2020年3月14日土曜日

3.11から9年

早いもので東日本大震災から9年たちました。昨今コロナウイルスの関係で年度末・年度はじめの対応に追われているのですが、その慌ただしさが9年前と似ているせいで、改めて当時を思い出すことが多いです。

ウイルスとは直接関係ないのですが、先日震災関連で取材を1件お受けしました。かつてこんな論文を発表していたのですが、その内容について問い合わせがあったためです。

田中彰吾(2015)「復興のランドスケープ-東日本大震災後の防潮堤建設を再考する」『文明』第20号,81-90ページ

当時も今も東海大の文明研究所の所員を兼務しているのですが、当時は震災復興の研究プロジェクトに従事していて、心理学や身体論から貢献できるテーマとしてランドスケープ論を取り上げたのでした。とくに当時は巨大防潮堤建設が始まりつつあったので、主としてその問題を批判的に取り上げました。

当時気仙沼や陸前高田まで行って現地を歩いてみて感じましたが、この防潮堤建設は東北のランドスケープを一変させてしまうに違いないと予感しました。どうやら、その予感は本当になりつつあるようです。以下の記事を読んでいただけるとよくわかるかと思います。残念ながら読者限定記事なので会員でない方はアクセスできないようですが…。

読売新聞(2020年3月5日朝刊)
[震災9年]復興のゴールは<上>かさ上げ移転 薄らぐ絆
[震災9年]復興のゴールは<中>避難先に愛着 鈍る帰還
[震災9年]復興のゴールは<下>住民の輪で街づくり

田中のコメントは<上>に部分的に掲載されています。「復興後の街に共通するのは、現実感のなさだ」「人と風景がうまくつながっている感じがしない。人々のなりわいや暮らしになじむ街づくりを行う視点はあったか」というコメントを紹介していただきました。

ただ、防潮堤はじめ復興のあり方に批判的なことをいう前に、あの震災で命を落とされた方々につつしんで哀悼の意を表したく思います。私の拙い論文もその思いをもとに書いたものです。