2019年12月27日金曜日

人間科学研究会

2021年7月に東京で開催されるInternational Human Science Research Conference(人間科学研究国際会議)の準備のため、以下の通り研究会を開催しました。

人間科学研究会
日時:2019年12月25日(水),13:30-18:00
会場:大田区産業プラザ(PiO)  https://www.pio-ota.net/

報告者
01) 田中彰吾(東海大学)「IHSRC 2021に向けて」
02) 渡辺恒夫(東邦大学)「過去のIHSRCでの報告内容」
03) セビリア・アントン(九州大学)「教育倫理学の質的研究」
04) 河野哲也(立教大学)「2021年大会での企画」
05) 奥井遼(同志社大学)「わざの現象学に向けて-IHSRCでの体験」
06) 玉井健(高知リハビリテーション専門職大学)
07) 村井尚子(京都女子大学)「教師の専門性と教育的タクト」
08) 佐々木英和(宇都宮大学)「会話型社会と手紙型社会」
09) 植田嘉好子(川崎医療福祉大学)「対人支援領域における現象学的研究」
10) 北谷幸寛(富山大学)「研究紹介(安楽に関する研究)」
11) 吉田章宏(東京大学)「A record of Akihiro Yoshida's participation in IHSRC」


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以上、事後報告ですが、研究会の開催記録としてここに掲載しておきます。(なお、手元のメモに沿って記録したので、発表タイトルが必ずしも正確ではない場合があります。タイトル情報の修正をご希望の先生は随時情報をお寄せいただけると助かります)
 
今回は、IHSRCに参加経験のある方々中心にお声がけをして、参加者は全員発表するという形式で実施しました。第1回の準備会合としては大変有意義な交流の場になったと思います。
 
東京大会に向けて、学会でのシンポジウム企画等も含めて、今後も準備イベントをいろいろと開催する予定です。関心のある皆さまは、ぜひ2021年IHSRC東京大会にご参加ください。今後も関連情報をこのブログでも発信していきます。
 


2019年12月11日水曜日

現象学入門:増刷決定!

宮原克典さんと共訳・出版したコイファー&チェメロ『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』(勁草書房・2018年)の増刷が決まりました。読者のみなさま、暖かいご支援をいただき、ありがとうございます!

本書、初版は1500部印刷していたのですが、発売から約1年半で増刷500部までこぎつけました。かなり好調な売れ行きらしいです。

ちなみに、先日、離人症の書籍リストを作ってくれた芹場輝さんから連絡があり、本書の書評をいま書いてくれているとのことでした。どんな書評になるのやら、楽しみにしています。

現象学の未来に関心のある方も、認知科学の未来に関心のある方も、引き続き本書をご愛顧いただけますと幸いです。
 

 

2019年12月10日火曜日

ISEAP パネル (12/15 明治大学)

今週末、明治大学で東アジア哲学の国際会議があります(International Society of East Asian Philosophy, ISEAP 2019)。そちらで立教大学の河野哲也先生のオーガナイズによるパネルに登壇します。テーマはIntercorporeality(間身体性)です。

"Proposing new perspectives on "intercorporeality" from East-Asian philosophical viewpoint"

Chair: KONO, Tetsuya
Speakers:
- KONO, Tetsuya (Rikkyo University): The concept of Ma and Manai in Zeami and Munenori Yagyu
- ITO, Takayuki (International Research Center for Japanese Studies): Chinese philosophy, history of pre-modern Chinese thought, cultural interaction in East Asia
- TANAKA, Shogo (Tokai University): Intercorporeality and Aida: An alternative view of social understanding
- INUTSUKA, Yu (University of Tokyo): Individuality and sociality of the subject in Merleau-Ponty and Watsuji

このメンバーでの共演はもう三年連続になります。河野先生、伊東先生とは2015年から数えるとさらに長くて五年続きです。しかも、2015年の京都カンファレンス、2016年の国際心理学会議、2017年の国際理論心理学会、2018年の世界哲学会…と、すべて国際会議です。現象学、中国哲学、日本哲学、心理学というなんとも「なんでもあり」なチーム編成なのですが、しかし根っこで「心身問題」という共通の問題意識があるので、議論はいつも不思議と噛み合った様相を呈します。伊東先生だったかな、このメンバーでの議論を「異種格闘技のような緊張感と面白さ」と評していたのは。
  
この手の議論を日本語でやろうとすると、同じ言葉でも業界ごとの使い方の違いとか、分野による手垢のつき方の違いとかで、かえって細かいことが気になって議論にならない気がします。母国語でできないつらさはありますが、英語の議論はもとのコンテクストから解放される自由な感じがあって、いいものです。
 
というわけで、今年も異種格闘技の準備をしますか…
 

 

2019年12月9日月曜日

ポスト身体性認知

先日、青山学院の鈴木宏昭先生の研究会でお話する機会がありました。

プロジェクション・サイエンスを推進している研究会だったのですが、そこで初めて「ポスト身体性認知」というテーマで話してきました。現状の身体性認知科学の研究は、一見すると華やかに流行しているように見えますが、アプローチが一面的なのでいずれ行き詰まるのではないかと思っています(思考や言語処理などの高次認知が身体性や身体経験に依存していることを示す研究が大半を占めているという意味です。ダイナミカルシステムやアフォーダンスのような方法論そのものが行き詰まっているという意味ではありません)。
 
それで、プロジェクション・サイエンスの話を認知科学会のシンポジウムで聞いたときからずっと、現状の身体性認知研究を打ち破る方向性と、プロジェクションという概念を関連づけることができるのではないかと漠然と感じていたのですが、そのアイデアについて初めてまとまった内容の話をしてきました。じつはプロジェクションという概念をメルロ゠ポンティも使っていて、この点を注意深く考えると現状の身体性認知で取られている主要なアプローチを超えていく方向性を示せそうなのです。
 
詳細はいずれ、プロジェクションに関連する書籍のなかに1章として収められることになると思います。1月末が原稿の締め切りらしいのですが、間に合うことやら…
 

 

2019年12月3日火曜日

現象学の定義23 (Yoshida 2020)

現象学的心理学/教育学で知られる吉田章宏先生からご連絡をいただきました。

以前、カンザス州立大学のDavid Seamon氏が集めた現象学を定義する23の短い英文があるのですが、それを吉田先生が日本語に訳されたそうです。Seamon氏が発行する電子ジャーナル「Environmental & Architectural Phenomenology」に近く収録されるそうですが、一足お先に翻訳部分のPDFをここでご紹介しておきます。以下のリンクからどうぞ。

Yoshida, A. (2020). Japanese Translation of “Twenty-Three Definitions of Phenomenology”. Environmental & Architectural Phenomenology, 31, 29-36

こうしてみるとすべて現象学の定義に確かになっているとは思うものの、光の当て方がさまざまで見え方もさまざまなので、「Phenomenology」と言わずに「Phenomenologies」と言うべきかもしれませんね。




