2018年3月30日金曜日

お礼申し上げます

3/24-25に開催した国際シンポジウム「Bosy Schema and Body Image」は、盛況のうちに無事終了しました。ご来場いただいた方々、発表してくれた方々、運営を手伝ってくれた方々、皆さまありがとうございました。
 
個人的な感想を少し。使用言語を英語にして最初にワークショップを開催したのは2012年だったのですが、あれから5年半たって、オーガナイズもかなり公共性の高いものにできるようになったと思います。
 
今回は最初からアタリアさんと二人で話を進めて、フォーマルな「依頼講演」はショーン・ギャラガー氏以外にはお願いせず、残りは発表を公募し、普段から緊密に研究協力している人たちにお声がけしたり、あとは学術系SNSにCall for Papersを掲載したりしました(発表13件のうち4件は、私もまったく面識がない人たちによるものでした)。
  
依頼講演の件数が多くなると、どうしても議論にある種の遠慮が出てしまいます。今回のシンポジウムのように学際的な場での議論には、分野の違いについてのリスペクトはもちろん必要なのですが、遠慮なく互いに言い合える雰囲気を作ることがとても重要です。でないと、新しい知見に気づいたり、既存の事実についての理解を深めたりすることが可能になりません。
 
そういう意味では、今回はとてもいい議論ができたと思います。身体図式も身体イメージも、神経科学的に見ると脳の中の身体表象(body representation)という理解ができるのですが、現象学的に見ると必ずしもそういう理解は適切ではありません。身体は知覚と行為の主体として世界に埋め込まれています。
 
つまり、「body in the brain」という見方を取るのか、「body in the world」という見方を取るのか、認識論的な枠組みの違いが問題になります。また、どちらの見方に立っているかに応じて、身体図式と身体イメージをどう区別するかという理解の違いも生じてきます。これがさらに広がって、具体的な各種の現象について、説明のしかたの枠組みを作っていくことになります。今回も、幻肢、ラバーハンド錯覚、痛覚失認、PTSD、拒食症、運動学習など、さまざまな現象に沿って図式とイメージの差異と相互作用が問題にされていました。
 
簡単に結論が出るわけではないのですが、認識論的な違いまで論点を明確にできると、議論全体のマッピングが可能になるようなしかたで、問題の構図が見えてきます。一方が正しくて他方が間違っている、ではなくて、ある議論はある範囲において部分的に正しく、別の議論は別の範囲において部分的に正しい、という位置関係が相対的に見えるようなマップです。今回は、身体性の問題をめぐって、そうしたマップがだいぶ見えた印象を持ちました。このマップを手がかりに、成果を一冊の本として編集したいと思っています。
 
今回も思いましたが、いい意味で遠慮のない議論のなかで、新しい実験の着想が可能になったり、現場での観察から理論への示唆が可能になったり、といった知の創造が可能になるのだろうと思います。次はどのような形で開催するか未定ですが、実験・理論・臨床というコラボレーションでの議論の場は続けたいと考えています。
 
ところで、今回は2017年度の秋学期に駒場の授業で教えていた学生さんたちが運営をいろいろと手伝ってくれたのですが、終わった後で彼らの目がきらきらと輝いていたのが印象的でした。次世代の人たちに何かが伝わると、やっぱりやって良かったな、と強く思います。