2021年11月6日土曜日

シンクロする身体…

明日、同名のシンポジウムがあるのだが、連想して少し思うことがあるのでメモしておく。現代日本に生きる人々の多くは、個体にもなりきれていないし、他者とシンクロすることもままならない、じつに中途半端な身体を生きていると思う。

シンクロする身体というと、他者と同調するイメージだけが先行するが、現実には、他者の身体とシンクロできるのは他者と差別化された個としての身体を持ち合わせている場合だけである。個体として成立していない身体は、どこまでいっても自他が分化されない「群れ」として生きざるを得ない。

群れとして生きる身体ほど危ういものはない。なんとなくその場の空気に流され、楽しく盛り上がっていたかと思うと、異他的な存在を見つけて群れで攻撃行動に走ったりもする。そういえば、ドゥルーズとガタリが「群れ」、ネグリとハートが「マルチチュード」という概念を使っていたが、ああいう概念で現代の民主主義を語るのはとても危うい。

戦略的に群れを実践できる主体が存在するならともかく、現実には個体にもなりきれず他者との協調もできないまま事実上の「群れ」として生きざるを得ないところに追い込まれているのが現代人である。そんな現代人にとっては、動物化する「群れ」を肯定する思想より、改めて個体性を引き受ける実存主義のほうが大事なのである。