2018年11月20日火曜日

12/1-2 精神病理の形而上学

今週末の質的心理学会もまだ終わっていないのですが、その次の週、12月1日・2日に、以下のイベントがあります。
 

先の7月に『精神病理の形而上学』という訳書が刊行されたのですが、その著者のピーター・ザッカー氏を招聘して二日間のシンポジウムを行うそうです。私も二日目に登壇してお話します。同書はなかなか興味深くて、精神科疾患について、いわゆる本質主義の立場でもなく、社会構成主義の立場でもなく、プラグマティズムの立場から哲学的な考察を深めようとしています。著作はややとっつきにくい感があるので、本人の講演を聞いてみると面白いかもしれません。場所は両日とも駒場18号館4F、コラボレーションルーム2です。
 
 

2018年11月14日水曜日

QOLを考える

少し前になりますが、11月1日号の東海大学新聞に記事を掲載していただきました。掲載していただいた、といいますかQOLについて夏頃に原稿依頼があったので、これも貴重な機会かなと思って寄稿しました。お題はQOLです。
 

「知の架け橋」というシリーズ記事で、今年は大学新聞に2ヶ月に1回のペースで「「QOL」を考える」というコラムが設定されています。ウェブ版の大学新聞でも同じ記事が収録されると思いますが、ちょうど来週の質的心理学会で議論するナラティヴの問題に絡めて書いたので、ここにも掲載しておきます。
 
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QOL。もちろんQuality of Lifeの略である。「生活の質」と訳される現代の重要なキーワードのひとつで、本学もまた「人々のQOL向上に資する大学」を目指している。もともと、英語の「Life」は生活、生命、人生など幅のある意味を持つ言葉なので、QOLという概念もそれが用いられる文脈に応じて多様な含意を持つ。ここでは、研究者としての筆者の立ち位置から見えるQOLのひとつの側面について、思うところを手短に述べてみる。

もともとQOLが論じられるようになった社会的背景のひとつに、医療現場の問題がある。20世紀後半は生命科学と医療技術が急速に発展し、先進国では人々の平均寿命が大幅に伸びただけでなく、がんのような難治性の疾患においても患者の生存率は着実に向上するようになった。単純に言うと、人々が生きていられる時間はそれだけ長くなったのである。このこと自体は喜ばしいが、問題は、生きている時間が長くなっても、その中身が豊かになっているとは必ずしも言えない場合もある、ということにある。だから、生きている時間の「質(quality)」が問われることになったのだ。

全身にチューブやセンサーが取り付けられ、意識不明の状態で延命が続いている重症患者を、その見た目から「スパゲティ症候群」と呼ぶことがある。このような状態でも家族は生きていて欲しいと願うかもしれないが、患者本人には生きていることの充実感を得るのは難しいだろう。生きている時間の量と質がこれほどくっきり分離して現れる状態は他にない。たんに生存が保たれている状態と、その人の生命や生活や人生が充実している状態を区別する何か、それがここで問われている「質」に他ならない。

じつは、QOLをめぐる議論が医療現場から一般社会へと広まりつつあった1980年代、心理学の世界では違った文脈で「質」が問われるようになっていた。数量化して測定できるデータをもとに人間の行動を解明することを心理学は伝統的に重視してきた(そして現在もそうである)が、数量化できない人間の主観的経験を解明しようとする「質的研究」と呼ばれる方法が勢いを持つようになったのである。質的研究にもいろいろな立場があるが、本人がみずからの経験について語る言葉をデータとして重視する傾向は共通している。とくに、重要な出来事や人生についての本人による語りは「ナラティヴ(narrative)」と呼ばれる。

たんに生きている状態と、本人がそこに何らかの積極的な意義を感じつつ生きている状態の違いを考えるうえで、ナラティヴは重要な観点を提供してくれる。フランスの哲学者リクール(1913-2005)も述べているが、人はみずからの人生を物語ることで、自己アイデンティティを見出す生き物だからである。あなたは、自分の人生について友人に語って聞かせるとしたら、どんな物語にして語るだろう。今まで生きてきた時間をどのように振り返り、今から生きる時間をどのように展望するだろう。きっとその物語は、あなた自身にとってQOLを考える大事な入口なのである。
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QOLはいろんな角度から論じることができそうですが、こうしてみるとナラティヴもQOLを考えるうえで意外に重要な切り口になりうることがわかっていただけるのではないでしょうか。
 

 

2018年11月11日日曜日

11/25 質的心理学会シンポジウム

ちょうど2週間後ですが、こういうシンポジウムに登壇します。

日本質的心理学会・第15回大会
11月24〜25日@名桜大学

シンポジウム「ナラティヴを通した他者理解―聞き手の視点と感性に注目しながら」
- 企画・司会:植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
- 話題提供者:田中彰吾(東海大学),植田嘉好子(川崎医療福祉大学),能智正博(東京大学)
- 指定討論者:西研(東京医科大学)

 企画趣旨
 ナラティヴは生の出来事についての語りや物語を指し、心理、福祉、医療などの質的研究における重要な手がかりとされてきた。ブルーナーは人間の思考様式を「論理-科学的様式」と「物語的様式」とに分類し、人々の生活の社会文化的次元や個人的豊かさを理解するうえで「物語的様式」の重要性を強調した。また医療では科学的根拠を重視するエヴィデンス・ベイスト・メディスンに対して、患者の語りや対話に基づくナラティヴ・ベイスト・メディスンが提唱されている。
 ただ、こうしたナラティヴは真空のなかに生まれるものではなく、インタビュー等の対話のなかで生じるものであり、あるいはそのようななかで聞き手によって聞き取られるものである。患者やクライエントの語りを、あるいは語られないナラティヴを、他者である私たち研究者はどのように理解し、妥当な研究データとして活用することができるのか。
私たちはこれまでにも学会の場で「ナラティヴ・セルフ」について議論してきたが、前回の議論では、次のようなテーマが浮かび上がっている。
  ①ナラティヴにおける情動や欲望の次元、
  ②語り手と聞き手の関係や相互作用、および聞き手の感性の問題、
  ③ナラティヴ分析におけるパースペクティヴと妥当性の課題
 ナラティヴを用いる実践や研究では、クライエントや研究協力者等の「他者」に対する理解が前提であり重要な目的でもある。しかしそれがどのように聞き手において実現され、第三者へと普遍化されるのか。本シンポジウムでは、上記のテーマを意識しながら田中、植田、能智が話題提供を行い、それを踏まえて現象学者の西が指定討論を行って、人間的な経験の本質に迫るルートとしてのナラティヴに関する議論を深めていきたいと考えている。
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このメンバーでシンポジウムを組むのは2回目で、昨年8月の国際理論心理学会でのシンポジウム以来になります。もっと遡ると発端は2016年7月にエンボディードアプローチ研究会で開催した「人間科学と現象学―他者の経験にアプローチする」にあります。現象学を人間科学に応用するさいには、そもそも研究者がインタビュー対象者をどのように理解できるのかが問題になります。そのとき、インタビューの聴き手と語り手の関係性に依存する次元を超えて相手を理解するには、語り手の表面的なナラティヴを超えて、ナラティヴによって構成されているアイデンティティの次元にまで迫る必要があるんじゃないか、という議論になったのでした。今回の企画も、こうした議論の延長にあります。