2019年11月18日月曜日

リクール『他者のような自己自身』を読む

大学院のゼミでポール・リクール『他者のような自己自身』を読むことにしました。

2年前に出版した単著では主にミニマル・セルフの問題を取り上げていたのですが、出版の前後からナラティヴ・セルフのことを考えるようになりました。このブログの過去記事を見ても、2017年の1月に「ナラティヴ・セルフと実存」というメモを書いていますね。

ギャラガーが2000年の論文で自己を論じた際、思い切ってミニマルとナラティヴの二種類に区別していますが、私としてはこの二つがどのように連続しているのかが気になっています。単純に理論的な問題としては、ミニマルは最小の時間幅で成立する自己で、現在の身体行為があればそれで十分です。身体行為にともなう主体感と所有感があれば自己が成立する、とされています。

他方、ナラティヴ・セルフは、時間的な広がりがないと成立しません。それは、自分について語られる各種の物語から構成されています(他者が私について語る物語も含みます)。ただ、このような説明をすると、どうしてもナラティヴ(物語)だけが焦点化され、身体性の問題が背景に退いてしまいます。

ナラティヴは他者との社会的関係のなかで言語的に語られることで成立します。しかしそれだけが解明すべき論点になると、いわゆる社会構築主義の枠組みだけで議論が終わってしまい、「語られる物語に応じて自己も構成される」という一種の相対主義に陥ります。こういう陥穽を避けるには、身体性から連続するものとしてナラティヴ・セルフを捉えなおす必要があります。

このあたりのことは、7月に開いたエンボディードアプローチ研究会でも議論しました。2018年11月の質的心理学会でも議論しましたし、2017年8月の国際理論心理学会でも議論しました。…が、まだ解明しきれないものがたくさん残っています。

リクールはナラティヴ・アイデンティティについて深く論じていますが、身体行為として成立する自己の次元を踏まえているので、ミニマルとナラティヴの連続性を理解しているように見えます。…そういう理由で、改めて時間をかけてきちんと読み込むことにしました。

ちなみに、ゼミは毎週木曜の夕方に開講しています。一緒に読んでみたい方は遊びに来てもいいですよ。ナラティヴに関連する研究をしているけど、どこか腑に落ちないものを感じている人にとってはうってつけの内容だと思います。
 
 

2019年10月28日月曜日

プラハにて

出張でチェコのプラハに来ています。

以前から交流のあるチェコの研究者にマルティン・ニーチェさんという友人がいます。哲学業界の方なら一度お会いすると忘れがたい名前でしょう。(マルティン)ハイデガーとフリードリッヒ(ニーチェ)を同時に連想させる名前ですからね。

今年の冒頭に彼から連絡があって、チェコ科学アカデミー(日本の学振みたいなところです)でアジアの研究者を招聘する新しいグラントができたので応募しようと思うが協力する気はないか、との問い合わせでした。せっかくのお誘いなので書類作りだけサクサクっと協力したら申請がめでたく通ってしまったのでプラハまでやって来ました、という次第です。3年ぶりに来ましたが、やはり美しい街です。

それで、科学アカデミーの哲学研究所にて「あいだ」の話をしてきました。ニーチェさんが数年前から「transitive (推移的・移行的)」というキーワードで現象学を組み立てようとしているのに呼応したものです。彼は自己と世界がともに絡み合いつつ生成するはざまの空間をtransiveという言葉でとらえているので。

私はメルロ゠ポンティの間身体性の話から始めて、間身体性がどのように間主観的に共有可能な意味の経験を生じさせるのか、それは木村敏がいう「あいだ」の概念によってどのように説明できるのか、「あいだ」の生成が自己と他者のはざまで共有可能な最初の社会的規範を生じさせること、「あいだ」の観点からすると他者理解は他者の知覚という一階の経験が判断という高階の経験へと高められる経験であること、等々の話をしてきました。

で、ひととおり仕事が終わった後で個人的に話をしていて笑ってしまいました。彼と私は歳が近いのですが、職場で部局のヘッドを今年から任されているのだとか。私も昨年からやむなく部署の主任をやっているのですが、管理職のストレスのせいでけっこう太ったのです(言い訳ではなく事実です)。とくに腹のでっぱりが気になる典型的なおっさん体型になりました。彼もしばらく見ないうちに見事なビール腹になっていました(チェコはビールがうまいのでなおさら?)。事情を聞いたら私と似たり寄ったりのストレスを抱えているようで、なんとも笑えました(管理職の辛さには同情を覚えましたが…)。お互い、よく似たしかたで職場のストレスに対処しているんでしょう。

これもまた人と人との「あいだ」の問題といえばそうなのですが、あいだはシステムとしての自律性を持つので、問題への対処は個人の努力だけではなかなかうまくいきませんね。
 

 

2019年10月16日水曜日

意識の科学の冒険 (11/9-10 北大札幌)

こんなご案内をいただきました。
 
「意識の科学の冒険:哲学・脳科学・AI・ロボット研究のクロスオーバー」
(2019年11月9-10日,北海道大学札幌キャンパス,医学部学友会館フラテホール)
 
  
意識をめぐって、二日にわたって豪華メンバーによる講演がずらっと並んでいます。今朝職場のメールボックスをあけたら、上記ポスターが届いていたのでご紹介した次第です。個別に郵送して周知するあたりがすごい気合の入りようですよね。あれ、というか、私も北大に設置されるこの新しいセンター(人間知×脳×AI研究教育センター・CHAIN)と学外で連携するメンバーということらしいので、ポスターを通じて周知にご協力を、という趣旨なのかもしれませんね。

いずれにしてもみなさま、センターの設立記念にふさわしい一線の研究者が集うイベントなので、札幌に足を伸ばしてみてはいかがでしょう。田中は残念ながら同日に別件の研究会があって行けないのですが…
 
た 
 

2019年9月24日火曜日

記念すべき1本 (田中・浅井・金山・今泉・弘光 2019)

以下のレビュー論文が早期公開されました。
田中彰吾・浅井智久・金山範明・今泉修・弘光健太郎(2019)「心身脳問題ーーからだを巡る冒険--」『心理学研究』doi.org/10.4992/jjpsy.90.18403(12月発行予定の90巻5号に掲載予定です)
 
リンクからPDFをダウンロードできますので、ぜひご覧ください。この論文は、2018年3月に開催した国際シンポジウム「Body Schema and Body Image」からのスピンオフです。浅井さん、金山さん、今泉さん、弘光さん、それぞれに発表いただいた内容を私のものと合わせて1本のレビュー論文としてまとめました。
 
共著者の皆さんとは2015年から折に触れて研究会を開催しながら議論を重ねてきたのですが、それがこうして論文にまとまるのは、とても感慨深いものがあります(皆さんありがとう)。全員依拠する分野が少しずつ異なっていますが(実験心理〜神経生理〜神経心理〜哲学)、身体に関心があって、身体と脳の関係を理解し、身体・運動から見えてくる自己を解明しようとする点では共通の問題意識を持っています。議論をすると時間を忘れて熱中することもしばしばです。そんなメンバーで共著論文を書くのは、とても刺激的な経験でした。
 
