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心の科学の基礎論研究会(第85回)&エンボディードアプローチ研究会(第8回)・合同研究会
<シンポジウム「質的研究のための現象学とナラティヴ心理学」>
質的研究にかかわる研究者や臨床家のあいだでは、現象学もナラティヴ心理学も、一人称的観点からの語られる経験の記述を重視する方法として受け入れられてきた。現象学は、先入見を除いてありのままの経験に接近することを重視する。ナラティヴ心理学は、当事者による経験についての語りを内在的に理解しようとする。研究の焦点に違いはあるものの、「人々が経験していることの意味」の解明を目指している点では共通していると思われる。このシンポジウムでは、理論、臨床、事例研究など、それぞれが依拠する観点から現象学とナラティヴ心理学を論じ、質的研究における両者の交流を促進する機会としたい。日時:2019年7月27日(土),14時〜17時
場所:明治大学駿河台キャンパス,研究棟4階・第1会議室
(https://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html)
プログラム
司会:植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
14:00-14:10 趣旨説明:田中彰吾(東海大学)
14:10-14:50 話題提供1 田中彰吾(東海大学)
「ナラティヴ・アイデンティティと現象学的研究」
14:50-15:30 話題提供2 渡辺恒夫(東邦大学)
「「コミュ障」の批判的ナラティヴ現象学」
15:30-15:50 休憩
15:50-16:30 話題提供3 セビリア・アントン(九州大学)
「自覚のための教育—ライフ・ストーリー面談とナラティヴ・セラピー面談の比較研究」
16:30-17:00 ディスカッション
指定討論者:森直久(札幌学院大学)
講演要旨
1)「ナラティヴ・アイデンティティと現象学的研究」田中彰吾(東海大学)
よく知られるように、ナラティヴの概念は認知心理学者のブルーナーが1980年代に提起したもので、「ナラティヴ様式」は科学的研究を支える「論理-科学的様式」には還元できないとされる。この主張は、人間行動の科学的法則を探る量的研究とは区別して、人々の発する語りにもとづく質的研究を促進するものになっていた。ここから各種のナラティヴ・アプローチが派生することになるが、この発表で着目したいのは「ナラティヴ・アイデンティティ」の概念である。哲学者のリクールは、人々がみずからの人生について物語る行為が、物語の主人公としての自己アイデンティティを構成する点に注目している。人生を語るナラティヴには、自分の生きてきた過去を振り返り、将来の生き方の可能性をさぐることで、時間的に一貫した自己を構成する作用がある。現象学的心理学のラングドリッジは、リクールの考えを発展させ、社会的文脈との関係で語られざるままにとどまっている自己を読み解く方法を「批判的ナラティヴ分析(Critical Narrative Analysis, CNA)」として提唱している。この報告では、ブルーナーとリクールの考えを再度整理したうえで、CNAを中心としてナラティヴ心理学と現象学が連携する質的研究のあり方について考察する。
2)「「コミュ障」の批判的ナラティヴ現象学」渡辺恒夫(東邦大学)
現象学とナラティヴ心理学は両立不可能と見なされることが多いが、リクールとラングドリッジの批判的ナラティヴ分析に基づいて考案された「批判的ナラティヴ現象学」では、現象学とナラティヴ分析が「地平融合」の過程で互いに収斂することを、「コミュ障」研究を通じて示す。このスラングは若い世代によって、「非社交的」「対人スキルに乏しい」を意味する自嘲語として広く用いられている。本研究(渡辺、2019)では社交上の困難を訴えてオンライン上の援助を求め、読者がアドヴァイスする4事例が検討された。ナラティヴ分析によって全テクストは「垂直的ナラティヴ」対「水平的ナラティヴ」に分類された。前者では問題の原因が当事者の意識外に求められるため専門家の介入を要する。原因を「資本主義的生産様式」や「脳の不調」に求めるマルクス主義的ナラティヴや医科学的ナラティヴが代表だ。水平的ナラティヴでは原因は地平(=視座)が違えば異なる相を見せる。読者とのやり取りの過程を通じて多くの「水平的ナラティヴ」に接することで自尊感情を回復し、重要な自己洞察に達する例に、現象学的な「地平融合」が認められる。
3)「自覚のための教育―ライフ・ストーリー面談とナラティヴ・セラピー面談の比較研究」 セビリア・アントン(九州大学)
森昭(1915-1976)は戦後の日本教育学会を主導した教育哲学者のひとりである。森はプラグマティズムと実存主義を調和させ、その上に人間科学(特に発達心理学)を加え、「教育人間学」のアプローチを確立した。そのアプローチは教育における「自覚」「覚醒」を強調したが、その方法は「ナラティヴ教育学」と言える。森は二つの異なるナラティヴ教育を要求した―全体的なナラティヴ・アイデンティティのための教育、および、より流動的・偶然的なアイデンティティのための教育である。本発表において、私は、以上の二つのナラティヴ教育に相当するナラティヴ面談を考察したい。第一は、Dan McAdamsの「ライフ・ストーリー面談」(2008)である。理論的に見て、これは森の発達的教育論に類似している。第二は、マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンのナラティヴ・セラピーである。この方法は、教育カウンセリングにも応用されており、森の後者のナラティヴ教育に近い。私はこれを、Critical Narrative Analysisに類似した形で質的研究の面談として使えるものと考えている。以上をふまえ、最後に、ナラティヴ教育の授業(大学院)で取得した、両面談の(準備段階の)データを比較し、この二つのナラティヴの具体的な相違点と類似点を検討したい。
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