今回は会場が沖縄県名護市の名桜大学になります。沖縄に行くのは10年以上ぶりなので、ランドスケープの変化を目にするのも楽しみにしています。

 

2018年11月8日木曜日

10月の備忘録

前回の投稿からちょうど1ヶ月。ブログを更新できないまま場当たり的に仕事をやっつけ続ける日々が続いています。以下、とりあえずこの間にこなした仕事を備忘録として書いておきます。
 
・駒場で「学際科学概論」の講義:105分の講義を連続2コマで、終わったら声がかすれました。が、自身の研究に深くかかわる内容を講義できるいい機会でした。
・科研費の申請書作成:手元にリサイクルできる企画があったので、計画調書としてリライトして提出しました。枠が挑戦的研究なので、まあ、採択されないと思いますが。
・医学部の学士編入生を相手に「現代文明論」の講義:3年ぶりに担当したので思い切って内容を変えて「心の病は実在するか?」というタイトルにしました。精神医学の哲学がらみの講義。講義につづく学生のディスカッションでは、精神障害の命名と診断をめぐって、なかなか味わい深い意見が多々出ていました。
・身体図式と身体イメージに関する展望論文:自他研の面々で書いた論文のとりまとめ作業…作業が遅れてみんなに迷惑をかけていたのですが、ようやくエディット終了。
・リハビリテーション関連の議論:小脳病変に由来する運動障害の理学療法を専門としている菊地豊先生とディープな議論。小脳変性症の当事者の映像をいくつか拝見しましたが、触発されて考えることが多々ありました。今後も、運動障害と運動学習について、時間をかけて議論を深めていくことになりそうです。
・国際シンポジウムの準備:毎年3月にデンマークの東海大学ヨーロッパ学術センターで開催しているシンポジウムの事務的な準備がようやく始まりました。
・準備中の単著の執筆:進捗はまあまあです。
・フックス本の読書会:毎回議論が盛り上がるのでなかなか進みませんが、3章まで読み終わりました。

あれこれ迫り来る主任のお仕事(こちらは「お仕事」であって本来の「仕事」ではありません)の合間にこれだけ研究を進めたので、よしとします。
 
 

2018年10月8日月曜日

発売が始まりました

以前ここでも告知した文化心理学関連の以下の書籍、オンライン書店での発売が始まったようです。いわゆる比較文化的アプローチではなく、「そもそも文化とは」という視点を強調していること、過去の心理学のなかで文化を重視した論者を(ヴントの民族心理学も含めて)再発掘していることが本書の大きな特徴だと思います。
 
Gordana Jovanović, Lars Allolio-Näcke & Carl Ratner (Eds.). (2018). The Challenges of Cultural Psychology: Historical Legacies and Future Responsibilities. New York, NY: Routledge.



実物をまだ手にしていないのですが、カラフルでいい感じの装丁ですよね。ちなみに、私が分担したのは以下の章になります。

Shogo Tanaka
Chapter 17: The self in Japanese culture from an embodied perspective

身体化された自己の観点から、日本文化における自己の問題を論じています。出版社向けのプロポーザルに収録されたアブストラクトは出版された書籍のなかに収録されなかったようなので、ここに転載しておきます。いわゆる「西洋的自己-非西洋的自己」という二分法ではなく、身体的自己が文化的コンテクストによって個人主義的なものにも集合的なものにも生成しうる点を強調した論考です。内容に関心のある方はぜひ本書を手にとってみてください。
 
[Abstract]
The main aim of this paper is to consider the self in Japanese culture from an embodied perspective. Since early 1990’s, the discourses on the embodied mind have brought a radical change in the sciences of mind, including the notion of the self. In the following argument, first, I briefly describe the basic aspects of the embodied self, the notion of which was derived from the embodied mind paradigm. Then, I examine the discourse on the self in cross-cultural psychology that focuses on the differences in the self between the West and East, including Japanese culture. In the extant literature, it is widely acknowledged that the self in Eastern (or more widely, non-Western) cultures has the characteristics of being “interdependent” and “collective” in comparison with that in Western cultures. In addition to this, the self in Japanese culture has been described as “relationship dependent.” Finally, I give an account of the same characteristics from an embodied perspective in order to find a path to an understanding of the self beyond cultural dichotomies, such as “Western” and “Eastern.” If the self is inevitably embodied, such a self could be constituted as either “individual” or “collective,” “independent” or “interdependent,” regardless of the cultural background.
 

 

2018年9月30日日曜日

旅の余韻

出張続きの9月でした。いまもまだ余韻の中にいます。
 
9月中旬、ハイデルベルクで「Time, the Body, and the Other: Phenomenological and Psychopathological Approaches」というカンファレンスに参加。トーマス・フックス氏の年来の研究者仲間が集まるアットホームな雰囲気の会議でした。現象学と精神医学というサブタイトルがついていますが、名だたるエナクティヴィストもたくさん来ていて(Hanne De Jaegher, Ezequiel Di Paolo, Tom Froeseといった面々)、彼らのトークを聴きながら、動きと行為を出発点にして自己と世界をとらえることの意味を改めて考えました。私は少し違った文脈で対人恐怖症について話したのですが、そちらにもいろんな方からコメントをもらえて励みになりました。ちなみにショーン・ギャラガーの講演が行われたアルテ・アウラ(1886年に建てられた建学500周年の記念講堂)の雰囲気がとても良くて、束の間「学問の殿堂」にいる気分に浸りました。
 
下旬、日本心理学会で仙台へ。大会中日は大学を抜けられなかったので泣く泣く日帰り。しかも出番が二回あったので25日・27日と日帰り二回でした。今回の大会はいずれも心理学と哲学の中間領域に関係するシンポジウムで、一件は現象学と心理学史、もう一件は科研費のプロジェクトに関連する「個別事例学」の企画でした。初日は40人弱、3日目は立ち見の出る盛況で、「日心も変わったなぁ」と感じた大会でした。10年前なら、こんなに哲学寄りの企画ではこの半数くらししか人が集まらなかったと思います。質的研究が強くなったこと、再現性問題をきっかけに心理学の方法の問い直しが進んでいること、意識や自己といった研究領域では心理学と哲学の問題意識が重なること、等々、いろんな要因が背景にありそうですが、私のように心理学の哲学を手がけてきた研究者からするとこの変化は歓迎すべきものに感じます。この種の議論を通じて新たな知が生まれてくることを信じて、今後も議論を続けたいと思います。
 
そして最後に大阪。認知神経リハビリテーション学会に参加してきました。とても得がたい経験でした(関係者の皆様にお礼申し上げます)。大会前日の28日夜に大阪入りして関係者の懇親会に参加したのですが、会長の宮本先生や重鎮の森岡先生、生理研から来られていた吉田先生とずっと議論をしていました。身体性をめぐって、意識の謎をめぐって。で、それはその日だけでは終わらず、大会1日目それぞれの講演の前後に楽屋でもずっと続くという感じで、長い長い座談会をやっていたような感じでした。レセプションでも若いPTやOTの皆さんから答えきれないくらい多くの質問をいただいて、ひたすら答えていたら何も食べる間も無く終わってしまいました。皆さん患者さんの身体に日々真摯に向き合っておられるからか、身体経験についての(哲学的な次元を背後に含む)深い質問ばかりでした。「病態を深化する」という大会テーマもこれには関係していたと思います。病態を深く理解することは、現象学的身体論とも響きあうテーマです。私も触発されて多くの問いと思考を持ち帰ってきたので、これから自分の言葉にしたいと思っています。
 