内容は、19世紀末に始まった身体意識研究の歴史的展開を振り返り、理論的展開をたどりつつ、現代の科学的研究に接合することを企図しています。Body SchemaとBody Imageが鍵になる概念として登場しますが、身体所有感、運動主体感、(ミニマルな)自己とのつながりも論じています。心身問題ではなく「心身脳問題」という術語も、このあたりの問題意識を示唆するこの論文ならではの工夫になっているかと思います。
 
多くの人が参照してくれるレビュー論文になってくれることを祈りつつ、世に送り出したいと思います。
 

 

2019年9月8日日曜日

雑誌『臨床心理学』に寄稿しました

明日発売になる雑誌『臨床心理学』第19巻第5号(金剛出版)に寄稿しました。オープンダイアローグ(フィンランド発祥の精神疾患への対話的介入法)の特集号で、田中は「対話する身体」というタイトルで短い原稿を寄せています。
 

以下、寄稿部分の目次です。

田中彰吾「対話する身体――生きた経験」
 Ⅰ はじめに――対話を支える身体性
 Ⅱ 間身体性、コミュニケーション、他者理解
 Ⅲ 対話の場の生成

私はオープンダイアローグの現場を見学したことがないので、提唱者のセイックラ氏の論文や著作を参考にしながら「対話」を支える身体性について考察しました。だいぶ前から一瞥しただけで積読状態になっていた氏の著作をこの機に読み直してみて、オープンダイアローグがとても効果的な対処法であることは十分に理解できました。自分がそこにいることが無条件に肯定されている、と疾患の当事者が感じられるような場づくりのヒントをたくさん備えているのですね。私は身体性の観点から多少なりともそのようなヒントを読み解く努力をしてみました。ご一読いただけると幸いです。




2019年8月29日木曜日

現象学入門:発売から1年

宮原さんと翻訳したコイファー&チェメロ『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』(勁草書房・2018年)の刊行から1年がたちました。先日、担当の編集者だったDさんから売行きについてご連絡をいただきました。あまり細かい数字は書けませんが、刊行から1年で1100部ほど売れているそうです。

ご購入いただいたみなさま、ありがとうございます。入門書とはいえ、この手の哲学書は平均的には数年で2000部ぐらいしか売れないものなので、予想以上に多くの方に手に取っていただいたことを嬉しく思っています。

ちなみに、昨日・一昨日と著者の一人アントニー・チェメロさんに初めてお会いしました。立教大学で開かれた「Radical Embodied Cognition」というワークショップでご一緒したのですが、さすがに自分で訳したいと思った本の著者だけあって考え方も近く、意気投合する出会いでした。

そのとき彼から聞いたことの中には、本書のバージョンアップ情報も含まれていました。本書は英語版も評判が良かったらしく、共著者のコイファーさんと第二版を準備しているそうです。今までにあるようでなかったタイプの入門書で(例外はギャラガー&ザハヴィの『現象学的な心』ですが、こちらは入門書というほど読みやすくありませんでした)、心の科学の未来を開く視点で現象学を紹介しているので、わくわくしながら読んだ読者が多かったのではないでしょうか。

第二版、もちろん日本語に訳して紹介したいところではありますが、実現するにはこのまま順調に売れ続けてくれないと難しいのかもしれません。引き続き、みなさまのご声援をいただけると幸いです。


 

2019年8月24日土曜日

9月の予定(3):心理学会

その3。
今年も日本心理学会で現象学系のシンポを開きます。しかも今回は大会委員の森岡正芳先生のご尽力で大会準備委員会の企画シンポとして開催していただけることになりました。

日本心理学会第83回大会
立命館大学大阪いばらきキャンパス
2019年9月13日(金) 09:30-11:30 第三会場 AC130
シンポジウム「心理学と現象学-その関係の過去・現在・未来」
(企画)森岡正芳
(話題提供)森岡正芳(立命館大学)・渡辺恒夫(東邦大学)・田中彰吾(東海大学)
(指定討論)村上靖彦(大阪大学)・Jaan Valsiner(Aalborg University)

なんとも豪華なメンバーですね(私はともかく)。
こちらも公開企画なので、一般の方も来場できます。

ヴァルシナー先生とお会いするのは2年ぶりですが、このテーマでどんなことをコメントしてくれるのか、けっこう楽しみにしています。田中は現象学と近年の認知科学について、とくに身体性認知の問題を話すことになると思いますが、彼の立場である文化心理学との接点については以前から考え続けている論点なので、自分の考えを深めるいい機会になりそうです。

とはいえ、まずは一般の皆さま向けにわかりやすい話にしなくてはなりませんね。できるだけ予備知識なしでもわかる話にしたいと思っています。


 

9月の予定(2):体育学会

その2。
久々に日本体育学会におじゃまします。

日本体育学会第70回大会・公開シンポジウム
「テクノロジーの進化と体育・健康・スポーツ科学:eスポーツを題材に」
9月11日(水) 15:00-17:00 (慶応大学日吉キャンパス)
http://lib-arts.hc.keio.ac.jp/event/754

基調講演:Darlene A. Kluka(国際スポーツ体育協議会副会長)
「Technological evolution and physical education, health and sport sciences」

シンポジスト:
・佐藤晋太郎(早稲田大学)「eスポーツに関する研究動向と教育機関におけるプログラム化の現状」
・田中彰吾(東海大学)「身体性哲学からみるeスポーツ」
・秋吉遼子(東海大学)「eスポーツと体育・健康・スポーツ科学の接点とは」
 

お題は「eスポーツ」。今までちゃんと考えたことがないテーマではありますが、これを機に学んでみます。eスポーツといってもいろんなゲームがあるのでひとまとめにできない可能性もありますが、ビデオゲームに媒介された身体性に特有の論点はいくつかありそうにも思います。公開シンポで誰でも参加可能なようなので、ご関心のある方はぜひ。慶応大学日吉キャンパスにて。
 
 

 

9月の予定(1):認知科学会

来週のトークの準備もまだできていませんが、すでに決まっているその後の登壇予定をご紹介。その1。

日本認知科学会・第36回大会(静岡大学浜松キャンパス)
オーガナイズドセッション08「プロジェクションの理論とモデルへ向けて」
https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2019/timetable.html#os6,8,9,10
9月7日(土)  12:45-15:15

オーガナイザー:嶋田総太郎(明治大学),久保南海子(愛知淑徳大学),川合伸幸(名古屋大学)

