2022年4月6日水曜日

遅れましたがご挨拶です

先ほどの記事で肩書きが変わっているのに気づいた方もおられるかもしれません。申し遅れましたが、先の4月1日から東海大学の中での所属が変わりましたのでご報告します。

このたび「文化社会学部」に異動となりました。また同時に「文明研究所所長」を拝命しました。

学部に異動しても担当授業が大きく変わるわけではないのですが、研究所の所長職は新たな挑戦になります。東海大学の文明研究所は、学内に設置されている付属の研究所では最も古く1959年に設置されています。しかも、初代の所長は大学の創立者の松前重義氏でもあります。身の引き締まる思いとはまさにこのことですね。

東海大学はもともと工学系の大学として技術者を多く輩出してきたのですが、創立者の松前氏は「文理融合」を大切にして、科学技術の発展だけでなく「調和のとれた文明社会の創造」を企図して文明研究所を設立したのでした。

新しい所長として、伝統を大事にしながらも、新しい試みをどこまで取り入れることができるか、当面のあいだは苦闘の日々が続きそうです。現状でも学内外といろいろな連携の試みがなされているこの研究所ですが、もっともっと学外で知られるように今後いろいろな工夫を凝らしたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願いします。

ご紹介:金子書房 note「オンラインで他者と…

心理学関係の書籍で有名な金子書房さんがウェブ上で「note」をいろいろと公開されています。このたび、私も以下の記事を寄稿いたしました。


「オンラインで他者とつながる時に大事なことは?」というタイトルで少し漠然としていますが、でも大事なことが本当に書いてあります。オンラインシステムを使うと身体性のレベルでコミュニケーションの質が変わりますが、それを補うものってなんだろう、という視点を共有していただけると幸いです。

ぜひご一読ください。

2022年4月3日日曜日

五年ぶりの単著

三月の下旬に単著が無事刊行されました。

田中彰吾『自己と他者-身体性のパースペクティヴから』東京大学出版会

本書は、シリーズ「知の生態学の冒険:J・J・ギブソンの継承」全9巻の第3巻になります。当初は「知の生態学的転回」というシリーズ名称で企画が始まったので、「ギブソンの継承」という色合いは本文ではやや弱いのですが、それでもメルロ゠ポンティの現象学とギブソンの生態心理学を融合して自己と他者の社会的関係を考察する試みになっています。

せっかくなので、最初に本書の企画書として提案した概要を以下に掲載しておきます。

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【概要】

 身体を与えられることで「私」はこの世界に生を受け、また、身体を通じて他者と社会的にかかわりつつ「私」はその姿をさまざまに変化させている。

 本書では、身体性に関連する認知科学・神経科学のさまざまなトピックを検討しながら、自己と他者、そして両者の身体的な相互作用について現象学的に考察する。取り上げるのは、幻肢やラバーハンド錯覚のように特殊な体性感覚をともなう現象、道具使用やブレイン・マシン・インタフェースのように身体性の拡張に関連する現象、新生児模倣や共同注意のように発達初期に他者との相互行為を通じて現れる現象、幼児のふり遊びのように身体性とナラティヴが連続的に現れる現象などである。

 これらはいずれも、近年の認知科学や神経科学の進展にともなって、身体性に着目する文脈で研究上の知見が多く蓄積されてきた現象である。その一方で、そこでもたらされた知見は、身体や他者の問題を直接経験にさかのぼって検討することを重視するフッサール以来の現象学の伝統にも、多くの刺激を与えてきている。本書で取り上げるトピックには、私たち誰もが経験しうる身近な現象も、実験状況でしか経験できない特殊な現象も含まれるが、「それが当人にとってどのように経験されるのか」という側面に踏み込んで、現象の意味を理解することを重視する。

 問題となる現象を、みずからの経験としてたどり直すことができるくらい密着して理解を試みれば、因果関係や相関関係にもとづく通常の科学的説明を超えて、身体性、自己と他者、間主観性の経験について、新たな理解をもたらすことができるだろう。本書が目標とするのは、主観的経験を脳内過程に還元するのではなく「脳-身体-環境」というエコロジカルな連続性のもとで理解すること、また、対人関係を中心とする社会的環境を中心にして「環境」を描きなおすことである。

