認知科学会の年次大会に参加するため、大阪府茨木市にある追手門学院大学を訪れている。
実は、このキャンパスの最寄駅であるJR総持寺駅の周辺は、私が中学生のころに暮らしていた街だ。学会会場へ向かうルートを確認して驚いた。駅から大学へと続く道が、かつて自分が毎日歩いていた通学路をちょうど「逆再生」するような配置になっていたのだ。
およそ40年ぶりの再訪である。歩き出す前は、淡いノスタルジーに浸る準備をしていた。「ああ、この角を曲がるとあいつの家があったな」といった、胸がじんわり熱くなるような感傷を予想していたのだ。
ところが、実際に歩き始めて襲ってきたのは、懐かしさなどでは毛頭なく、猛烈なジャメビュ(未視感)だった。
地形や道路のカーブ、交差点の位置関係といった骨格は身体が覚えている。頭では「確かにこの道だ」と分かっているのに、視界に入ってくる風景がまるで馴染まない。立ち並ぶ店舗や建物は見事に総入れ替えされ、かつての目印は綺麗さっぱり消え去っている。知っているはずの空間なのに、親近感という情動のフックがどこにも引っかからないのだ。
「知っているのに、見知らぬ場所に放り出されたような奇妙な違和感」に包まれながら歩くうち、ふと認知科学的な連想が頭をよぎった。
認知症の方の「徘徊」の根底には、これと同じ感覚があるのではないか。
「徘徊」というと、目的もなく当てもなく歩き回っているように見られがちだ。しかし当人からすれば、頭の中にある「確かな記憶の地図」と「目の前の異様な風景」のズレを埋めようと必死なのかもしれない。「ここは知っているはずなのに、なぜか違う。あの馴染みのある景色はどこへ行ったのか」と、確信の持てる「本当の風景」を探し求めて歩き続けるうちに、いつの間にか迷子になってしまうのではないだろうか。
ノスタルジーに浸るはずが、図らずも生きた認知の実験場のような通学路体験となってしまった。学会の前に、すでに濃密なフィールドワークを一本終えたような気分で会場の門をくぐった…
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