というわけで、旅の余韻が終わらないまま、10月に入ろうとしています。


 

2018年8月28日火曜日

9月の登壇予定(3)

その3。
9月29日〜30日、大阪の門真市文化会館ルミエールホールにて「第19回 認知神経リハビリテーション学会学術集会」が開催されます。

光栄なことに大会の特別講演者として話をさせていただきます。声をかけていただいたタイミングが身体図式・身体イメージの国際シンポを開催した直後で、ちょうどイアン・ウォーターマンのリハビリ過程に即して身体イメージについて考え直していたところでした。ウォーターマンは感染症に由来するニューロパシー(末梢の神経障害)に陥り、首から下の触覚と固有感覚を失ってしまった患者です。その患者が、身体を見つめて身体イメージを活用することで、日常生活のさまざまな行為を実行できるようになったのですが、ここには、リハビリテーションにおける運動イメージと身体イメージの持つ本質的な意義が隠れているように思うのです。当日はこの点を掘り下げて考えてみたいと思っています。

私の教え子のなかにも、リハビリテーションの現場で働いている卒業生がいるので、この分野の専門家とのコラボレーションを楽しみにしています。


 

9月の登壇予定(2)

その2。
9月25〜27日、仙台国際センターで日本心理学会第82回大会が開催されます。
田中も関係するシンポジウムで話します。

(1)
9/25 (火) 13:10-15:10 小会議室2
シンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて-近代心理学と現象学」
企画代表:渡辺恒夫,話題提供:渡辺恒夫・田中彰吾・村田憲郎,指定討論:直江清隆・渡邊芳之,司会:渡辺恒夫

(2)
9/27 (木) 13:10-15:10 会議室3B
シンポジウム「事例研究はいかにして「客観的」たりえ、他者に利用可能たりうるか?」
企画代表:三嶋博之,話題提供:河野哲也・佐藤由紀・青山慶,指定討論:三嶋博之・田中彰吾,司会:染谷昌義

(1)のほうは「心の科学の基礎論研究会」の議論のスピンオフ企画のようなものです。ブレンターノ、ゲシュタルト心理学、フッサール現象学、という歴史的起源をたどりつつ、そこから発展する可能性のあった「もうひとつの心理学」を考えます。
 
(2)は、去年から進行中の科研費プロジェクト「生態学的現象学による個別事例学の哲学的基礎付けとアーカイブの構築」の企画です。「個別事例学」としていま議論を進めているものの経過報告という意味合いがありそうです。今回はとくに、一回しか生起しない出来事を事例研究として位置付けるにはどうすればいいのか、という論点を掘り下げることになりそうです。

心理学会に参加予定の方は会場でお会いしましょう。


 

9月の登壇予定(1)

これから登壇する予定をいくつか。
その1。

9月13日、ドイツ・ハイデルベルクで開かれるカンファレンス「Time, the Body, and the Other」で話します。


このカンファレンス、じつはハイデルベルクでヤスパース講座の主任をつとめてきたトーマス・フックス氏の60歳の誕生日祝いという隠れた意味があります。カンファレンス・ディナーは、彼にゆかりのある人たちが集まっての誕生パーティになるらしいです。これは盛り上がりそうで楽しみ。

カンファレンスのタイトルを見て、私は当初、鏡像、身体イメージ、反省的自己の話をしようと思っていたのですが、準備をするうちに気が変わりました。今回は対人恐怖症の話をしてきます。対人恐怖症は、他者の視線に出会った瞬間を契機として、私の身体がいつもどおりのあり方を失って、赤面したりどもったりし始めるという点で、「Time, the Body, and the Other」というテーマをうまく反映している主題だと思います。

2018年8月26日日曜日

8月の備忘録

たまたまTVをつけたら日テレで24時間テレビをやっていて「えっ、もう8月終わっちゃうの?」と何とも言えない脱力感におそわれた田中ですこんにちは。

とりあえず、8月に進めた主な仕事を備忘録的に記しておきます。

  • 同僚のO先生と来年の職場の時間割原案の作成(ひたすらむなしく頭を使う時間だった…)
  • 友人と共著で書いている論文の執筆(今まで読んだことのなかったフランツ・ファノンを初めて本格的に読んで人種差別や植民地的経験についていろいろ思うところあり)
  • 11月に質的心理学会で登壇するシンポジウムの準備(ナラティヴについて考えます)
  • 8月中旬に北京で開かれた世界哲学会の準備(河野先生と企画したラウンドテーブル1件、自分の研究発表1件。どっちも盛況でありがたかった。ちなみに初北京で食事は満喫したのですが、途中からアレルギー性?の鼻炎がひどくなってまいりました)
  • 8/24に立教で開かれたヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』合評会で司会(司会を依頼されたタイミングでたまたまファノンを読んでいて人種差別について考えを深めたくて依頼を受けたのですが、ンゴさんやレビュアーの発表を聞いていて考えることがいろいろあり。おそらく、身体イメージのレベルでのネガティヴな経験が身体図式へと織り込まれ図式がうまく機能しなくなる点に差別される経験の身体性の核心があると思う。他にも多々刺激を受けた)

  • 某出版社から予定している次の単著の企画書を作成
  • 来月末の日本心理学会で登壇するシンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて」の発表準備(ただいま進行中)
という感じで、あっという間に8月がもうすぐ終わります。
 


2018年8月8日水曜日

自撮りを入れてみました(Tanaka, 2018)

こんばんは。
 
今年、刊行が始まった新しいジャーナルで「Human Arenas」というのがあって、私もAssociate Editorとして参加しているという話を以前書きました。
新ジャーナル:Human Arenas

それで、去年、国際理論心理学会が東京であったときに、関係者と「Locating the bodily borders of individuality」という名称のシンポジウムを開いたのですが、その発表を論文にするようせっつかれていました。

…うーん、締め切りが4月末だし、他に優先順位の高い仕事いくつか抱えてるし書けないよな〜、ってほとんど諦めていたのですが、他の仕事の合間にところどころ浮いた時間で短い論文をなんとか書きました(自分で自分をほめてあげたい-笑。

ただいま、Online Firstの状態で雑誌のサイトで公開されています。以下のリンクをたどって右側にある「Download PDF」をクリックすると無料でダウンロードできます。

Tanaka, S. (2018). Bodily Basis of the Diverse Modes of the Self. Human Arenas, 1. https://doi.org/10.1007/s42087-018-0030-x

中身は一種のレビュー的な内容です。身体経験がいかにして多様な自己のあり方を支えているのか、現象学的な分析を短くまとめてあります。前反省的な自己、反省的な自己、自律的な自己、相互依存的な自己、それぞれ、身体経験が環境や他者との相互作用を通じてどのように焦点化されるかに応じて、構成される自己の様式も異なるという話です。
 
ところで、文章が短いので何か工夫できないかな〜と思って、自撮りの写真(顔ではなくて手だけですが)をいくつか入れてみました。(a)物に触れる、(b)自分で自分に触れる、(c)他者に触れられる、それぞれの場面で紙面を充実させるのに写真に一役買ってもらいました。手作り感がなんとも残念な感じに仕上がっていますのでぜひご覧ください(笑
 