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…という趣旨の著作です。認知神経科学や発達心理学の知見をたくさん参照していますが、結局は「脳-身体-環境」というエコロジカルな連続性のもとで「自己と他者」という問題系を考えることを目指しています。いわゆる社会的認知やソーシャル・ブレインといった研究とも大きく関わりますが、それらを一味も二味も違うしかたで=生態学的な観点からとらえたところに特徴があります。

一人でも多くの方に手に取っていただければ著者としては幸いです。どうぞ、よろしくお願いします。

2022年3月20日日曜日

リクール『他者のような自己自身』第10研究

ついに最後の章を読み終えました。村田憲郎氏作成のレジュメを公開しておきます。

リクール『他者のような自己自身』第10研究

長かった…。邦訳の本文が438ページあります。リクールはこの長さでも3巻本(『時間と物語』のような)を書いてしまうような人なので、長いことは最初から織り込み済みではありましたが、それにしても本文が長いので読むのに時間がかかりました。ブログの過去記事を当たってみたら2019年の11月から読み始めたのでかれこれ2年半近く読み続けたことになります。

じっくり時間をかけて隅々まで熟読した本なので簡単に要約はできませんが、「自己」というテーマを巡って世界についてありとあらゆることを書いてあるという体裁の本です。それこそ、物体と人物の違い、出来事と行為の違いから始めて、行為する主体が現れ、行為する主体が語る主体となり、語る主体がさらに物語的自己同一性を持ち、物語的自己が他者とともに生き、他者とともに生きる中で倫理的な生き方を制度的な正義として追及するまでの壮大な世界観が論じられています。そして、そうした世界観を経て最後にもういちど「自己」の存在とは何かということが論じられます。

じつは、読み終えた今ももやもやとした感じが読後感として残っています。リクールの文体の特徴なのでしょうが、一つのテーマを巡ってああでもないこうでもないと議論が展開していき(良く言えば「弁証法的」ですが)、うまく着地しないままさらに大きなテーマに議論が続いていくという書き方なので、最後まで読んでもやっぱりオープンエンドな印象が拭えないのでした。なお、このもやもやは、私の中でこれからいろいろな仕事を手がけていくうちに少しずつ解消され、その度に文章になってくるだろうと思います。

なお、リクールは適度に保守的な思想家だと思います。この「適度に保守的」なところが、彼の思想をとても今日的にしているように思います。ポストモダン思想や思弁的実在論と誰か比べて論じてくれないかなぁ。

2022年3月9日水曜日

パラリンピックを学際的に読み解く(3/19 オンライン)

ずいぶんご無沙汰しております。イベントの告知があるので久しぶりに書き込みますね。

3月19日(土)、15:20-16:50、オンライン開催です。

「パラリンピックを学際的に紐解く」


今回は日本スポーツ社会学会の企画です。公開企画ということでどなたでも参加できますので、ご希望の方は以下のページをご覧ください。

私はまだ当日何を話すかアイデアが固まっていないのですが、「間身体性」について紹介しながらパラリンピックについて考えるつもりです。東京パラリンピックの際、ボッチャをたまたまTVで見かけて、障がい者の身体と共鳴する身体のあり方についていろいろ思うところがあったので、そういう話をしようかなと思っています。

それにしても、ブログ記事を書く暇がないぐらい忙しいです。しかも学務で。この不本意な忙しさについては、いずれまたここで吐き出します。

2022年2月5日土曜日

ただいま校正中

先日紹介した単著、ただいま二回目の校正に取り組んでいます。原稿の分量はざっとこんな感じ。













 
 
最後のページ番号は218ページとなっています。冒頭の序文と末尾の後書を加えて、全6章構成でこのページ数なので、各章約30ページです。

どの章も18000字ぐらいは書いていますから、章ごとにそこそこ読み応えのある論考になっていると思います。ただ、掘り下げ方が深い分だけ、どうしても難しい箇所は残っています。例えばこの章の最後がそうかもしれません。自己の身体的起源についてフッサールの再帰的感覚に沿って論じました。













 
 
元来、主張を明確にして議論の全体像をつかみやすい文章を心がけているのですが、今回は「必要な難しさ」にお付き合いいただく著作になります。なので、論旨を追って一緒に考える愉しみを感じられるように工夫したつもりです。

一冊の本という独自の環境の中に入り込んで、「読む」という行為を著者と一緒に続けてもらえると、その見返りとして「新たな世界」が知覚できるような本にすることを企図しました。シリーズ名も「知の生態学の冒険」ということですので、読むという行為が開く世界を一緒に冒険していただければ幸甚です。

というわけで、タイトルを再度告知。
『知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承3:自己と他者-身体性のパースペクティヴから』
東京大学出版会から来月刊行予定です。

2022年1月26日水曜日

もうすぐ出せる、かな?