OS08-1 物語的自己とプロジェクション
嶋田総太郎(明治大学理工学部)
OS08-2 プロジェクションから考える「ふり遊び」
田中彰吾(東海大学)
OS08-3 対人関係に関する心理療法におけるプロジェクションの活用
三島瑞穂(宇部フロンティア大学)
OS08-4 実環境に存在しない他者をプロジェクションする -他者が実在しなくても,プロジェクションによって社会的変化が生じる-
中田龍三郎(名古屋大学大学院情報学研究科),川合伸幸(名古屋大学大学院情報学研究科)
OS08-5 身体のメンタルモデルと身体所有感の変化が痛み知覚に与える影響
松室美紀(立命館大学 情報理工学部),三浦勇樹(立命館大学 情報理工学研究科),柴田史久(立命館大学 情報理工学部),木村朝子(立命館大学 情報理工学部)
OS08-6 モノマネにおける投射とその共有
久保(川合)南海子(愛知淑徳大学 心理学部)

プロジェクション・サイエンスのセッションが認知科学会で組まれるということで、しばらくぶりに明治の嶋田先生とご一緒します。2017年の冬に認知科学会のシンポに呼ばれて話をさせていただいたのですが、1日話を聞いているうちに、身体性とプロジェクションの関係を考える格好の現象として幼児のふり遊びがあるのではないかと思い、この機に考えたいと思ったしだいです。「ふり遊び」、じつは現実とイマジネーションの関係が背後に控えていてなかなか壮大なトピックなのですが、今回はその初回ということで、問題の入り口について理論的な整理を試みてみます。
 

 

2019年8月4日日曜日

Radical Embodied Cognition (8/27-28 立教大学池袋)

例によってイベントのお知らせ。約3週間後、立教大学で以下のイベントが開催されます。
 
Workshop: Radical Embodied Cognition
2019年8月27日(火)-28日(水)
立教大学池袋キャンパス本館1204教室
 
プログラム
8月27日
10:00-12:30
Ryosaku Makino : “How to co-operate daily activity between disabled person and his family”
Haruka Okui : “The Interactive Body Schema in Japanese Puppetry”
XU Zhu : “Embodied Belief and Self-knowledge”
13:30-17:00
Jean-Michel Roy : TBA
Ryoko Nishii: “Touching the body at Death: Muslim-Buddhist co-existence in Southern Thailand”
Shoji Nagataki : Facial and behavioral expression as a clue to understanding other minds: from a philosophical and an experimental viewpoint
 
8月28日13:00-18:30
Anthony Chemero : “Radical Embodiment and Real Thinking”
YU Feng : “Skill, Practical Wisdom and Motor intentionality”
Takayuki Tomono: “Does passing-through behavior change when you try to pass through two people while their gaze is or is not directed to you?”
Satoshi Sako :  “Projection as a Way of Embodied Learning ― On Metaphor and Abduction”
Shogo Tanaka : “Motor learning and body schema/image distinction”

 
田中は二日目の最後に登壇します。「Motor learning and body schema/image distinction」(運動学習と身体図式/イメージの区別)というタイトルでお話しします。ただいま、身体図式と身体イメージで論文を執筆中なので、それをそのままタイトルにしました。安易なやり方で申し訳ないのですが、発表と執筆を同時進行にしておかないと、仕事が多すぎて手が回らないのですよね…。

ところでこのイベント、新学術領域の「顔・身体学」の主催なんですね。秋にこの領域での科研費の公募があるので、次こそは申請したいなと思っています。このサイトをちょくちょく訪れてくれる研究者の方々、一緒に面白い企画を考えてみませんか?
 
 

2019年7月16日火曜日

IHSRC 2021 Tokyo

先月末、ノルウェーのモルデで開催された国際会議 (38th International Human Science Research Conference) に参加してきました。

モルデは北緯62度、しかも訪れた時期が夏至直後ということで、夜らしい夜がなくほぼ白夜に近かったです。初めての経験だったのですが、1週間現地にいるとかなり疲れました。というのは、深夜もずっと空が明るくて、ホテルのカーテンもなぜか薄く、眠りについても明け方まで何度も目が覚めてははっとして時計を見る、ということを毎晩繰り返していたからです。明るさ〜暗さのサイクルがいつもと違うので、「何時間寝たか」というのが覚醒時の明るさで直感的にわからないのですよね。

それで、表題の件です。昨年の大会に行った時に東京での開催を関係者に話してみて好感触だったので、今回は正式にビジネスミーティングで2年後の東京開催について提案してきました。…で、めでたくその場で承認されました!「東京開催なら参加したい」との声も複数寄せられ、とても好感触でした。北緯62度の街まで足を伸ばした甲斐がありました。

この学会は、現象学を中心とする人間科学、とくに心理・教育・看護・福祉などの関連分野の方々が集まって議論している場所です。現象学に由来する質的研究を実践する研究者が集まる学会としては、国際的にはもっとも長い伝統を持っていると思います。隔年で北米とヨーロッパを往復して開催されていて、アジアでは過去に一度だけ2001年に東京で開催されています。次の2021年は20年ぶり二度目のアジア開催、しかも40回目という記念すべき回になります。

これから準備が大変になりそうですが、関連する研究分野のみなさまは期待してお待ちください。日本で蓄積されている研究成果を国外に発信する貴重な場になることと思います。現役の研究者だけでなく、大学院生にも発表の場を広く開放したいと思っています。


 

2019年7月3日水曜日

合同研究会案内 (7/27 明治大学駿河台)

以下の通り、7月27日(土)に明治大学にて研究会を開催することになりました。今回は質的研究との接点で現象学について考えてみます。2016年に田中・渡辺・植田のチームで翻訳・刊行したD・ラングドリッジ『現象学的心理学への招待-理論から具体的技法まで』(新曜社)がとても近いテーマを扱っています。質的研究にご関心のあるみなさま、広くご参加をお待ちしております。
 

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心の科学の基礎論研究会(第85回)&エンボディードアプローチ研究会(第8回)・合同研究会

<シンポジウム「質的研究のための現象学とナラティヴ心理学」>
質的研究にかかわる研究者や臨床家のあいだでは、現象学もナラティヴ心理学も、一人称的観点からの語られる経験の記述を重視する方法として受け入れられてきた。現象学は、先入見を除いてありのままの経験に接近することを重視する。ナラティヴ心理学は、当事者による経験についての語りを内在的に理解しようとする。研究の焦点に違いはあるものの、「人々が経験していることの意味」の解明を目指している点では共通していると思われる。このシンポジウムでは、理論、臨床、事例研究など、それぞれが依拠する観点から現象学とナラティヴ心理学を論じ、質的研究における両者の交流を促進する機会としたい。

日時:2019年7月27日(土),14時〜17時
場所:明治大学駿河台キャンパス,研究棟4階・第1会議室
(https://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html)

プログラム
 司会:植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
 14:00-14:10 趣旨説明:田中彰吾(東海大学)
 14:10-14:50 話題提供1  田中彰吾(東海大学)
  「ナラティヴ・アイデンティティと現象学的研究」
 14:50-15:30 話題提供2  渡辺恒夫(東邦大学)
  「「コミュ障」の批判的ナラティヴ現象学」
 15:30-15:50 休憩
 15:50-16:30 話題提供3  セビリア・アントン(九州大学)
  「自覚のための教育—ライフ・ストーリー面談とナラティヴ・セラピー面談の比較研究」
 16:30-17:00 ディスカッション
  指定討論者:森直久(札幌学院大学)

