や〜っと終わったよ〜
朝から編集作業。さっき日付が変わってしまったので、休憩時間をのぞいても結局12時間ぐらい作業してたことになるのか。あぁ、土曜日を丸一日事務作業に費やしてしまった。
何をしてたかというと、来月3-4日に東海大の文明研究所が主催する国際会議の予稿集の編集です。
1年前に初めて、コペンハーゲン郊外にある東海大のヨーロッパ学術センターで「日欧間の文明対話」と題する二日間のイベントを組んだのですが、学内外でけっこう反響があったので今年度もかの地で開催する運びになった次第。
それはいいのですが、予稿集を編集していて改めて気になったことが。
わたしは、所属先の大学の付属研究所である「文明研究所」で「所員」という任務を拝命して今年で3年目になるのですが、「文明」って自分にはいまだに難しいのですよね。なんというか、概念としてすっきり理解できないのです。
もちろん、文明に直結するイメージはあるのですよ。わたしの場合は「近代文明」というイメージが強くて、都市化、産業化、科学知と技術の進歩、人権や民主主義の思想、個人主義、政教が分離した近代国家、などなど。これらは、古代文明や地域文明よりも、自分の中ではずっと突出したイメージになっています。
ただ、こういうイメージの問題じゃなくて、そもそも「文明」ってどう定義できるの、というところですっきりした考えが持てないのです。
さしあたりの解答としていつも念頭に置いているのが、「文明」じゃなくて「Civilization」という英語。人間を「Civilize」するものが「Civilization」だとして、そもそも「Civil」って公共的な市民のことを言うんでしょうから、公共の場所で市民として生活を送れるような状態に人を変えていくさまざまな慣習、規範、制度、組織、権力などの集合をCivilizationと考えてみようと。
こういう見方を取ると、身体論的には多少すっきりします。要は、いまだ公共化されていない乳児(だけに限らず)の身体を、他者との関係のなかでCivilizeしていくものをCivilizationと見ればいい。すると、Civilizationとは、身体に内在して、公共的な身体として成立させているいろいろなコードや力として見えてきそうなのですよ。
衣服、性規範、テーブルマナー、しぐさ、などなど。肌をどう隠すかとか、誰とセックスするかとか、みんなで何を食べるかとか、そういうミクロな行為のなかに、人々がみずからの身体に内在化させた「文明」なるものを理解する手がかりが潜んでいそうですよね。身体論的には、「その行為」をすることで公共の一員になれる行為の集合=文明、とさしあたり言えるかもしれない。フーコーから学べるものがたくさんありそうですね。
予稿集を編集していて、そういう「さしあたりの解答」を改めて考えていました。
もちろん、原稿にはそれとは全然ちがったしかたで文明について「おっ」て思わせてくれる発表もいくつかあったので、当日が楽しみです。
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