2021年12月13日月曜日

訳者みずからレジュメ作り(5)

今回はヒューバート・ドレイファスを扱った第8章。どうぞ。

ヒューバート・ドレイファスと認知主義への現象学的批判

ドレイファスが現象学の入門書に一章を占めるような時代になったのだなぁ。自分が院生だった頃はいまだ「現象学はドイツ語かフランス語で学ぶもの」という雰囲気が強くて、英語圏から入ってくる現象学の書はあまり信用されない傾向が残っていたように思う。当時『コンピュータには何ができないか』の翻訳もあったけど、現象学者としてのドレイファスが日本できちんと評価されているようには見えなかった。

私自身がドレイファスの書くものの価値を理解できるようになったのは、彼のスキル論の論文を読んでからだったと思う。ドレイファスの議論はメルロ゠ポンティの身体論を多く引用しているのだが、的確かつ一貫した読み方でメルロ゠ポンティを受容していて、ドレイファスの議論に頷くだけではなくて、メルロ゠ポンティの理解を深めるきっかけをもらった。

今となっては、ドレイファスから受け取った反表象主義的な身体と世界の見方からどうやって抜け出すかが自分の課題になってしまっているぐらいだ。