2020年12月20日日曜日

botができた経緯

「ツイッターを再開したんですか?」という質問をこのところ何度もされるので、「してませんけど、多少の経緯があって…」という話を書いておきます。

過去ログを調べてみたら、私自身は2017年7月の終わりにツイッターを使うのをやめていました。
>2017/7/31「しばらくの間、

当時ドイツでの在外研究を終えて帰国する直前で、思うところあってしばらくツイッターをやめてみたのでした。あれからもう3年以上使っていなかったんですね。

ですが、使わなくてもあまり困ることはないです(だから再開もしてません)。もちろん、研究者や出版社の界隈で発信されている情報にやや疎くはなりますが、自分にとって研究活動の核になるつながりはSNSがなくても維持されるので、とくに不便を感じることもありません。困ったのは、自分が主催するイベントを告知したいときぐらいでしょうか。他は、人間関係に絡むノイズのような情報が入ってこなくなって快適になった感じです。ソーシャルメディアって情報の発信と受信がその人の社会的な人間関係に絡んでなされるので、それが便利だったりありがたかったりすることがある反面、面倒だったりうっとうしかったりする場面も多いですよね。私の場合、後者に煩わされることがなくなったので快適になりました。

本題に戻りますが、12月の上旬にある友人がツイッター上に著作のbotを作ってくれました(アカウントは「@ikiraretawa_bot」だそうです。2017年に出版した『生きられた<私>をもとめて』の引用botです。「ツイッターを再開したんですか」と聞かれるのですが、さすがに自分で自分の著作を引用するbotは気恥ずかしくてできません。私だけではないと思いますが、自分が過去に出版したものを読み直すのって、けっこう恥ずかしいんですよ。その時に自分ができるレベルの限界で書いているので、後で読み返すと至らないところがたくさん目に付くんです。「一生懸命やったのにこの程度しかできませんでした」という自分に直面するのって、皆さんも気が進まないでしょう?

じゃあなんでbotができたのかといいますと。11月の下旬に出版元の北大路書房の編集者の方と別件でやりとりがあったんです。そこのメールに、出版から3年たって売上が伸びなくなってるんだけどどうにかならないですか?という趣旨のことが書いてあったので、販促を兼ねて一般読者向けに何かイベントを組めるといいなと思ったんです。それを私の周囲でもっとも熱心に著作を読んでくれたある友人に相談したら、彼がbotをやりましょうといって即座に形にしてくれた、という次第。引用文の選択はすべて彼の手によるものです。私も一度目を通しましたが、他人が引用してくれた後で読むのって、自分の文章なのに恥ずかしくなく、むしろちょっと素敵に見えました。あの感じは一体なんだったんでしょうか。

それはともかく、botを通じて一般読者に関心が広がれば、トークイベントのようなものを開催するかもしれません(「中の人」をやってくれている友人が司会をつとめてくれたりするとありがたいのですが)。とくにあの本は「自己」という問いに魅せられつつも苦しんでいる一般の読者に向けて書いたものなので、読者の背景を問わずそういう関心に沿った集まりを開ければ面白いかなと思います。botから入った方は引用を楽しんだ後で紙版の書籍を手にとっていただければ、著者としても幸甚です。