2018年11月15日木曜日

QOLを考える

少し前になりますが、11月1日号の東海大学新聞に記事を掲載していただきました。掲載していただいた、といいますかQOLについて夏頃に原稿依頼があったので、これも貴重な機会かなと思って寄稿しました。お題はQOLです。
 

「知の架け橋」というシリーズ記事で、今年は大学新聞に2ヶ月に1回のペースで「「QOL」を考える」というコラムが設定されています。ウェブ版の大学新聞でも同じ記事が収録されると思いますが、ちょうど来週の質的心理学会で議論するナラティヴの問題に絡めて書いたので、ここにも掲載しておきます。
 
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QOL。もちろんQuality of Lifeの略である。「生活の質」と訳される現代の重要なキーワードのひとつで、本学もまた「人々のQOL向上に資する大学」を目指している。もともと、英語の「Life」は生活、生命、人生など幅のある意味を持つ言葉なので、QOLという概念もそれが用いられる文脈に応じて多様な含意を持つ。ここでは、研究者としての筆者の立ち位置から見えるQOLのひとつの側面について、思うところを手短に述べてみる。

もともとQOLが論じられるようになった社会的背景のひとつに、医療現場の問題がある。20世紀後半は生命科学と医療技術が急速に発展し、先進国では人々の平均寿命が大幅に伸びただけでなく、がんのような難治性の疾患においても患者の生存率は着実に向上するようになった。単純に言うと、人々が生きていられる時間はそれだけ長くなったのである。このこと自体は喜ばしいが、問題は、生きている時間が長くなっても、その中身が豊かになっているとは必ずしも言えない場合もある、ということにある。だから、生きている時間の「質(quality)」が問われることになったのだ。

全身にチューブやセンサーが取り付けられ、意識不明の状態で延命が続いている重症患者を、その見た目から「スパゲティ症候群」と呼ぶことがある。このような状態でも家族は生きていて欲しいと願うかもしれないが、患者本人には生きていることの充実感を得るのは難しいだろう。生きている時間の量と質がこれほどくっきり分離して現れる状態は他にない。たんに生存が保たれている状態と、その人の生命や生活や人生が充実している状態を区別する何か、それがここで問われている「質」に他ならない。

じつは、QOLをめぐる議論が医療現場から一般社会へと広まりつつあった1980年代、心理学の世界では違った文脈で「質」が問われるようになっていた。数量化して測定できるデータをもとに人間の行動を解明することを心理学は伝統的に重視してきた(そして現在もそうである)が、数量化できない人間の主観的経験を解明しようとする「質的研究」と呼ばれる方法が勢いを持つようになったのである。質的研究にもいろいろな立場があるが、本人がみずからの経験について語る言葉をデータとして重視する傾向は共通している。とくに、重要な出来事や人生についての本人による語りは「ナラティヴ(narrative)」と呼ばれる。

たんに生きている状態と、本人がそこに何らかの積極的な意義を感じつつ生きている状態の違いを考えるうえで、ナラティヴは重要な観点を提供してくれる。フランスの哲学者リクール(1913-2005)も述べているが、人はみずからの人生を物語ることで、自己アイデンティティを見出す生き物だからである。あなたは、自分の人生について友人に語って聞かせるとしたら、どんな物語にして語るだろう。今まで生きてきた時間をどのように振り返り、今から生きる時間をどのように展望するだろう。きっとその物語は、あなた自身にとってQOLを考える大事な入口なのである。
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QOLはいろんな角度から論じることができそうですが、こうしてみるとナラティヴもQOLを考えるうえで意外に重要な切り口になりうることがわかっていただけるのではないでしょうか。