次の単著、紹介ページが出来ました。長いですが以下がフルタイトル。

『知の生態学の冒険〜J・J・ギブソンの継承3:自己と他者-身体性のパースペクティヴから』

ギブソンの仕事をきちんと継承したものになっているか、やや心もとないですが、『知の生態学』の試みであることは確かです。認知神経科学や発達科学の知見をたくさん取り入れていますが、それらがつねに「脳-身体-環境」という連環の中でどのような意味を持つのかという視点を大事にしていますので。

内容紹介をそのまんまコピーしておきます。
「身体性に関連する認知科学・神経科学の主なトピックを取り上げ、自己と他者の身体的な相互作用を生態学的現象学から考察する。脳内過程ではなく、「脳―身体―環境」というエコロジカルな連続性のもとでの身体的経験の理解を通じて自己と他者が出会う社会的環境を描き直す。」

東大出版会のページを見ると発売日が3月23日になっていますが、間に合うのでしょうか。じつはこれから二回目の校正に着手するところだったりします。一回目の校正で手を入れた箇所がけっこうあったので、スムーズに運ぶかどうか…。

2022年1月18日火曜日

画面越しの再会

今日、北海道大学のCHAINでハイデルベルク大学のThomas Fuchs氏を招いてオンライン・レクチャーがあった。タイトルは「今日における現象学の意義」。私はFuchs氏とは旧知の間柄ということで、レクチャー後のディスカッション部分でモデレーターとして参加した。

コロナ前の2019年にお会いしたのが最後だったと思うので、かれこれ3年ぶりぐらいの再会。画面越しに見るFuchs氏はやや老けた印象があったが、語りのほうは以前と変わらずとても明晰で、現代の心の科学との関係で現象学の果たしうる役割を以下の3点にわかりやすくまとめておられた。老けた分だけ「老大家」みたいな雰囲気はやや増した感じだったかもしれない。

1) 認知神経科学との対話:主流派の表象主義的な考え方からすると、心が脳内の神経過程に還元されてしまうが、現象学は「生きられた身体」に着目することで、脳と身体の相互作用がもたらす「生きている感じ(feeling of being alive)」から意識の発生過程に取り組む。脳と身体のユニットである「生きられた身体」はまた、知覚-行為循環を通じて環境と相互作用しており、意識現象を脳・身体・環境という拡張された系のもとでとらえることができる。

2) 社会的認知の捉え直し:心の理論やシミュレーション説など、主要な社会的認知の理論は、他者の心を内的に隠されて直接アクセスできないものと前提している。現象学的に見ると、自己と他者は「身体化された相互行為(embodied interaction)」を通じて出会っており、その文脈のもとで、他者の身体は意図や感情を表出している。日常の相互行為の文脈では他者は内面と外面に区別できず、他者の心は直接知覚の対象として現れる。

3) 精神病理学:生きられた身体の現象学から出発することで、精神病理学に新たな知見をもたらすことができる。特に統合失調症の症状は「脱身体化(disembodiment)」をキーワードとして理解を改めることができる。身体化された暗黙のスキルが解体されること、他者とのスムーズな身体的相互行為が解体されること、これらのdisembodimentが症状の中心に見て取れる。

レクチャーの内容はざっとこんな感じだった。レクチャー終了後に質疑応答の時間を取ったが、そちらも大変盛況だった。質問が出なければ自分が何か質問しないとなぁ、と構えていたのだけど、結局終了時刻をオーバーしても質問が続くぐらい盛り上がっていた。

画面越しではあれ、旧知の先生と再会できたのは嬉しかったし、彼の暖かい人柄が語りから伝わってきて、旧交を温められた感じがしたのがなお良かった。ちなみに、今日のレクチャーは彼が2018年に出版した『Ecology of the Brain』の内容に沿ったものだったが、日本でももっと彼の仕事が知られるようになって欲しいものである。