 
[2018/8/11 追記]
先ほど上記リンクを確認したら、第1巻第3号にページを割り当てられていました。正確な書誌情報は以下になります。
Tanaka, S. (2018). Bodily basis of the diverse modes of the self. Human Arenas, 1, 223-230.
引き続き、リンクからたどってPDFファイルを無料でダウンロードできるようです。






2018年8月2日木曜日

序が読めます-『現象学入門:新しい心の科学と哲学のために』

こんにちは。

7月末に販売された拙訳、コイファー&チェメロ『現象学入門』ですが、勁草書房編集部のサイト「けいそうビブリオフィル」で冒頭の「序」が読めるようになりました。
 
あとがきたちよみ『現象学入門』
 
6ページの短い文章に、本書のサブタイトル「新しい心の科学と哲学のために」を凝縮したような内容が記されています。逆に、普通の現象学入門に期待されるけれど、本書には書かれていないことについても、この序で明記されています。

ちなみに、序には、私が原著で読んだときに思わず顔がほころんだ(うれしくて)一文があります。

「あなたが現象学を学ぶべき最も簡単な理由は、すべての人が現象学を学ぶべきだからである。」(The simplest reason one should study phenomenology is because everyone should. )

こんなに強烈な価値判断に満ちた一文をさらっと書けてしまうのって、なかなかすごくないですか? これがたんに著者らの現象学に対する偏愛だったなら、この本をわざわざ訳したりはしなかっただろうと思います。

本書は、現象学の古典的な考え方について、現代の視点からフェアに評価しつつも、そこに流れている新たな可能性(とくに身体性認知科学に連なる)を拓こうとしています。ぜひ上記サイトにお立ち寄りください。
 

 

2018年7月25日水曜日

現象学入門-新しい心の科学と哲学のために

今日、見本が届きました。
 
ステファン・コイファー&アントニー・チェメロ著
『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』
田中彰吾・宮原克典訳,勁草書房,2018年7月,定価3300円+税
 

黄色の装丁に緑色の帯で、私が想像していたよりもきれいな仕上がりでした。現物をスキャンしてみた写真が↑です。カバーを外すと黄緑色の装丁になっていて、これもなかなか美しいです(こちらはスキャンしたら色味が残念な感じに変わってしまったので書店で手にとってみてください)。
 
帯に入っている一文「フッサールから現代の身体性認知科学へ」は、本書の特徴をひとことで端的に表現してくれています。現象学を専門にするコイファーと、生態心理学から出発して身体性認知に取り組むチェメロの共著でなければ、こういう本は書けなかっただろうと思います。
 
帯の裏面は訳者解説から文章を拾っていただいたのですが、こちらは先の一文をもう少し丁寧に伝えるものになっているので、ここに掲載しておきます。
 
「本書には大きな特徴が二点ある。一点目は、独特の専門用語や論述の難解さで知られる現象学を、英語圏の哲学に特徴的な明晰な論述スタイルで解説していることである。二点目は、フッサール以来の現象学の中心的なテーマは「身体性認知科学」にこそ最も鮮明に受け継がれている、という著者たちの独自の観点を貫いていることである。それゆえ本書では、現象学という思想的潮流の歴史が、19世紀末の科学的心理学(第1章)、ゲシュタルト心理学(第4章)、ギブソンの生態心理学(第7章)、ドレイファスによる認知主義批判(第8章)、身体性認知科学(第9章)など、通常の現象学入門書ではあまりとりあげられることのないトピックの丁寧な解説とともに描き出されている。」
 
これから現象学を学びたい人、身体性や技能の観点から過去の現象学を振り返ってみたい人、心理学や認知科学の歴史と哲学的基盤に関心がある人、現象学が拓く将来の科学と哲学を考えてみたい人…、とにかく皆さま、手にとってみてください。
 



2018年7月14日土曜日

近況報告

ごぶさたしています。
 
前回の投稿が6/10ですから、1ヶ月以上このブログを更新できない時期が続いていました。理由はいたって単純です。4月から所属先の部署で主任をまかされているのですが、その事務仕事で忙殺されていてここで何かを書く時間がないのです。主任をやっているおかげで大学の中枢で何が起こっているかがわかる場面も増えましたが、それがわかってもポジティヴな気分になることはまずないです(いまどきの大学が置かれている苦境ばかり知ることになります)。知れば知るほど大学をやめるほうがいいんじゃないかと考えることもあります。まあ、研究にも教育にも専念できないポジションというのはとかく精神的に良くないです。
 
以下、とりあえずこの間の活動記録です。

1) 訳書:コイファー&チェメロ『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』(勁草書房近刊)→校正作業が終わりました。アマゾンのページもできています。黄色でいい感じに目立つ装丁なので仕上がりが楽しみです。

2) ブックプロポーザル:3月に開催したBS-BIのシンポジウム、書籍化に向けて、アタリア、ギャラガーの両氏と動いています。プロポーザルがほぼできました。いい出版社から出せるといいのですが。

3) ちなみに、このシンポジウムは自他表象研究会のメンバーもみんな発表してくれたので、その内容を全員で論文化する作業を進めています。夏休みが終わる頃には投稿できるかなぁ。

4) IHSRC:6月下旬に米国サウスカロライナで開かれたInternational Human Science Research Conferenceに参加して発表してきました。現象学の境界領域で、看護、心理、教育、福祉、哲学、倫理などの関係者が集まっていました。ビジネスミーティングで2021年東京開催を打診し、流れを作ってきました。

6) Human Arenasに投稿する特集論文、レビューが「Minor Revision」で掲載可の結果で戻ってきたのでとりあえず修正して再投稿。去年のISTP東京大会のシンポジウムで話した内容を論文化しました。

6) Routledgeから9月に出る予定の「The Challenges of Cultural Psychology」の自分のパートの最終ゲラが届いたのでさっそくチェックして送り返しました。

7) 去る7月7日に、心の科学の基礎論研究会で、東大精神科の榊原さんが拙著の合評会で評者をつとめてくれました。多様なトピックを扱った本ですが、中身を丁寧に読んだうえで行き届いたコメントをくれて、著者として嬉しかったです。批判に十分に応じていない箇所も残ったかもしれませんが、それは今後の宿題とします。
 
8) トーマス・フックスの『脳のエコロジー』、読書会メンバーとともに読み進めています。ただいま2章に入っています。
 
9) 昨年12月に認知科学会・冬のシンポジウムで話したプロジェクション科学の特集論文をただいま執筆しています。
 
…こうやって記録すると、時間がないながらに活発に活動はしています。といいますか、主任で時間を取られて研究できなくなるのはとにかく悔しいので、睡眠時間を削ってやっているというのが本当のところです。
 
では、また。


 

2018年6月10日日曜日

離人症論文(Tanaka, 2018)とブックガイド

以前ここでもお伝えしましたが、2016〜17年にかけて科研費の助成を受けてハイデルベルク滞在中に主に取り組んでいた離人症についての研究が、ようやく論文になって刊行されました。


「身体から切り離されているとはどういうことか?」という刺激的なタイトルをつけてありますが、離人症の主な症状のひとつである「disembodiment feeling(脱身体感)」を追求したものです。