講演要旨
1)「ナラティヴ・アイデンティティと現象学的研究」田中彰吾(東海大学)
 よく知られるように、ナラティヴの概念は認知心理学者のブルーナーが1980年代に提起したもので、「ナラティヴ様式」は科学的研究を支える「論理-科学的様式」には還元できないとされる。この主張は、人間行動の科学的法則を探る量的研究とは区別して、人々の発する語りにもとづく質的研究を促進するものになっていた。ここから各種のナラティヴ・アプローチが派生することになるが、この発表で着目したいのは「ナラティヴ・アイデンティティ」の概念である。哲学者のリクールは、人々がみずからの人生について物語る行為が、物語の主人公としての自己アイデンティティを構成する点に注目している。人生を語るナラティヴには、自分の生きてきた過去を振り返り、将来の生き方の可能性をさぐることで、時間的に一貫した自己を構成する作用がある。現象学的心理学のラングドリッジは、リクールの考えを発展させ、社会的文脈との関係で語られざるままにとどまっている自己を読み解く方法を「批判的ナラティヴ分析(Critical Narrative Analysis, CNA)」として提唱している。この報告では、ブルーナーとリクールの考えを再度整理したうえで、CNAを中心としてナラティヴ心理学と現象学が連携する質的研究のあり方について考察する。

2)「「コミュ障」の批判的ナラティヴ現象学」渡辺恒夫(東邦大学)
 現象学とナラティヴ心理学は両立不可能と見なされることが多いが、リクールとラングドリッジの批判的ナラティヴ分析に基づいて考案された「批判的ナラティヴ現象学」では、現象学とナラティヴ分析が「地平融合」の過程で互いに収斂することを、「コミュ障」研究を通じて示す。このスラングは若い世代によって、「非社交的」「対人スキルに乏しい」を意味する自嘲語として広く用いられている。本研究(渡辺、2019)では社交上の困難を訴えてオンライン上の援助を求め、読者がアドヴァイスする4事例が検討された。ナラティヴ分析によって全テクストは「垂直的ナラティヴ」対「水平的ナラティヴ」に分類された。前者では問題の原因が当事者の意識外に求められるため専門家の介入を要する。原因を「資本主義的生産様式」や「脳の不調」に求めるマルクス主義的ナラティヴや医科学的ナラティヴが代表だ。水平的ナラティヴでは原因は地平(=視座)が違えば異なる相を見せる。読者とのやり取りの過程を通じて多くの「水平的ナラティヴ」に接することで自尊感情を回復し、重要な自己洞察に達する例に、現象学的な「地平融合」が認められる。

3)「自覚のための教育―ライフ・ストーリー面談とナラティヴ・セラピー面談の比較研究」  セビリア・アントン(九州大学)
 森昭(1915-1976)は戦後の日本教育学会を主導した教育哲学者のひとりである。森はプラグマティズムと実存主義を調和させ、その上に人間科学(特に発達心理学)を加え、「教育人間学」のアプローチを確立した。そのアプローチは教育における「自覚」「覚醒」を強調したが、その方法は「ナラティヴ教育学」と言える。森は二つの異なるナラティヴ教育を要求した―全体的なナラティヴ・アイデンティティのための教育、および、より流動的・偶然的なアイデンティティのための教育である。本発表において、私は、以上の二つのナラティヴ教育に相当するナラティヴ面談を考察したい。第一は、Dan McAdamsの「ライフ・ストーリー面談」(2008)である。理論的に見て、これは森の発達的教育論に類似している。第二は、マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンのナラティヴ・セラピーである。この方法は、教育カウンセリングにも応用されており、森の後者のナラティヴ教育に近い。私はこれを、Critical Narrative Analysisに類似した形で質的研究の面談として使えるものと考えている。以上をふまえ、最後に、ナラティヴ教育の授業(大学院)で取得した、両面談の(準備段階の)データを比較し、この二つのナラティヴの具体的な相違点と類似点を検討したい。
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2019年7月1日月曜日

立正大学哲学会 (7/6 立正大学品川)

またしばらく放置していたら月が変わってしまいました。
今週土曜日に以下のイベントがあります。

立正大学哲学会・2019年度春秋大会
2019年7月6日(土) 13:30-18:20
立正大学品川キャンパス 9号館地下2階 9B23教室
 

16時から武内大先生の講演「星の魔術-現象学的元型論の展開」があり、田中はそこで特定質問者として登壇します。

現象学とユング心理学の関係は、大学院生のころにずいぶん考えたのですが、その後ずっと放置していました。今になってまた考え直すことになるとは…。諸般の事情で準備の時間があまり取れないので、当日ご講演を伺いながら元型について久々に考えたいと思います。知覚的現実と想像的現実の関係が焦点になりそうな予感がしますが、どうなることやら。
 

 

2019年6月3日月曜日

取材3件

昨年末から年度末にかけて、取材を受ける機会が複数ありました。普段はインタビューする側として研究用のデータを収集しているのですが、インタビューされる側に回ってみるとそれはそれで新鮮ですね。いろいろと質問してくれる相手がいることで、自分の頭の中で十分に整理できていなかったことが、うまく言葉になって口を突いて出てくる場面が何度かありました。こういうのは明らかに、コミュニケーションがもたらす「創発」の一種なんだと思います。

取材内容が記事になって公表されているので、メモを兼ねて以下に記録しておきます。

1a) TechTech 〜テクテク〜 No.35
私の母校、東工大の広報誌です。「博士たちのキャリアデザイン論」という大学院進学希望者向けコーナーに登場しています。大学院入学当時から今までの研究履歴をものすご〜く手際よくまとめていただきました。自分ではこんなに簡潔にはまとめられないです(笑
https://www.titech.ac.jp/about/overview/pdf/techtech35.pdf

1b) 東工大ホームページ「研究者への第一歩」
なお、上の記事を拡充した内容のものが東工大のホームページにも収録されています。
「身体にもとづいた人間科学を追い求めて」(田中彰吾)
https://www.titech.ac.jp/graduate_school/first_step/career_design_tanaka.html

2) 人材応援 vol.8
先端科学と社会をつなぐ企業「リバネス(leave a nest)」の機関紙「人材応援」です。組織や人材開発に関係する研究を進めている研究者としてご紹介いただきました。同社の江川伊織さんからインタビューを受けたのですが、的確な質問をしてくれるので私もいろいろ気づきがあって楽しかったです。
「人と組織の探求者 23 :言葉を使わずに伝わる「何か」を身体から解き明かす」(田中彰吾)
https://lne.st/business/publishing/jinzai/