2022年1月7日金曜日

遅くなりましたが新年のご挨拶

1月7日ということでお正月も最終日。遅くなりましたが新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

私は年末のハードスケジュールが祟って2日から体調を崩しておりました。年末に「年を越したい…」の記事で書いていた通り、年末ぎりぎりの31日午前中に仕事が片付いて久々に「年越し」を味わえたのは良かったのですが、やっつけ仕事の無理が出たのでしょうね。ホッとして元日を家族と迎えて二日になったら夕方から熱が出てしまいました。微熱が出たり下がったりの繰り返しで、昨日の午後ぐらいからようやく平常運転に戻ったところです。

昨年もいろいろとありましたが、特に所属先のカリキュラム改訂の仕事に追われっぱなしで、学務の合間を縫って研究するしかない一年でした。ただ、3年越しで関わった書籍『Body Schema and Body Image: New Directions』の出版にこぎつけることができたのは無上の喜びでした。旧友のYochai Ataria、Shaun Gallagherの両氏と一緒に企画書を書くところから始め、3年半かかって一件の仕事を完結するまで大変な労力を要した仕事だっただけに、喜びもひとしおでした。

他方、やっぱり時間が取れなくて結局続けられなかった仕事もありました。YouTubeチャンネルがそうです。 4月の終わりぐらいから始めて夏頃まで動画を取りましたが、夏場に私が体調を崩して以降はまともに時間を取れず、9月半ばからは更新できずにいます。とりあえず講義サプリとして使用する上での役割はひと段落ついたので、こちらは大半の動画をいったん非公開にしました。更新しない間もなぜかチャンネルの新規登録者数が微増しているので、そのうち近況報告のような動画を上げるかもしれません。

ともあれ、今年もいろいろあると思います。そうそう、告知になってしまって申し訳ありませんが、今年は新しい単著が5年ぶりに出ます。『自己と他者――身体性のパースペクティヴから』というタイトルを予定しています。1回目の校正はすでに終わっていますから、年度が変わる4月~5月にはには何とか出版できる見通しです。

というわけで、この記事を読んでくれた皆様のご多幸を年頭に願いつつ。

2021年12月28日火曜日

ソーシャル・コンストラクショニズムと対人支援の心理学

1件告知です。

能智正博先生と大橋靖史先生の編集による書籍『ソーシャル・コンストラクショニズムと対人支援の心理学』が新曜社からもうすぐ発売されます。編集を担当した大谷さんが送ってくれた見本の奥付には2021年12月31日の発行日が記されています。大晦日!の発行です。発行日が大晦日に設定されることもあるんですね、珍しい。

ちなみに、この本もコロナ禍でかなり編集に時間がかかった1冊になります。もともとは2018年3月に『ソーシャル・コンストラクショニズム』で知られるヴィヴィアン・バー氏が来日した際のシンポジウムから始まって企画されたものですが、書籍の企画と刊行に三年半以上かかっています。ただ、時間をかけただけのことはあって、執筆陣はシンポジウムのメンバーから大幅に増員されていますし、内容も幅広く充実したものになっています。

田中も、シンポジウム当日の議論を大幅に増補して以下の原稿を寄稿しました。

第2章「現象学的心理学の立場から-ソーシャル・コンストラクショニズムとの対話と直接経験を超える心理学」

今回初めて「直接経験を超える心理学」という言葉を使いました。現象学的心理学はもともと「生きられた経験」を捉えることを得意としているのですが、この種の「直接経験」にこだわるのはいいとしても、そのこだわりだけが強すぎると、目の前で起こっていないことをトータルに想像することで経験の構造を見抜く力が弱くなってしまいます。この点を補完する上で役立つのがソーシャル・コンストラクショニズムの発想である、という趣旨の原稿です。現象学もソーシャル・コンストラクショニズムも、知覚される世界が客観的に実在するという発想を拒否するところに共通点はありますから、両者の間で対話は十分に可能なはずです。その対話に成功しているかどうかは、読者の判断に委ねます。

…というわけで、ぜひ本書を手に取っていただければ幸いです。

2021年12月26日日曜日

年を越したい…

いつ頃からか、 「年を越す」という感じを持てないまま毎年元日を迎えるようになった。「年を越す」という言葉の含意もいろんな読み解き方がある気はするが、少なくとも自分にとっては「気持ちを新たにして新年を迎える」という感じをともなう言葉である。年内に片付けるべき仕事を終えて「仕事納め」のような気持ちの区切りになる場面がないと「年を越す」という感じにならないのだ。