脱身体感とは、自分が身体から離れたところにいるように感じられる、そこから自分の行為を傍観している感じがする、という症状を指します。文字通りに受け止めると体外離脱的な状態のようにも聞こえますし、心身二元論を支持する経験的事実のように解釈できるかもしれません。…ですが、本当のところはどうなんだろう、そういう理解でよいのだろうか、という疑問に取り組んでいます。

なお、実験的に引き起こされる体外離脱として知られる「フルボディ・イリュージョン」の体験内容と何がどう違うのか比較しながら、解明を試みています。詳細は本文に譲りますが、行為場面での主体感(sense of agency)に着目すると、必ずしも自己と身体が明確に切り離されている状態ではなさそうだ、というのが私の理解です。脱身体感を引き起こしている主な原因は、身体の所有感(sense of ownership)が極度に低下していることに由来していると思われます(その背景には離人症に特有の感情鈍麻があります)。こういう基礎的な理解が、将来の治療のヒントになればと願っています。
 
ところで、離人症については、知人の芹場輝さんがブックガイドを以前作成してくれたので、研究アーカイブに約1年前から掲載していました。掲載当初、洋書の案内もいずれ追加する予定になっていましたが、このたび、大幅に加筆増補したリストができました。

 *離人症・関連書籍

ご覧いただけるとわかりますが、離人症の関連資料について、日本語で書かれたもっとも網羅的なガイドになっています(英語でもこれほど充実したものは見たことがないです)。今回は洋書だけでなく全編が改訂されて、「入門・概説・ルポ編」7冊、「記録編」15冊、「研究書・専門書編」19冊、「治療編」4冊、「文学編」9冊、「映画編」2件、全体で21ページという充実ぶりです(「研究書・専門書編」には恥ずかしながら拙著も含まれています)。これを読むだけでも、離人症がどのような症状をともなう病理であるかを理解できると同時に、その臨床像が決して一様ではないということも把握できる内容になっていると思います。

では、また。


 

2018年6月7日木曜日

7/7に拙著の合評会があります

早いもので、北大路書房から『生きられた〈私〉をもとめて-身体・意識・他者』を出版して1年がたちました。この間、複数の大学院の授業で教科書として使って授業を実施しましたが、わりと好意的なフィードバックを学生からはもらっています(自分で言うのもアレですが)。
 
ひとつの理由はこういうことのようです。心の科学的研究に関連するトピックを取り上げながら、それを哲学的な論点と結びつけて考察を深めていく本って、ありそうでいて実際にはそう多くないのです。科学者が書くものは事実の記述に寄り過ぎているものが多いですし、哲学者の書くものは哲学上の論点が先行して研究上の知見にあまり寄り添っていないものが多いので(私は哲学側から書いていますが、できるだけ科学的研究が解明しようとしている当の主観的経験に沿って考察を進めることを心がけました)。
 
また、心の哲学を背景にするものなら類書はあったかもしれませんが、現象学を背景にするものは少なかったように思います。ギャラガー&ザハヴィの『現象学的な心』はありますが、内容は素晴らしいものの入門書と呼べるほど読みやすいものでもないですし。ちなみに、同じ勁草書房からもうすぐコイファー&チェメロ『現象学入門:新しい心の科学と哲学のために』が拙訳で出ますので、楽しみにしていてください。
 
…というわけで、この1年、拙著は地味ながら堅調に一定の読者に受容されている感じかも、というのが著者自身の見立てです。
 
ところで、そろそろ正式なお知らせが以下の研究会のウェブサイトに出ると思いますが、7/7に「心の科学の基礎論研究会」でこの本の合評会を開催してくださることになりました。評者は、東大精神科の榊原英輔さんです。どんな議論になるのか、楽しみにしています。
 

 

2018年5月20日日曜日

9月発売です-文化心理学関連

すっかり忘れていましたが、2017年1月にこんな記事を書いていました。
うれしい来客

その後複雑な経緯があって(…とジョヴァノビッチさんから裏話を聞いてます)編集が滞っていたらしいのですが、以下のタイトルでRoutledgeからようやく出版されるらしいです。

Gordana Jovanović, Lars Allolio-Naecke, Carl Ratner (eds.) 
The Challenges of Cultural Psychology: Historical Legacies and Future Responsibilities.
London, UK: Routledge.

文化心理学も近年わりと盛んではあるので、いろいろな研究がなされていますが、基本的にはいまだに比較文化的なアプローチが多いように思います。要は、文化を一種の独立変数として事象を説明するようなアプローチですね。

今回出る本は、いわゆる比較文化的なアプローチとは明確に違います。理論的背景を重視しながら「そもそも文化とは」という次元に哲学的あるいは歴史的な観点から切り込んだチャプターがたくさん配置されています。上のリンクから目次を見てもらえばわかると思いますが、第2部ではヴィーコ、ディルタイ、カッシーラーといった哲学者の仕事が取り上げられ、第4部ではロム・ハレやケネス・ガーゲンのような哲学的心理学に近いスタンスの人たちが寄稿しています。

私も「日本的自己」について初めてまとまった文章を書きました(17章に「The Self in Japanese Culture from an Embodied Perspective」のタイトルで入っています)。以前から「西洋的vs東洋的」という二分法に陥らないやり方で、身体性に基礎を置いて自己と文化の問題を考えてみたかったので、ちょうどいい考察の機会を与えていただきました(もう少し詳しいことは上記の「うれしい来客」で読めます)。
 
そういえば、論文ではなく書籍に英文で寄稿するのはけっこう久しぶりです。しかも今回はRoutledgeのようなメジャーな出版社なので、出版された本を手にするのを楽しみにしています。
 

 

2018年5月19日土曜日

レジュメ追加(フックス『脳のエコロジー』)

しばらくぶりに研究アーカイブのページを更新しました。

今回は、ただいま読書会が進行中の Thomas Fuchs "Ecology of the Brain" の序文 (introduction)を追加しました。
https://drive.google.com/file/d/1v4gGBht7zfOp6tEG7nOpSoa7QYb8wa-M/view

論旨は明確なので、ここであれこれ解説を加える必要はないでしょう。リンクをたどって内容をご覧ください。

本書はやはり、神経科学の哲学における新たな動向として、注目すべき内容を多く含んでいるように思います。脳を環境との関係で考える、というエコロジカルな発想は以前からあったように思いますが、それをソーシャル・ブレインおよび間主観性との関連でも論じている点は、私の知る限り例がほとんどないように思います。


 

2018年4月29日日曜日

台湾に行ってきます

去年のいまごろ「イスラエルに行ってきます」と書いていたのですが、今年はGWを使って台湾に行ってきます。
 
これもちょうど去年の今ごろだったように記憶していますが、International Human Science Research Conferenceという国際会議を東京で開催できないかという相談をS・ホーリングというシアトル大学の先生とメールでやり取りしていたのでした。日本語にすると「国際人間科学研究会議」となるでしょうか、現象学に影響を受けて心理や教育や看護などの領域で研究を展開している研究者が集まる学会があります。
 