3) RESEARCH@TOKAI+ (特別号)
東海大の研究関連のパンフレットです。所属先の案件なのでいちばん気楽に受けられるはずなのに、インタビューとしてはこれがいちばん難しかったかも。松前賞を受賞された他の先生方が医学系なので、そうした人たちと並んだときに何を回答すると分かりやすく自分の研究の重要性を伝えられるのだろう…と考えてしまいました。
https://www.u-tokai.ac.jp/research/research_activities/reserch_at_tokai/

というわけで、これからも取材されるに値する研究を続けられれば、と思っています。それが目標ではないにせよ、「話を聞きたい」と思ってもらえるような魅力のある研究をしたいものです。
 



2019年5月24日金曜日

もうすぐ発売:Thinking about Oneself

更新できないうちにまた1ヶ月たってしまいました。GWは依頼原稿と研究費の申請書を書いているうちにあっという間に過ぎてしまい、気づけば元号も変わっていました…

それで、今回の更新は新著の案内です。友人のルカ・タテオ氏編集による以下の書籍がもうすぐ発売になります。先ほどチェックしてみたら、すでに書影つきでアマゾンのページができていました。

 


タイトルから伝わる通り、リフレクション(反省)がテーマの一冊です。教育や看護のような対人支援領域ではリフレクションを実践に取り入れることが近年盛んになっているようですが、そういう動きとも一脈通じている書物です。というのも、アマゾンの内容紹介にもありますが、行為と対立する作用として反省をとらえるのではなく、具体的な行為のなかに反省を置き直し、生活世界や心的機能のなかで反省が持つ意義を多角的にとらえたものだからです。

最初に原稿を送ったのが2年ぐらい前で、査読&改訂が終わったのも1年以上前でしたから、ずいぶん時間がかかりました。こういう共著ものって、結局早く原稿を出しても他に遅れる人がいるから、たいてい当初の出版予定より後にずれ込むのですよね…。まあ、でも、ちゃんと出版されるところまで話が進んだので安堵しています。担当箇所はこんな感じです。

Shogo Tanaka 
Chapter 9: Bodily origin of self-reflection and its socially extended aspects
 9.1 Introduction
 9.2 Body-as-object for oneself
 9.3 Body-as-object for others
 9.4 Empathy as a socially extended self-reflection
 9.5 A missing part of “me”: Self-reflection and social anxiety
 9.6 The place of beginning
 9.7 Conclusion

反省は基本的には「私が私の経験を振り返る」作用ですが、自己自身を客体化する二重感覚のような身体的経験(自分の手で自分の体に触れる経験)のなかにその萌芽を含んでいます。ただ、以前著作のなかでも論じたように(『生きられた〈私〉をもとめて』第3章)、そのような経験は他者によって客体化されることで初めて動機付けられます。なので、反省するという作用は、「私が私を客体化する」以前に「他者が私を客体化する」という経験にさかのぼって基礎づける必要があります。…といったことを考えていくと、たとえば5節で論じたような社交不安のような経験とも発生的には同じ根っこを持っていることがわかります。反省、自己意識、間主観性、共感、社会不安、をすべてまとめて考察した稀有な(?)論考になっています。ご関心のある方はお問い合わせください。

 

2019年4月24日水曜日

プロジェクション科学における身体の役割 (田中 2019)

こんにちは。前回の投稿からあんまり時間が経っていないので「やったー」と早めの更新を喜んだのですがすでに2週間も過ぎていたのですね…

今回は新しい論文が出ました、という報告です。『認知科学』のVol.26, No.1がプロジェクション科学の特集を組んでいるのですが、その一部として掲載していただきました。2017年12月に認知科学会の冬のシンポジウムがあり、そのときの主題がプロジェクション科学だったのですが、そのさいに話したことを論文化したものです。

内容は、ラバーハンド錯覚の意味を考え直し、フルボディ錯覚の再解釈を試みています。フルボディ錯覚は方法が二つあって、その二つが研究者のあいだでもやや混同されて論じられることがあるのですが、その違いについても触れてあります。また、そもそもフルボディ錯覚って身体の外部に自己が「乗り移る」ような感じとは違いますよ、という点についてもちゃんと考えました。

学会のジャーナルなのでそのうちJ-STAGEでも公開されると思いますが、昨日論文のPDFファイルをいただいたので一足お先にここで公開しておきます。

田中彰吾 (2019).「プロジェクション科学における身体の役割-身体錯覚を再考する」『認知科学』26(1), 140-151.

ご笑覧くださいませ。
 


2019年4月10日水曜日

お知らせ2件

前回の投稿から再度あっという間に1月たってしまいました。
 
この間、デンマーク出張&国際シンポジウム開催、レビュー論文の修正、出版社と打合せ、インゴルドのシンポ、大学の年度末業務、英文ジャーナルの査読、フックス読書会、大学の年度始め業務、単著の執筆、英文共著論文の修正、などなどをこなしていました。こうやって忙しく立ち回っていると、年度末や年度始めであっても、どこか気持ちのけじめがつかないので困ったものです。
 
ところで、このブログ上で告知したいことが2件あります。
 
その1。昨年度の認知神経リハビリテーション学会で講演させていただいたのを機に、その方面の関係者の方々とより議論を深める機会を折に触れて持つようになりました。その延長で、来月から「身体性リハビリテーション研究会」という名称で新たな研究会を不定期に開催します。臨床現場での身体性に深入りする場面が多くなりそうなので当面クローズドな集まりになりますが、リハビリと現象学、身体論に関心のある方はお問合せください。
 
その2。これまでの執筆者と査読者としての経歴を買われて…なのかどうかわかりませんが、哲学的心理学と理論心理学の国際ジャーナル『Theory & Psychology』のEditorial Boardとして加わることになりました。心の哲学や心理学の基礎論に関心のある方は、ぜひご寄稿ください。小さいですがインパクトファクターもちゃんとあります。日本ではこの分野の市場がいまだに小さいのですが、国際的にはそこそこの規模はあります。International Society for Theoretical Psychologyに参加されるとよくわかりますよ。
 
では、また。
  

 

2019年3月10日日曜日

『味わいの現象学』

面白そうな本が出ましたね。

村田純一『味わいの現象学-知覚経験のマルチモダリティ』(ぷねうま舎)2019年

いちばん面白そうでかつ全体にとっても勘所になっていそうな箇所(6章1節「触覚と身体」)はノートを取りながら読んだので要約をアップしておきました。研究アーカイブのページからどうぞ。

触覚を近感覚に分類し、視覚や聴覚から区別するというのが心理学での常識的な見方です。が、あらゆる感覚にはそれを伝える媒質が必要だとするアリストテレスの考え方からすると、皮膚が接触して触覚が生じるという見方は成り立たない、触覚を伝える媒質は身体(肉)である。6章はこんな議論から始まります。

