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2017年9月11日月曜日

今年の日心

あっという間に9月も中旬ですね。
来週は久留米シティプラザで日本心理学会が予定されています。
今年は、こんな企画でシンポジウムを組んでいます。
 
2017年9月22日(金),11:20-13:00,久留米シティプラザ(会場 4G/スタジオ2)
公募シンポジウム「行為から考える「私たち」」
企画:田中彰吾・片岡雅知,司会:田中彰吾,話題提供:片岡雅知,山本絵里子,高野裕治,高橋英之,指定討論:亀田達也
 
企画の趣旨はこんな感じです。
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人はしばしば「私」ではなく「私たち」という観点に立って行動する。ごく当たり前に集団で協力して行動するし,ときには自分を犠牲にして集団に尽くしたり,逆に同調圧力に負けて周囲に合わせてしまうこともある。そもそも,人は「私たち」の観点にどうやって到達するのだろうか。ひとつの方法は,「心の理論」のような推論能力を通じて互いの心を読み,理解を共有することだろう。だが,そうした能力を持たない子どもや動物も,「私たち」の観点から他者との協力や群れでの行動を遂行しているように見える。こうした「私たち」の観点は,推論以前に直接知覚できるもの,すなわち互いの「行為」にもとづいているのではないか。人や動物は,互いの行為を同期させたり相互に調節したりするなかで「私たち」の観点を獲得しているのではないか。本シンポジウムでは,この基本的なアイデアについて,人,動物,ロボットなどの観点から検討し,「私たち」に迫りたい。
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日心では2013年に「自己」、2015年に「他者感」をテーマにして議論したのですが、今年は「私たち」です。ジョイントアクション(共同行為)に注目すると、ひとは「私」ではなくて「私たち」というレベルで柔軟に行為しています。他者の行為の意図を理解し、それに合わせて自己の行為を調整し、自他で共同のゴールに向かって行為を進め、その過程をモニターし、うまくいかなければもう一度お互いに行為を調整してみる…
 
現象学的に「意識」に着目すると、意識はどこまでも「私」の意識経験でしかないですが、共同行為に着目すると「私たち」という観点にもとづく心的表象はいろいろと成立しているように見えます。加えて、「私たち」という観点が行為のレベルでいちど成立してしまうと、それは他者への期待や、自己の行為への義務のように、ある規範や倫理の次元を作り上げてしまう面もあります。今回のシンポジウムは、いうなれば、社会性へのミニマルなアプローチという意味合いを持つものになると思います。
 
学会に参加予定の皆さまは、ぜひ現地にてお会いしましょう。
 
 

2017年4月11日火曜日

Intercorporeality and aida (Tanaka, 2017)

今日は自分の論文の話題。けっこう時間がかかりましたが、間身体性と「あいだ」について考察した論文が出版されました。掲載誌は理論心理学系のジャーナル『Theory & Psychology』です。

Intercorporeality and aida: Developing an interaction theory of social cognition
Shogo Tanaka, First Published April 9, 2017

アブストラクトはこんな感じです。

The aim of this article is to develop an interaction theory (IT) of social cognition. The central issue in the field of social cognition has been theory of mind (ToM), and there has been debate regarding its nature as either theory-theory or as simulation theory. Insights from phenomenology have brought a second-person perspective based on embodied interactions into the debate, thereby forming a third position known as IT. In this article, I examine how IT can be further elaborated by drawing on two phenomenological notions—Merleau-Ponty’s intercorporeality and Kimura’s aida. Both of these notions emphasize the sensory-motor, perceptual, and non-conceptual aspects of social understanding and describe a process of interpersonal coordination in which embodied interaction gains autonomy as an emergent system. From this perspective, detailed and nuanced social understanding is made possible through the embodied skill of synchronizing with others.

簡単に言うと、社会的認知は以前は「心の理論」を中心に議論がされていました(今もあまり変わっていません)。理論説とシミュレーション説の論争もありましたが、どちらも身体性が欠けている、という批判があります。では、身体性から出発して社会的認知や他者理解を論じるとどうなるのか、というと…説明するのがちょっと面倒になってきたので、そのうち紹介ページでも作ります。とりあえず、昔の研究会で使ったこんな資料を日本語でざっと見てもらうと、何が論点なのかつかんでもらえそうです。

2011 年 2 月 26 日:2010 年度第三回身体知研究会(RMEK)資料
他者理解の科学と現象学―心の理論から間身体性へ

今回の論文は、メルロ=ポンティの間身体性に、木村敏氏の「あいだ」概念をつなげて、考察をさらに発展させたものになっています。身体的な相互行為をベースとして、自己と他者のあいだで創発する間主観性の領域がある、というのが主題です。

…しっかし、長かったです。投稿したのが2016年の2月で掲載が昨日ですから、約14ヶ月かかっています。先日デンマークに出張した際にも、なんでこの雑誌は査読にこんなに時間がかかるのか、酒の席で話題になっていました(半年待たされてリジェクトされたからここには二度と投稿しない、という強烈な恨み節?も耳にしました)。

たしかに、投稿してから掲載まで1年を超えるような雑誌だと、もらっている研究費の成果報告書に書けない場合も出てきますから書き手からすると不満です。自然科学系だとこんなに時間のかかるジャーナルは作れないでしょうね。出版されるころには内容が古くなっているでしょうし。

ですが、個人的にはこの雑誌は気に入っています。査読がちゃんと機能していて、査読者が本文を読み込んでけっこう本気なコメントが帰ってきます。私は今回が2回目の投稿でしたが、前回も今回もコメントはかなりまともで、手続き的にも内容的にも、自分の至らない箇所をふみこんで指摘されました。怖いですねぇ〜(笑 
 
ではありますが、こういう査読のおかげで自分の書くものが出版前に一定のクオリティを保てるわけですし、査読者もたいていの場合はボランティアで査読を引き受けてくれているわけなので、やはりありがたい話なのですよ。テキトーな査読者に原稿が当たらない限りは。




2017/06/08
本日、無事印刷バージョンが出版されました。ページ番号を含めて、論文情報をアップデートしておきます。以下のリンクからPDF版をダウンロードできますよ。
 
Intercorporeality and aida: Developing an interaction theory of social cognition. Theory & Psychology, 27, 337-353.