そのときに、話の流れで日本だけでなく台湾の研究者(東アジアからIHSRCに参加するのは日本と台湾の研究者が多いのです)とも共同できるといいですね、ということになったので、以前から交流のあった台湾の国立東華大学にいる李先生に相談したのでした。李先生は台湾出身でアメリカのデュケイン大学で学位を初めて取った方です。デュケインは知っている人は知っていると思いますが、A・ジオルジが現象学的心理学の学派を立ち上げた場所で、今でも北米では現象学がもっとも盛んな大学のひとつです。そういえば2016年にプラハで会った「The End of Phenomenology」の著者のスパロウさんもデュケインの出身だと言ってました。
 
…それで、話がちょっと脱線気味なのですが、そんなこんなでIHSRC日本開催に向けて李先生と一緒に日本と台湾の研究者の交流を進めることになりました。3月に主催した身体図式と身体イメージのシンポジウムで彼に日本に来てもらったので、こんどは私が現地に行って来ます。現地滞在3日で3大学を回って3講演というなんとも大変なスケジュールなんですが、とりあえず今回は関連分野の研究者のネットワークを広げるために行ってくるという感じです。台湾に行くのはかれこれ15年ぶりくらいなので、街の景観や人々がどんな風に変わっているのか自分の目で確かめたいです。
 

 

2018年4月17日火曜日

コイファー&チェメロ『現象学入門』・続報

この記事からすでに1年以上ですか…

コイファー&チェメロ『現象学入門』
https://embodiedapproachj.blogspot.jp/2017/01/blog-post_29.html

翻訳作業について、ようやく続報です。先ほど、訳者解説まで含めてすべて勁草書房の担当編集者さんにお送りしました! 今回はアメリカで研究中の宮原克典さんと共訳で取り組んでいるのですが、優秀な若手とのコラボは仕事が楽しいし捗るし、やっぱりいいものですね(ちなみに訳業に着手して1年以上経過していますが、翻訳にかけた実時間はかなり短いと思います)。
 
中身のことを紹介する時間が今はないので、興味のある方は上の記事をたどってみてください。現象学と心の科学の接点で書かれた本で、とくに身体性認知科学の未来を占う内容を含む一冊になっています。それを反映して、邦訳は『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』というタイトルで刊行することになりそうです。ともあれ、面白い本ですよ〜
 
さ、これから明日の教授会の準備をしなければ。管理職つら…。


 

2018年4月4日水曜日

新ジャーナル:Human Arenas

新年度ですね。

年度始めそうそう、「現代教養センター主任」というなんとも大変な辞令をいただいてしまいました。ぁぁあ、部署での立場や年齢を考えると管理職の業務が自分にも回ってくるのは致し方ないとはいえ、研究者として片づけねばならない仕事が山積している状況では、体が二つないと務まらないかも…と不安に感じている次第です。

ところで、辞令をもらったその同じ日に、嬉しいお知らせが届きました(あ、管理職の辞令が嬉しくないといっているわけではありません)。私も共同編集者(associate editor)として加わっている新ジャーナル「Human Arenas」のVolume 1, Issue 1がついに刊行されたそうです。
 
Human Arenas
Volume 1, Issue 1, March 2018


 
編集代表は、デンマーク、オールボー大学のルカ・タテオ氏と、イタリア、サレルノ大学のジュゼッピーナ・マルシコ氏のお二人です。私は文化心理学方面の仕事でお二人といろいろと仕事上の議論を共有しているうちに雑誌に参加することになりました。

このジャーナルは、かなり広めの読者と執筆者を念頭に置いて発行されています。発行元のSpringerのホームページでは「Cognitive Psychology」に分類されていますが、認知心理学だけではなくて、心理学の理論的基礎を扱う関係で、社会学、言語学、生物学、哲学など、隣接領域との議論もいろいろと扱っていくものになる見込みです。二人の後ろには博学なJaan Valsinerさんがアドバイザーとして控えているので、広角だけど芯はしっかりした雑誌になるのだろうと思います。

関心のある方は、ぜひ以下の原稿募集ページをご覧ください。学会ベースの一般的なジャーナルには見られない趣向が凝らされていることに気づかれると思います。

Call for articles and special sections
 
いろいろな趣旨の誌上特集にも柔軟に対応できるジャーナルなので、心理学の境界領域で特集を組んでみたい方なども、ぜひアイデアをお寄せください。

…というか、その前に次の特集号に自分の原稿を書かねばならないのですが、間に合うんでしょうか…



 

2018年3月29日木曜日

お礼申し上げます

3/24-25に開催した国際シンポジウム「Bosy Schema and Body Image」は、盛況のうちに無事終了しました。ご来場いただいた方々、発表してくれた方々、運営を手伝ってくれた方々、皆さまありがとうございました。
 
個人的な感想を少し。使用言語を英語にして最初にワークショップを開催したのは2012年だったのですが、あれから5年半たって、オーガナイズもかなり公共性の高いものにできるようになったと思います。
 
今回は最初からアタリアさんと二人で話を進めて、フォーマルな「依頼講演」はショーン・ギャラガー氏以外にはお願いせず、残りは発表を公募し、普段から緊密に研究協力している人たちにお声がけしたり、あとは学術系SNSにCall for Papersを掲載したりしました(発表13件のうち4件は、私もまったく面識がない人たちによるものでした)。
  
依頼講演の件数が多くなると、どうしても議論にある種の遠慮が出てしまいます。今回のシンポジウムのように学際的な場での議論には、分野の違いについてのリスペクトはもちろん必要なのですが、遠慮なく互いに言い合える雰囲気を作ることがとても重要です。でないと、新しい知見に気づいたり、既存の事実についての理解を深めたりすることが可能になりません。
 
そういう意味では、今回はとてもいい議論ができたと思います。身体図式も身体イメージも、神経科学的に見ると脳の中の身体表象(body representation)という理解ができるのですが、現象学的に見ると必ずしもそういう理解は適切ではありません。身体は知覚と行為の主体として世界に埋め込まれています。
 
つまり、「body in the brain」という見方を取るのか、「body in the world」という見方を取るのか、認識論的な枠組みの違いが問題になります。また、どちらの見方に立っているかに応じて、身体図式と身体イメージをどう区別するかという理解の違いも生じてきます。これがさらに広がって、具体的な各種の現象について、説明のしかたの枠組みを作っていくことになります。今回も、幻肢、ラバーハンド錯覚、痛覚失認、PTSD、拒食症、運動学習など、さまざまな現象に沿って図式とイメージの差異と相互作用が問題にされていました。
 
簡単に結論が出るわけではないのですが、認識論的な違いまで論点を明確にできると、議論全体のマッピングが可能になるようなしかたで、問題の構図が見えてきます。一方が正しくて他方が間違っている、ではなくて、ある議論はある範囲において部分的に正しく、別の議論は別の範囲において部分的に正しい、という位置関係が相対的に見えるようなマップです。今回は、身体性の問題をめぐって、そうしたマップがだいぶ見えた印象を持ちました。このマップを手がかりに、成果を一冊の本として編集したいと思っています。
 
今回も思いましたが、いい意味で遠慮のない議論のなかで、新しい実験の着想が可能になったり、現場での観察から理論への示唆が可能になったり、といった知の創造が可能になるのだろうと思います。次はどのような形で開催するか未定ですが、実験・理論・臨床というコラボレーションでの議論の場は続けたいと考えています。
 
ところで、今回は2017年度の秋学期に駒場の授業で教えていた学生さんたちが運営をいろいろと手伝ってくれたのですが、終わった後で彼らの目がきらきらと輝いていたのが印象的でした。次世代の人たちに何かが伝わると、やっぱりやって良かったな、と強く思います。
 