詳しくは本文に譲りますが、6章のこの個所は、ギブソン、フッサール、メルロ=ポンティの知覚論と身体論を結ぶ要の議論が展開されていてとても面白いです。一方で、触覚にも視覚や聴覚と同じような「射映」の構造があるとしながら、他方で、触覚は自己との結びつきや世界内存在を支える仕掛けになっているという本書の主張には、見るべきものが大いにあると思います。

個人的には身体図式が知覚において果たしている役割について、納得するところが多々ありました。ご恵贈いただいた村田純一先生にこの場を借りて感謝いたします。


 

2019年3月9日土曜日

インゴルドと「あいだ」のシンポジウム(3/24 立教池袋)

こんにちは。
約2週間後ですが、インゴルドと「あいだ」のシンポジウムが立教大学で予定されています。

3/24 14:00〜17:00
インゴルドと「あいだ」のシンポジウム
http://kao-shintai.jp/news/files/20190324_Sympo.pdf
立教大学池袋キャンパス1号館1104教室

人類学者ティム・インゴルドさんの翻訳プロジェクトが現在進行中で、今回はそれに関係するシンポジウムです。固定された分野を軽やかに飛び越えるインゴルドさんの仕事にちなんで、人類学、哲学、心理学、教育学の分野からパネリストがそろう貴重な議論の機会になります。

田中は14:50〜15:30のセッションで指定討論のような形での参加になると思います。何を話すかまだ何も考えていないのですが、「あいだ」については言いたいことはいろいろあるので、準備はそんなに困らないかも、と思っています。

年度末の慌ただしいタイミングですが、関心のある方はぜひお越しください。
 


2019年3月8日金曜日

単著の進捗

お久しぶりです。前回の投稿から早くも1ヶ月が過ぎてしまいました。

この間何をしていたかというと、いろいろと迫ってくる大学の事務仕事の合間をぬって単著の執筆にもっぱら取り組んでいました。現在、2020年の4月刊行を目指して動いている企画があるのですが、その1章と2章、60ページ分くらいの執筆が終わったところです。さらにその合間に短い原稿をいくつか書いたりシンポジウムでの講演をこなしたりしていたので、まあ私にしては順調に進んでいるほうです。

内容とは関係ないですが、この間に身についたスキルがあります。私はもともと研究室で事務仕事をこなしながら原稿を書くということがまったくできない人間でしたが(自宅の書斎でしか執筆できませんでした)、できるようになったのです。

ひとつ単純なコツがあることに気づきました。研究室にいるさいに電話がかかってきたり人が訪ねてきたりすると、そこで自分の思考がいちど途切れるので、結果的に原稿が進まなくなります。自宅にいても電話はかかってきますが、書斎では自分の身体がすぐに執筆モードに戻れるので原稿が書けていたのです。研究室は電話に加えて人が来るので、自分の注意がどうしても対人関係に大きく割かれてしまって、執筆モードに戻るのに時間がかかります。しかも、身体がもともと「人の持ってくる案件に対応すること」に向かって潜在的に構えているので、そもそも執筆モードに入りづらい。
 
それで、授業期間が終わったのを境にそういう構えそのものを意識的にやめてみることにしました。人が来ようが、電話がかかってこようが、デフォルトの身体モードは執筆する状態に保っておく。自宅の書斎にいるときと同じモードで身体を使うのです(脳のモードと違って身体のモードは意識的なコントロールがききやすいようです)。大学の事務仕事を「研究と執筆の合間に対応すべきこと」としてモードを切り分けてしまえばよいのでした。図々しくなるってこういうことなんだなぁ、とも思いましたが…

というわけで、この1ヶ月ぐらい大学にいるときの身体のモードを切り替える訓練をしながら、研究室でしつこく執筆していました。昨年の4月に管理職になった頃は、大学にいる時間が長くなって研究はできなくなるなぁ、とよく思ったのですが、それから1年近く自分なりに工夫を重ねてなんとか両立する様なスキルを身につけ始めました。よかったよかった(といってもワークライフ・バランスが崩れて家族に迷惑をかけているのですが…)。
 
というわけで、来年の今頃には刊行直前でゲラの校正が終わるところまで仕上げていたいなぁと思っています。乞うご期待。
 
 

2019年2月7日木曜日

自己をめぐる冒険 (2/20-21 東大本郷)

例によってイベント告知で恐縮ですが、2/20-21に下記シンポジウムがあります。

2019年2月20日(水) 12:30〜17:00
2019年2月21日(木) 9:00〜17:00
東京大学本郷キャンパス,武田先端知ビル・武田ホール

主催は、北海道大学で採択されているJSPSのプログラム(先導的人文学・社会科学研究推進事業)「アイデンティティの内的多元性:哲学と経験科学の協同による実証研究の展開」です。

上記リンクをたどってみてください。哲学×科学というプログラムの趣旨がよく伝わってくるシンポジウムで、話がかみ合えば相当面白いイベントになる気がします。上記ホームページのプロジェクト概要には「複数の実証研究の展開を通して、哲学と科学が真の意味で融合した、新たな研究のロールモデルを提供することを目指す」とあるのですが、本当にここまで展開できるとすごいことになりそうですよね。

先日、岡崎で開かれたCoRN 2019では、「意識」をめぐって同様に「哲学×科学」な議論が展開されていました。そちらもかなり面白かったのではありますが、意識という概念のとらえどころのなさ、概念化の幅の広さに、具体的な成果を出すさいに用いるべき方法の難しさを感じました。

次回は「自己」なので、身体性のように目に見える次元で各種の実験に落とし込む研究がいろいろと可能なはずです。そういう意味で未来の研究が垣間見える面白いイベントになるかも、と期待しています。田中は「自己はどこまで脱身体化できるか?」というやや挑戦的なタイトルで21日朝にお話します。ぜひ会場に足をお運びくださいませ。
 
 

2019年1月17日木曜日

松前重義学術賞をいただきました

2018年度の松前重義学術賞をいただきました。松前重義賞は、東海大学の創立者松前重義氏を記念した賞で、「学術、文化、スポーツの各部門で、建学の精神に基づく顕著な成績を収めた学園の学生、生徒、児童、園児、教職員および卒業生を顕彰するもの」(大学HPより)だそうです。なかでも学術賞はもっとも権威ある賞とのことで、ありがたく思うと同時に身の引き締まる思いです。

今回は所属先の所長である成川忠之先生からご推薦をいただいたのですが、その時点では受賞はないだろうと思っていました。というのも、歴代受賞者のリストは大半が医学系や理工系のハイ・インパクトな研究をしている先生方で占められていて、人文社会系はほとんど見当たらないからです(歴史学の三佐川亮宏先生の名前は見つけられますが、ドイツ史研究で日本学士院賞を受賞された雲上人ですからね…)。
 
私も東海大学に着任してすでに10年以上で、振り返るといろいろな仕事をしてきましたが、研究は自分がいちばん熱心に取り組んできた活動なので、それがこのような形で表彰されたことは素直に嬉しいです。この場を借りて、大学の関係者や、学内外のさまざまな場面で研究を支援していただいている皆さまに深くお礼申し上げます。つねづね、研究は一人でするものではなくていろいろな方々とのコラボレーションを通じて初めて形になるものだと思っていますので、ここでのお礼はたんに形式的なもの以上の強い意味を込めています。
 
