2019年10月28日月曜日

プラハにて

出張でチェコのプラハに来ています。

以前から交流のあるチェコの研究者にマルティン・ニーチェさんという友人がいます。哲学業界の方なら一度お会いすると忘れがたい名前でしょう。(マルティン)ハイデガーとフリードリッヒ(ニーチェ)を同時に連想させる名前ですからね。

今年の冒頭に彼から連絡があって、チェコ科学アカデミー(日本の学振みたいなところです)でアジアの研究者を招聘する新しいグラントができたので応募しようと思うが協力する気はないか、との問い合わせでした。せっかくのお誘いなので書類作りだけサクサクっと協力したら申請がめでたく通ってしまったのでプラハまでやって来ました、という次第です。3年ぶりに来ましたが、やはり美しい街です。

それで、科学アカデミーの哲学研究所にて「あいだ」の話をしてきました。ニーチェさんが数年前から「transitive (推移的・移行的)」というキーワードで現象学を組み立てようとしているのに呼応したものです。彼は自己と世界がともに絡み合いつつ生成するはざまの空間をtransiveという言葉でとらえているので。

私はメルロ゠ポンティの間身体性の話から始めて、間身体性がどのように間主観的に共有可能な意味の経験を生じさせるのか、それは木村敏がいう「あいだ」の概念によってどのように説明できるのか、「あいだ」の生成が自己と他者のはざまで共有可能な最初の社会的規範を生じさせること、「あいだ」の観点からすると他者理解は他者の知覚という一階の経験が判断という高階の経験へと高められる経験であること、等々の話をしてきました。

で、ひととおり仕事が終わった後で個人的に話をしていて笑ってしまいました。彼と私は歳が近いのですが、職場で部局のヘッドを今年から任されているのだとか。私も昨年からやむなく部署の主任をやっているのですが、管理職のストレスのせいでけっこう太ったのです(言い訳ではなく事実です)。とくに腹のでっぱりが気になる典型的なおっさん体型になりました。彼もしばらく見ないうちに見事なビール腹になっていました(チェコはビールがうまいのでなおさら?)。事情を聞いたら私と似たり寄ったりのストレスを抱えているようで、なんとも笑えました(管理職の辛さには同情を覚えましたが…)。お互い、よく似たしかたで職場のストレスに対処しているんでしょう。

これもまた人と人との「あいだ」の問題といえばそうなのですが、あいだはシステムとしての自律性を持つので、問題への対処は個人の努力だけではなかなかうまくいきませんね。