2018年3月16日金曜日

ずっと準備中の日々

授業期間と入試業務が終わった2月の中旬ごろから、講演やら発表やら、いろいろと人前でお話ししたり議論したりする宿題をこなす日々が続いています。備忘録を兼ねて書いておくと、こんな感じです。
  • 文明研究所での講演(2/24「20世紀人文思想における身体を振り返る」)
  • フックスさんに新著『Ecology of the Brain』についてインタビュー(3月冒頭)
  • ヨーロッパ学術センターでの国際シンポジウム「3rd Dialogue between Civilizations」で企画したパネル(3/8「Embodiment, Culture and the Self」)で話す内容の準備
  • 現代教養センターでの科研費と在外研究についての報告(3/14:在外研究報告会「生きられた〈私〉をもとめて」)

そして、ただいま以下2件の準備中です。

  • 3/21の国際シンポジウム「社会構築主義の視点と臨床の現場」での話題提供(「現象学的心理学の立場から」)
  • 3/24-25の国際シンポジウム「Body Schema and Body Image」でのレクチャー(「Body schema and body image in motor learning」)

 
うーむ。さすがにこうして毎週のようにトークが控えていると、1件終わると次の準備で頭の中を切り替えなくてはならないので、余韻のなかで考えを深めることができないですね。もちろん根っこではすべて現象学と身体論につながっているとはいえ、人前で話をして、議論をして何かを受け取って、それをもとに余韻のなかで考えて、という循環が早すぎて、まとまった文章や論文にする時間が取れません。
 
きっと、書くのが早い学者さんは合間の移動時間とかで論文のプロトタイプになる原稿を発表後にさらさらと書いてしまうのではないかと思いますが、私にはそこまでの器用さはないなぁ…
 
 

2018年3月6日火曜日

イベント案内(3/21@本郷)

近頃イベント案内ばかりになってしまっていますが…こりずに今日もご案内します(笑

国際シンポジウム
社会構築主義の視点と臨床の現場
--Vivien Burr教授をお招きして--

2018年3月21日(木) 13:00-17:15
東京大学本郷キャンパス 福武ホール
 

詳しい案内は下記ページで見られます。

以下から事前申し込みが必要とのことです。
 
田中も話します。「現象学的心理学の立場から」というお題をいただいています。自分でオーガナイズする別件の国際シンポジウム(Body Schema and Body Image)の3日前なのでなかなか準備が大変そうなのですが、社会構築主義と現象学的心理学の接点と違いについて考えるいい機会になりそうです。

ちなみに、バー先生の仕事って、大学院生の頃に訳本(上の写真にある『Social Constructionism』の初版の訳本です)で接して以来です。まさかあれから20年もたってご本人に仕事でお会いできるチャンスがめぐってこようとは。当時の読書メモとかどこかに残ってないかな… 
 
 


2018年3月3日土曜日

3/24-25国際シンポ・ポスター

前記事でもご案内しましたが、3/24-25に国際シンポジウム「Body Schema and Body Image」を開催します。
 
2018年3月24日(土) 09:30-17:30
2018年3月25日(日) 10:00-18:00
東京大学駒場1キャンパス・2号館3階・308教室
 
24日昼に発表もされる今泉修さんが、クールなポスターを作ってくれました(感謝です)。画像をここに貼っておきます。
 
 
PDF版も用意してあります。ここのページにアクセスしてみてください。
https://drive.google.com/file/d/1Bkx_rBikv-h7K2rCztw3S-ldkVJUoSUi/view
 
以下のページからオンラインで参加登録ができます(人数把握のため事前にご登録をお願いしています)。
参加登録:https://goo.gl/forms/650de8h9h0A7LgPe2 
 
3週間後のイベントになります。皆さまと会場でお会いできるのを楽しみにしています。 

2018年2月21日水曜日

国際シンポ(3/24-25@駒場)特設ページ

来月、2018年3月24日〜25日に国際シンポジウムを開催します。

2018年3月24日(土) 09:30-17:30
2018年3月25日(日) 10:00-18:00
東京大学駒場1キャンパス・2号館3階・308教室

ページを切り替えると特設ページに進めるほか、上記リンクをクリックしても同じページに進めるようになっています。
 
前にシンポジウムでイスラエルを訪問したことを記事に書きましたが、そのさいにいろいろと議論を共有した若手研究者にヨハイ・アタリアさん(テル=ハイ・カレッジ上級講師 / オープン大学研究員)という方がいます。今回のシンポジウムはアタリアさんと議論を進めるうちに共同でオーガナイズすることになったものです。
 
そこまで議論が深まるきっかけを提供してくれたのは、哲学者ショーン・ギャラガー氏の仕事です。ギャラガー氏は身体性と自己の関連について、所有感(sense of ownership)と主体感(sense of agency)という二つの概念で整理しています。アタリアさんも田中も、彼のこの仕事から影響を受けて仕事をしているので、イスラエルを訪れたさいにかなり深く議論を共有したのでした。
 
準備を進めるうちにこれはギャラガー氏本人にも出て欲しいよね、という話になってご本人に出演を依頼してみたところ、ご快諾いただきました。超多忙な方のため来日はかなわず、今回はオンライン出演ですが、25日の朝10時から基調講演で登壇される予定です。「Reimagining the body image」(身体イメージを再度イメージする)というタイトルをいただいています。どんな講演になるのか楽しみです。
 
ぜひ、発表メンバーとタイトルを特設ページでご覧ください。神経科学の議論から哲学的な議論まで、身体性をめぐって経験科学と哲学が対話するプログラムになっているのがおわかりいただけるかと思います。ギャラガー氏の著作のように、科学と哲学が対話することで新しい議論が生まれて来る場所になることと思います。ご期待ください。
 
講演はすべて英語なのでハードルが高いと感じる方も多いかもしれませんが、そういう方は将来の英語での発表準備の学習にご活用ください(笑)。どなたでも参加できます。費用は無料です。
 
以下のページからオンラインで参加登録ができます(人数把握のため事前にご登録をお願いしています)。
参加登録:https://goo.gl/forms/650de8h9h0A7LgPe2 
  
皆さまのご来場をお待ちしています。
 

2018年2月15日木曜日

イベント案内(3/13-14,16@立教)

こういうご案内をいただきました。立教大学の河野先生からです。
画像を貼り付けておきます。
  
公開シンポジウムとB・アンドリュー講演会
「間とあいだの比較現象学」


2018年2月14日水曜日

脳の生態学(Fuchs, 2018)序文

研究アーカイブに下記のレジュメを加えておきました。

Fuchs, T. (2018). Ecology of the brain: The phenomenology and biology of the embodied mind. Oxford, UK: Oxford University Press.(序文のみ)

3ページの短い序文をさらに要約したものではありますが、本書の立場が比較的明瞭に書かれているように思います。脳は生命体に備わる一器官であり、器官として身体全体と関係し、身体-環境の相互作用を媒介し、自己-他者の相互作用を媒介する、「媒介する器官(mediating organ)」であることが端的に示されています。

ひとつ注目できるのは「feeling of being alive」と彼が述べている点でしょうか。意識の作用は脳から生み出されるものではなく、生命が宿る有機体としての身体に、最初から「生きている感じ」として備わっている、という仮説的な見通しを述べています。

