルフ」を個的実存まで掘り下げて概念を拡大する必要がある。