40代になった頃からだろうか。年末年始に何かしらまとまった仕事を抱えるようになって(仕事をいただくこと自体はもちろんありがたいことではあれど)、仕事納めもできないまま元旦になってしまい、結局「あ〜、また年をまたいで仕事することになってしまった…」と何やら情けない気分(かつ同居する家族に申し訳ない気分)になるのである。気持ちに区切りをつけて「年を越す」ではなくて、仕事も気持ちも区切りがつかないままずるずる「年をまたぐ」という感じ。

で、今年はなんとか「年を越す」を味わいたいのである。今日、とりあえず年内最後のトークを研究会で行った(PPP研究会という精神医学の哲学関連の研究会だ)。で、今週はその準備と同時進行で研究室の引っ越しが勤務先であったため、その最低限の荷解きを明日はする。その後は、認知科学の講座本の原稿書き。あと10000字ぐらい詰め込めば書き終わる。なんとか28〜31日の4日間で片付けられれば「年を越す」を久々に味わえるのだけれど…

2021年12月22日水曜日

「環境と文明」シンポジウム

いつもお世話になっている東海大学新聞の記者、川島省子さんが、先日開かれた東海大学文明研究所のシンポジウムの模様を記事にしてくれました。

2021/12/22「文明研究所が「環境と文明」をテーマに「『文明間対話』サテライト・シンポジウム」を開催しました

記事の冒頭にこんな風にあります--「本研究所は、本学が建学の理想として掲げている「調和のとれた文明社会の建設」を実現するための基礎的研究の場として1959年に創設。」

東海大学はもともと理工系の大学として始まった関係で、発展する近代の科学技術が地球の資源を大量消費することで成立していることに、創立者の松前重義が早くから危機意識を持っていたと聞きます。なので、日本が高度成長期にあった1959年(昭和34年)に早くも「文明研究所」なる組織を設置して、「調和のとれた文明社会の建設」に資する研究を後押ししようとしたのですね。

「文明研究所」という名称だけを聞いてもいまいちピンと来ない人が多いかもしれません。が、現代社会のさまざまな問題を「文明批判」という観点で読み解く、という文脈で考えれば、こういう組織にも大きな役割があるような気がします。環境問題はそうした文脈の代表なのでしょうが、「グローバリゼーションとナショナリズム」「生命・情報テクノロジーと人間の未来」など、考えるべき問題の文脈は他にいくつもありますね。

当日は環境問題がテーマで、私は久しぶりに東北のランドスケープの話をしました。2015年に、東日本大震災後の東北のランドスケープが防潮堤の建設で大きく変わっていく可能性があることを論文で指摘したのですが、今回、準備のために東北の現状を調べてみると、やはり明らかに悪い方向にランドスケープが変わっているように見受けられます。

石巻市雄勝町がもっとも分かりやすい事例ですが、ランドスケープを写真で見る限りほぼ別の村に変貌しています。10m近い防潮堤を陸と海の間に張り巡らせるのですから、そりゃあそうですよね。人口も震災以前の1/3以下に減少しています。津波対策で安全になったから良かったとも言えますが、そもそも住む人がいなくなれば防潮堤にも存在意義がなくなるってもんでしょ? 防潮堤で変貌した三陸のランドスケープ、いずれ自分の目で確かめに行きたいと思っています。

2021年12月14日火曜日

再掲:人間科学研究会(12/18オンライン開催)

 今週末に以下の内容で研究会を開催します。ご関心のある方はどなたでも参加できますので、以下のフォームからお申し込みください。「人間科学研究会」は、現象学的な方法にもとづく質的研究を、心理学・教育学・看護学・社会福祉学など対人支援分野で実践することを支援する研究会です。現場での現象学の応用に関心がある方々への参加を広くお勧めします。

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第2回人間科学研究会(共催:第89回心の科学の基礎論研究会)

2021年12月18日(土),13:30〜17:30

オンライン開催(Zoom利用)

申込方法:以下のフォームより、12月17日18時までにお申込ください。ZoomのIDは登録されたメール宛にお送りします。

→申込フォーム:https://forms.gle/JTgHL65hKnsCgdnJ9

<プログラム>

13:30-13:40 開会の挨拶「人間科学研究会とIHSRC開催の経緯」 田中彰吾

13:40-15:15 講演1「直接経験を超える質的心理学に向けて」 田中彰吾(東海大学)