この「生きているという感じ」、あえて脳との対応づけを考えると、おそらく島皮質の作用と相関しているように思います。感覚とも感情とも呼べるかもしれないが、そのどちらでもないような、全身に広がる漠然とした「感じ(feeling)」。離人症では島の機能が低下しているという報告がありますが、生きている感じがしないという当事者の言葉に対応しているように思います。

この本、3月終わりぐらいからオンライン読書会形式で読んでいく予定です。ご希望の方は田中までお問い合わせください。
 


2018年2月4日日曜日

戦利品♪

待ちに待った一冊が届きました。
Thomas Fuchs (2018). Ecology of the brain: The phenomenology and biology of the embodied mind. Oxford, UK: Oxford University Press.
(トーマス・フックス『脳の生態学-身体化された心の現象学と生物学』)
  
しばらく前からオンライン読書会を開きますとお伝えしていたのですが、原著が届かないので企画そのものが滞っていました。
 
以前も書きましたが、この本が重視しているのは、まさに脳のエコロジーであり、脳の生態学的な基盤です。脳が知覚や認知にとって重要な役割を果たしている器官であることは間違いありませんが、人が知覚・認知する世界をすべて脳内の表象に還元するような見方は、脳の持つ生態学的な位置づけを無視して脳の役割を過大視し過ぎています。そうではなくて、身体を含む有機体全体の一部とし脳を位置づけると、身体と環境の相互作用、自己の身体と他者の身体の相互作用、人々が共有する文化的世界へのアクセスなど、脳は、生命体としての人と世界とを「媒介する器官(mediating organ)」として重要な役割を果たしていることが理解できます。こういう基本的な見方についてきちんと哲学的な基礎づけを与えている点も本書の魅力ですが、現在の神経科学の知見への批判、さらに、その再解釈と位置づけ直しといったことに言及している点や、未来の心の科学のあり方への展望を拓いている点も、本書の魅力であろうと思われます。

読書会は来月くらいからゆるゆる動き出そうかと思います。

ところで、「戦利品」とタイトルに書いたのは意味があります。じつは、推薦文を書く仕事を頼まれたのですよ、とっても光栄なことに! 和書で言うと、帯に入れる推薦文を書くようなものです。洋書の場合は背表紙に何人かが推薦文を入れることが多いのですが、届いた現物を見るとこんな感じになっていました。
 

見えづらいですね。上から三つめが私の書いたものです。最初オックスフォード大学出版局の担当編集者の方から連絡をもらったときに「至急endorsementを書いてください」という依頼があったのですが、「え、endorsementって何? 手形の裏書? 手形を切った覚えはないけどな」なんてことしか頭に浮かばなかったのでした。背表紙に入れる推薦文なので「裏書」と呼ぶのですねぇ、知りませんでした。

それにしても、光栄な話です。裏書を寄せているのは4人いますが、「エナクティヴ・アプローチ」で有名なディ・パオロ、精神医学の哲学のマシュー・ラトクリフ、ミラーニューロンの研究で知られる神経科学のヴィットーリオ・ガレーゼ、というすごい面々に混じって、なぜか無名の私のような人間が入っています。いちおう「身体性認知」の分野からお情けで一人入れてもらった、って感じでしょうかね。

まあでも、私にとっては、オックスフォードから出る本に推薦文を寄稿したというのは、研究を実直に続けてきて勝ち取った戦利品、という感じで鼻高々な気分なのです。


 

2018年1月21日日曜日

朗報

1年前ごろにドイツで書いていた論文、もうすぐ刊行されることになりました。
タイトルは、

What is it like to be disconnected from the body?
(身体から切り離されているとはどのようなことか?)

です。
なかなか刺激的じゃないですか? 

もちろん、ネーゲルの論文「What is it like to be a bat?」(コウモリであるとはどのようなことか?)から借りたタイトルですが、意識の主観性の謎に迫っているわけではありません。離人症における身体経験の謎を追ったものです。

離人症ではしばしば「自己が身体から離れたところにいる」「観察する自己と行動する自己が分離しているように感じる」という体外離脱的な症状が当事者から語られるのですが、それはどのような経験なのか、現象学的に解明することを試みました。文脈が違いますが、同じように自己が身体から遊離する経験として語られる「フルボディ錯覚」を比較対象として検討した点で、前例がない論文になると思います。
 
掲載先は「Journal of Consciousness Studies」です。刊行は少し先で、春頃になるようです。ともあれ、無事に受理されてよかったです。帰国して約5ヶ月たちますが、ようやく在外研究に区切りがついた気分です。
 


2018年1月9日火曜日

CFP: Body Schema and Body Image

3月末(24-25日)に東京で国際シンポジウムを開催します。「身体図式と身体イメージ」をテーマとする二日間のイベントです。
 
ただいま、発表を募集中です。詳しくは、学術系SNS「Academia」で公開しているシンポジウムの趣旨文をご覧ください。
 
同じ情報は、別のSNS「Researchgate」でも公開しています。こちらはプロジェクト形式で登録してあるので、プロジェクトをフォローすると、随時お知らせが届きます。
 
直前になってしまって恐縮ですが、いちおう今月24日が発表申し込みの公式締切日です。
 
なお、学際系のイベントですので、発表内容の分野に制限はありません。神経科学、心理学、精神医学、認知科学、スポーツ科学、社会学、哲学など、いろいろな分野から参加していただけます。ご関心のある方は、上記CFPをぜひご一読ください。シンポジウムで議論の焦点になる論点をあるていど整理してあります。
 
発表したいけど締切に間に合わないかも…という方は、ご相談ください。応募状況によっては何とかなる可能性もあります。また、その他のご質問等がある場合も、遠慮なくお問い合わせください。
 

2018年1月3日水曜日

地味に1周年

あけましておめでとうございます。2018年ですね。

このサイトも開設から1年を超えたことになります。とくに時間的な展望を持たずに始めたページなので1年たったからといって感慨もとくにありません(笑 ここは学術系の情報をシェアするためのページなので、イベントの告知とか企画とか、関連する論文や書籍の紹介とか、といったことで重要なコンテンツを集約し発信できればそれでいいかなと。

ただ、もうちょっとマメにブログを更新したいと思いつつ、なかなか難しい状況が続いているのが残念です。昨年出版した拙著のその後のことや、いま進行中の訳書のことなどもいろいろ書きたいとは思いながら、何もできずにいます。ドイツに滞在していた頃は大学の仕事から解放されていたのでブログにもっと時間が取れたのですが(だからこのサイトを開設するのに必要な最初の時間が作れました)、8月末に帰国してから慢性的に時間不足に悩まされています。

もちろん、主な理由は大学での仕事です。授業だけで相当な長時間なのに加えて、いわゆる学務にいろいろと時間を取られるので、何かとままなりません。こんな状態で管理職の仕事がそのうち回ってきたりすると、目も当てられない状態になりそうです。研究を続けるために大学にいるのに、いまどきの大学では研究の時間はろくに取れません。研究はほとんど余暇の域に追いやられているようにさえ見えます。

まあ、そんなこんなでブログの更新は滞る場面が多そうですが、論文と書籍を執筆する時間だけは涼しい顔してきっちり確保したいと思っています。今年もよろしくお願いします。