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2022年8月11日木曜日

もうすぐ刊行です (認知科学講座1:心と身体)

相変わらずぜんぜんブログを更新できないまま時間だけが過ぎていきます…が、研究活動はいろいろと進行中です。

今回はもうすぐ刊行される共著本のご案内。












 

嶋田総太郎編 (2022)『認知科学講座1:心と身体』東京大学出版会

序 身体性認知科学から「ポスト身体性」の認知科学へ(嶋田総太郎)

1 自己認識――身体的自己と物語的自己(嶋田総太郎)

2 身体性認知科学における言語研究の射程(佐治伸郎)

3 思考・創造とエンボディメント(阿部慶賀)

4 心と身体を結ぶ内受容感覚――感情と記憶から考える(寺澤悠理)

5 身体表象と社会性の発達(宮崎美智子)

6 知能・身体・関係性(長井隆行)

7 バーチャルリアリティによる身体拡張と自己の変容(鳴海拓志・畑田裕二)

8 身体性に基づいた人間科学に向かって(田中彰吾)

この講座、シリーズ全部で4巻あるのですが、これが第一巻で身体性の問題を正面から扱っています。執筆陣の充実ぶりからしても、これから認知科学を学ぶ人たちにとってはマストアイテムになるシリーズだと思います。ちなみに、刊行に合わせて9月の認知科学会では関連シンポジウムも予定されていて、そこで嶋田さんと一緒に簡単なトークセッションを行います。

私の章では、認知科学の歴史を回顧しながら、認知科学が身体を発見したことの意義を再確認、さらに身体性認知科学の到達点を振り返り、身体性認知科学を超えて来るべき将来の認知科学を展望する…という、けっこう壮大な論文になっております。

ぜひご覧あれ。

2020年2月13日木曜日

電子書籍化『身体の知』

2015年に紙版で刊行された以下の書籍が電子化されたそうです。紙版3960円に比べてキンドルは2500円なのでけっこうお買い得かも。
 
田中も1章寄稿しています。
田中彰吾「心身問題と他者問題-湯浅泰雄が考え残したこと」(pp. 134-154)

湯浅先生は心身問題を他者問題と適切に関連させて考えることをしていなかったと思います。そのため、湯浅先生の他者論は、現在の「心の理論」が陥っているのと同じような理論的問題を含んでいます。この点を考え直すには「間身体性」を考える必要がありますよ、というのが拙論で指摘したことです。心身論と他者論どちらにも関心のある人向けの論考になっております。
 
た
 

2019年9月24日火曜日

記念すべき1本 (田中・浅井・金山・今泉・弘光 2019)

以下のレビュー論文が早期公開されました。
田中彰吾・浅井智久・金山範明・今泉修・弘光健太郎(2019)「心身脳問題ーーからだを巡る冒険--」『心理学研究』doi.org/10.4992/jjpsy.90.18403(12月発行予定の90巻5号に掲載予定です)
 
リンクからPDFをダウンロードできますので、ぜひご覧ください。この論文は、2018年3月に開催した国際シンポジウム「Body Schema and Body Image」からのスピンオフです。浅井さん、金山さん、今泉さん、弘光さん、それぞれに発表いただいた内容を私のものと合わせて1本のレビュー論文としてまとめました。
 
共著者の皆さんとは2015年から折に触れて研究会を開催しながら議論を重ねてきたのですが、それがこうして論文にまとまるのは、とても感慨深いものがあります(皆さんありがとう)。全員依拠する分野が少しずつ異なっていますが(実験心理〜神経生理〜神経心理〜哲学)、身体に関心があって、身体と脳の関係を理解し、身体・運動から見えてくる自己を解明しようとする点では共通の問題意識を持っています。議論をすると時間を忘れて熱中することもしばしばです。そんなメンバーで共著論文を書くのは、とても刺激的な経験でした。
 
内容は、19世紀末に始まった身体意識研究の歴史的展開を振り返り、理論的展開をたどりつつ、現代の科学的研究に接合することを企図しています。Body SchemaとBody Imageが鍵になる概念として登場しますが、身体所有感、運動主体感、(ミニマルな)自己とのつながりも論じています。心身問題ではなく「心身脳問題」という術語も、このあたりの問題意識を示唆するこの論文ならではの工夫になっているかと思います。
 
多くの人が参照してくれるレビュー論文になってくれることを祈りつつ、世に送り出したいと思います。
 
た
 

2017年2月24日金曜日

昨日の残響

Kitchen Seminar、楽しかったです。ドイツで私が行く研究会はどちらかというと開始までみんなやや緊張気味で静かにしているところが多いのですが、昨日は最初からわいわいしていました。研究会そのものが懇親会的、といえばいいんでしょうか。

議論のクオリティも低くなかったです。学際系の研究会はオーガナイズする人の知識と経験がその場の議論のクオリティに直結してしまうので、ダメな研究会はアカデミックな雑談に流れたり、的外れなディベートに終始したりすることが多いのですが(そうならないように私も自分の研究会では気をつけています)、ここはそういう意味では良くオーガナイズされていました。誰かが発言した後で、それに関連する過去の研究についてヴァルシナーさんが言及する場面が何度かあって、彼の博識が議論のクオリティを支えているのが伝わってきました。

場の作り方もユニークで、会場はラウンドテーブルで10人も座れば満席なのですが(昨日もちょうど10人でした)、オンライン・システムでどこからでも参加できるようになっていました。昨日もブラジルとアメリカの研究者が参加していました。画面の向こう側から議論に割って入るのは実際には難しそうですが、聴講する分には問題なくできるみたいです。議論の交通整理は、夏に日本に来てワークショップをやってくれたタテオ先生とマルシコ先生が主にやっていました。

とはいえ、基本的なアプローチの違いについて当面埋まりそうにない溝もはっきりしました。私のように身体性認知に立ち位置がある研究者は「知覚と行為」という一階の経験から始めますが、文化心理学は、心的過程が記号によって媒介されていることを前提として話を始めます(とくにヴァルシナーさんの立場はそうです)。昨日は離人症を題材に心身関係を考える話題だったのですが、文化心理学的には症状の「意味」のほうにダイレクトに関心が向かってしまい、身体経験の感覚・知覚レベルでの変異から始めて症状の核心に迫りたい私からすると、議論すればするほどアプローチの違いが浮き彫りになる印象でした。

それで、後になって思い出したのが2013年の札幌での心理学会です。文化心理学と生態心理学をテーマにしたシンポジウムが心理学会であって、あのときは、ギブソンの著作に出てくるポストの知覚をめぐって、「ポスト」という記号的意味に媒介された知覚が重要なのか、光学的流動を通じてポストの投函口のアフォーダンスが知覚できることが重要なのか、突っ込んだ議論になっていた記憶があります。企画に関わっていた先生たちも豪華で、かなり刺激的な議論を聞けました。

このあたりのアプローチの違いは、昨日も議論していて思いましたが、心身問題にどのくらい重きを置いて心理学を見るか、という方法論的な違いと深く関係するので、簡単な答えはなさそうです。ですが、心理学方法論に関する大事な論点ではあるので、引き続き考えたいと思っています。

た