2021年1月24日日曜日

『他者のような自己自身』第6研究

リクール読書会も第6研究まで終わりました。長大な著作の半分は読み終えたことになります。村田憲郎氏による充実したレジュメをいただいたのでシェアしておきます。

リクール『他者のような自己自身』第6研究

ナラティヴ・セルフについて考えるうえでは、第5研究とこの第6研究が中核的な箇所になりそうです。重要な箇所を引用してみます。

「人生の物語的統一という概念については、やはりそこに作話の働きと生きた経験との不安定な混合を見るべきである。現実の生のまさににげやすい性格のゆえに、われわれはその生を事後に回顧しながら編成するために、フィクションの助けを必要とするのであり…」(209ページ)

なにげなく経験されている日々の出来事はそれ自体としては不安定だとリクールは見るわけですね。(瞬間ごとに生成する「生きられた私」を肯定する田中としては必ずしもそう思いませんが、それはともかく)私が経験するさまざまな出来事に安定した意味を見出すには、フィクションの助けを借りてそこに「筋立て」を見出していく必要がある。それができると人生が安定した物語の流れのうえに位置づけられ、「私はどこから来て、どこへ行くのか」という人生の展望を持つことができる、というわけです。

コロナ禍で歴史の転換点にあるように感じられる現在も、さまざまな「筋立て」を借りて人類が自分たちの物語的=歴史的な展望を描こうとしているように見えます。私たちは、どこへ行こうとしているのでしょうか。ソーシャルディスタンスもテレワークも遠隔授業も、人と人との「距離」をめぐる物語になっているように思います。生活のさまざまな面で、この距離が人と人との「分断」を肯定する物語として機能し始めているようにも見えるので、近頃かなり危惧を感じるようになりました。