学術賞の対象となった研究課題は、「身体性人間科学の構想と展開」です。これは、進行中の科研費のプロジェクト「Embodied Human Scienceの構想と展開」をそのまま日本語にしたものですが、簡単にいうと従来の「身体性認知科学」の立場を人間科学にまで拡大するところに主眼があります。

身体性認知(embodied cognition)は1990年代に確立された心の見方で、心を、環境から切り離された「内界」、身体の奥に隠れた「内面」として見るのではなく、身体性・行為・スキルに立脚してとらえ直そうとする立場です。

この立場を推し進めていくと、そもそも心と身体を分離するのではなく、心・身体・環境を連続的にとらえる、より統合的な人間観が必要になります。なので「心理学」「認知科学」という名称ではなく、「身体性人間科学」というコンセプトで進めているのが近年の私の研究です。この観点から見えてくる「自己(self)」については、昨年『生きられた〈私〉をもとめて』(北大路書房)にまとめました。また、他者理解については「Theory & Psychology」誌に論文を複数発表しています("Intercorporeality as a theory of social cognition" "Intercorporeality and aida"など)。今回の受章はこれら一連の業績に対するものです。

いずれにしても、私の研究は心の見方を変えること、そこから始まる新しい人間観を立ち上げることにかかわります。東海大学は近年、人々のQOL(quolity of life)の向上に資する大学づくりを目標に掲げています。今後の私の研究もそれに多少とも貢献できるものになればと思います。

ところで、授賞式(昨日ありました)がすごくフォーマルなものだったので驚きました。場所は霞ヶ関ビルの最上階のフロアにある大学の校友会館で、学長や副学長はじめ、学校法人の理事のようなお偉方がお揃いでした。松前重義賞は、学術研究だけでなく、芸術、スポーツ、教育など学園のすべての活動を対象にしたものということで、それぞれの方面で優れた仕事をされている方々が一堂に会していました。もちろん先の箱根駅伝でチームを優勝に導いた両角速監督も。そういう方々が集まる場所だけあって、授賞式後の懇親会も華やいだ雰囲気と重厚感がともに感じられる味わい深いものでした。
 
懇親会には大学行政の重鎮がたくさんおられたので、「人間科学の研究所を作らせてください」と各方面にお願いしてきました。さて、実現する日は来るのでしょうか…
 


2019年1月7日月曜日

CoRN 2019 (1/23-25 岡崎)

今月の下旬に、愛知県の岡崎市で意識研究の国際会議があります。

2019年1月23〜25日,岡崎コンファレンスセンター
CoRN 2019
Consciousness Research Network

意識研究の分野ではASSC (Association for the Scientific Study of Consciousness) が国際会議としてはよく知られているのですが、CoRNはそのアジア版ということらしいです。ASSCは現象学系の研究者が少ないので今まで一度も参加したことがなかったのですが、今回は、生理学研究所の吉田正俊氏のお声がけで田中もひとまずCoRNに参加することになりました。北澤茂先生の基調講演はじめ、いろいろ興味深い話が聞けそうなので楽しみにしています。

…ではあるのですが、お題がなかなか大変そうで、どうしたものやら。二日目に設定されている「Debate session #1」に登壇して話題提供と討論をするよう依頼されています。テーマが「How to collaborate philosophy and science for consciousness research?」(意識研究のための哲学と科学の協力のしかた)なので、なにか全般的に無難な話はできるのだろうと思いますが、それでは「ディベート」と呼べるようなものにはならないんでしょうし。

あと、依頼にはもうひとつ条件があって、Debate session #1は、その前の時間帯にあるTutorial session #1でのレクチャー内容を踏まえたものにしてくださいとのこと。事前にチュートリアルで参加者で議論の前提を共有して、それを踏まえて議論しましょうという趣旨だそうです。そちらのタイトルは「Introduction to philosophy of mind and the hard problem of consciousness」(心の哲学と意識のハードプロブレムについてのイントロダクション)です。

哲学と科学が協力して意識研究を目指す、という設定には共感するところ大なのですが、そもそもハードプロブレムの問題設定に乗れないところのある私としては、何に焦点を当てて議論すると参加者にとって得るもののある場になるのか、ちょっと考えあぐねています。まぁ、当日までにいいアイデアが浮かんでくるよう、ポジティブな構えで待つほうがよさそうですね…
 

 

2019年1月2日水曜日

質的心理学辞典

昨年紹介を怠っていた仕事がありました。これです。
 
 
『質的心理学辞典』
能智 正博(編集代表)
香川秀太・川島大輔・サトウタツヤ・柴山真琴・鈴木聡志・藤江康彦(編)
新曜社,2018年11月30日発売
 
私も以下の8項目を執筆しました。
・解釈学
・解釈学的循環
・現象学
・実在論
・実存
・心身二元論
・身体化
・超越論的現象学

解釈学や解釈学的循環の項目は私よりもふさわしい執筆者がいるのではないかとも想像しましたが、考えてみると新曜社から刊行させていただいた翻訳書ラングドリッジ『現象学的心理学への招待』はリクールの解釈学に大きく影響を受けて展開している新たな現象学的心理学の方法を紹介しているものだったので、いちおう担当範囲内だったのかもしれません。

この辞典は、現象学や解釈学だけでなく、心理学の哲学・原理・歴史・方法といったところにきちんと目配りが効いているので、心理学の「そもそも論」に関心のある人は手元に置いておくと便利です。哲学・人類学・社会学・精神医学・障害学・看護学などの関連領域の項目も多々あって参考になります。
 
ところでこの辞典、全1098項目が収録されています。辞典としては決して規模の大きなものではないのですが、出版までのスピードの速さに驚きました。執筆依頼をいただいたのが2017年7月で、最初の原稿締め切りが10月、そして2018年11月末の質的心理学会の大会では製本された初版がブースに並んでいる、という流れでした。辞典ものは執筆者の数が多くなるので、締め切りを守れない執筆者が自然と増え、刊行が当初予定よりずれ込むことが多いのですが、刊行までほぼ当初予定通りでした。すごいですね。私も別件である書籍の編集にたずさわっているので、見習いたいものです。
 


2周年

新年おめでとうございます。

このブログも開設して2年が過ぎました。昨年はもっぱら自分が関係する学術イベントと書籍の告知用にしか使えていなかったので今年は何とかしたいなと思っています…が、ブログに使える時間が増える見込みもないので、大きく変えられないだろうと思います。なので、告知をするときに少しは中身のあるコメントを加えることで、多少改善できればいいかなと思っています。
 
皆さまにとって2019年が幸せな一年でありますように。幸せついでに、このブログにもときどき立ち寄ってもらえると幸甚です。