 現象学的な質的研究では、生活世界における「生きられた経験」について、当事者へのインタビューを通じて接近することが試みられる。そこでは一般に、(1)記述的方法:データを読み込みながら心理学的意義を特定し、一般化できるような経験の構造を抽出する、(2)解釈的方法:データに表出しているさまざまなテーマを特定し、テーマの相互関係から経験の意味を全体として理解する、等の方法が用いられる。これらの方法によって各種の「生きられた経験」が明らかにされれば、対人支援の現場で役立つ知見を提供することができるだろう。ただし、こうした作業だけでは、経験をトップダウンに構造化する社会的な作用(時代的要因、社会的権力、文化的背景など)との関係で、人々の「生きられた経験」に迫ることはできない。この報告では、イギリスの現象学的心理学者ラングドリッジによる「批判的ナラティブ分析」を参考にして、「生きられた経験」に影響を与える社会的作用を可視化する方法とその意義について考える。

15:15-15:30 休憩

15:30-17:30 講演2「生態学的現象学とポスト現象学」 河野哲也(立教大学)

 生態学的現象学は、現象学とJ・J・ギブソンの生態心理学を融合させた立場である。現象学は、経験がその当事者にとっていかなる意味を持って現れるのかを、一人称的な視点から記述しようとするものである。現象学では、経験の当事者とは身体的主体であり、主体を取り巻く世界は「私はできる」という運動志向性の相関項として現れる。それに対して、ギブソンの生態心理学は、動物を取り巻く環境をアフォーダンスに満ちたニッチとして捉える。私見では、運動志向性とアフォーダンスは対をなしており、これらの相関を分析することで環境と身体の相補性が理解でき、これを人間科学の基本的な方法論として考えることができる。さらに人間は、テクノロジーにより自らの身体性を拡張し、メディアにより人間関係を拡張する。テクノロジーにより拡張した主体を研究対象とする「ポスト現象学」(アイディ、ヴァービーク)と生態心理学が組み合わさることで、環境―技術―身体を分析できる人間科学の視座を獲得できるだろう。


リンク「心の科学の基礎論研究会」

https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro?authuser=0

本研究会の関連科研費:研究課題17H00903,20H04094,21K01989 

2021年12月13日月曜日

訳者みずからレジュメ作り(5)

今回はヒューバート・ドレイファスを扱った第8章。どうぞ。

ヒューバート・ドレイファスと認知主義への現象学的批判

ドレイファスが現象学の入門書に一章を占めるような時代になったのだなぁ。自分が院生だった頃はいまだ「現象学はドイツ語かフランス語で学ぶもの」という雰囲気が強くて、英語圏から入ってくる現象学の書はあまり信用されない傾向が残っていたように思う。当時『コンピュータには何ができないか』の翻訳もあったけど、現象学者としてのドレイファスが日本できちんと評価されているようには見えなかった。

私自身がドレイファスの書くものの価値を理解できるようになったのは、彼のスキル論の論文を読んでからだったと思う。ドレイファスの議論はメルロ゠ポンティの身体論を多く引用しているのだが、的確かつ一貫した読み方でメルロ゠ポンティを受容していて、ドレイファスの議論に頷くだけではなくて、メルロ゠ポンティの理解を深めるきっかけをもらった。

今となっては、ドレイファスから受け取った反表象主義的な身体と世界の見方からどうやって抜け出すかが自分の課題になってしまっているぐらいだ。

2021年12月8日水曜日

初校おわった!

気分がいい。単著の初校を220ページ分ぐらい日曜から三日間で一気にやり終えた。縦書きになって読むゲラは、自分で横書きで執筆しているときとはまた印象が変わる。著者の手を離れて少し距離ができると言えばいいだろうか。

あれこれ書く時間がないのでちょっとだけ頭出し。タイトルは『自己と他者-身体性のパースペクティヴから』。東京大学出版会から刊行される予定の「知の生態学の冒険」シリーズの1冊になる。遠からず出版会のホームページ等でシリーズ全9巻の執筆陣やタイトルなど告知が出るはず。その頃には目次など紹介できると思うので、お楽しみに。