2022年3月20日日曜日

リクール『他者のような自己自身』第10研究

ついに最後の章を読み終えました。村田憲郎氏作成のレジュメを公開しておきます。

リクール『他者のような自己自身』第10研究

長かった…。邦訳の本文が438ページあります。リクールはこの長さでも3巻本(『時間と物語』のような)を書いてしまうような人なので、長いことは最初から織り込み済みではありましたが、それにしても本文が長いので読むのに時間がかかりました。ブログの過去記事を当たってみたら2019年の11月から読み始めたのでかれこれ2年半近く読み続けたことになります。

じっくり時間をかけて隅々まで熟読した本なので簡単に要約はできませんが、「自己」というテーマを巡って世界についてありとあらゆることを書いてあるという体裁の本です。それこそ、物体と人物の違い、出来事と行為の違いから始めて、行為する主体が現れ、行為する主体が語る主体となり、語る主体がさらに物語的自己同一性を持ち、物語的自己が他者とともに生き、他者とともに生きる中で倫理的な生き方を制度的な正義として追及するまでの壮大な世界観が論じられています。そして、そうした世界観を経て最後にもういちど「自己」の存在とは何かということが論じられます。

じつは、読み終えた今ももやもやとした感じが読後感として残っています。リクールの文体の特徴なのでしょうが、一つのテーマを巡ってああでもないこうでもないと議論が展開していき(良く言えば「弁証法的」ですが)、うまく着地しないままさらに大きなテーマに議論が続いていくという書き方なので、最後まで読んでもやっぱりオープンエンドな印象が拭えないのでした。なお、このもやもやは、私の中でこれからいろいろな仕事を手がけていくうちに少しずつ解消され、その度に文章になってくるだろうと思います。

なお、リクールは適度に保守的な思想家だと思います。この「適度に保守的」なところが、彼の思想をとても今日的にしているように思います。ポストモダン思想や思弁的実在論と誰か比べて論じてくれないかなぁ。