2017年10月12日木曜日

合同研究会案内(11/11)

先日告知した11月11日の研究会案内、詳細版です。
皆さまのご参加をお待ちしています。もちろん、どなたでも参加できます。
森岡先生も染谷先生も、心の科学の根幹に迫る内容を扱っておられますから、きっと面白くなると思いますよ!
 
た
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【心の科学の基礎論研究会・第81回研究会】
第77回に続き、エンボディード・アプローチ研究会(第6回)との合同研究会になります。
 
日時:2017/11/11(土) 午後1:30~5:30(午後1時開場)
場所:明治大学駿河台キャンパス研究棟2階第8会議室
趣旨:オープンアクセスジャーナル「こころの科学とエピステモロジー」創刊を来年に控え、以下の二講演を実施します。
司会:渡辺恒夫(東邦大学/心理学・現象学)
 
講演1 森岡正芳(立命館大学/臨床心理学)
【題】物語が腑に落ちるとは?—不可視の身体の働きをめぐって
【要旨】河合隼雄は物語(ナラティヴ)と心理療法の関連について,物語が「腑に落ちる」ということを強調している。論理的説明はそれがいくら正しくても,心に残らないことが往々にしてある。クライエントが「うん」と腑に落ちたときは後に続く。「その人が腑に落ちてもらうために自分で物語を発見していただく,それを助けるのが私の職業である」。このように河合は述べる。さてこの「うん」とは何か。人が変化を起こす納得とはどういうものだろう。そして、他者が介在することがどのような働きをなすのだろうか。一つには、物語が内感に沿い,しかも他者と共有可能な形を探ること。内感として物語がどのように自己と他者を触発し、実感をもって語り聴くかということが、「うん」に接 近できる手掛かりとなろう。
 他者の応答関係があって、その人の自己が動き出す。対話的交流は言語レベルのやり取りというより、全身的活動である。中井久夫は「精神科の治療とは不可視的なさまざまの身体の治療である」とするが、では「不可視の身体の働き」とは何か。他者との対話が可動する潜在空間を生み出し、意識はその空間の中で緊張が高まったり弛緩したり、たえず揺れ動いている。この遊動空間は、自らの身に生じた出来事が語りを通して再構成される場となる。体験が活き活きとした形像を伴って喚起される。時間の質も変化する。心理療法場面でのいくつかのエピソードをたどりながら検討してみたい。
【指定討論】田中彰吾(東海大学/理論心理学)
 
講演2 染谷昌義(高千穂大学/哲学・生態心理学)
【題】ギブソン革命の肝試し—受動する心のはたらきとアフォーダンスの存在論
【要旨】妖怪が心の科学のなかに出没している。エコロジカル・アプローチなる妖怪である。伝統の権化たる心の科学は、この妖怪を退治するために、神聖同盟を結んでいる。認知科学も知覚心理学も、生物学も脳科学も生理学も、そして心の哲学の急進派も4E*も。(*4Eとは、認知主義へのアンチテーゼとして心の科学・哲学に登場したeを頭文字とする潮流、embodied, embedded, enactive, extendedを指す)
 James J. Gibson(1904-1979)とは、1960年代、70年代をとおして、生き物の知覚と行動に対する「エコロジカル・アプローチ(生態心理学)」というリサーチプログラムを提起した、知覚心理学の実験家であり理論家である。生態光学、エコロジカル情報、情報抽出としての知覚、視覚性運動制御、自己知覚、知覚システム、アフォーダンス、姿勢と運動のネスティングなど、数々のアイディアを独自に練り上げ実験し、晩年にThe Ecological Approach to Visual Perception(1979, 邦題『生態学的視覚論』)を刊行した。それから約40年。今やギブソンの名はアフォーダンス概念とともに心の科学・哲学の世界ではそれなりに市民権を得ている。けれども、これら一連の思考の根底にある「ギブソン革命」の過激な意義と射程は十分に評価されていないかもしれない(と私は思っている)。
 本発表では、ギブソン革命の趣旨を、あえて以下のように規定し、この革命について来られない限り、ギブソンの二つの過激な主張、 すなわち、(1) 心のはたらきについての見方の転換(知覚は情報を受容し抽出する過程であり、行動は情報に制御される)、(2) 行動という生物プロセスを可能にするアォーダンスなる資源が生物存在とは独立に環境に潜在する、がうまく理解できないことを指摘し、いわば、ギブソン革命なる妖怪に怖がらずについて来られるかどうかの肝試しをしてみたい。
・染谷昌義(2017)『知覚経験の生態学 哲学へのエコロジカル・アプローチ』勁草書房(特に、序章、第1〜3章、第5章)
・染谷昌義(2016)「エコロジカルターンのゆくえ—生態学はある種の形而上学である」『東北哲学会年報』、 No. 32, pp. 83-113.
【指定討論】佐古仁志(立教大学/哲学)
  
担当世話人:田中彰吾(東海大学,body_of_knowledge[アットマーク]yahoo.co.jp)
 
電子ジャーナル「こころの科学とエピステモロジー」
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/
心の科学の基礎論研究会
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro
エンボディード・アプローチ研究会
http://embodiedapproachj.blogspot.jp/p/blog-page.html
 


2017年9月24日日曜日

研究会を再開します

2016年7月の研究会以降、田中のドイツ滞在のためしばらく開催できていなかったエンボディード・アプローチ研究会ですが、次回の開催予定が決まりました。

2017年11月11日(土)

です。心の科学の基礎論研究会と合同で開催することになりました。エンボディード研としては第6回、心の科学…研としては第81回となります。それにしても、どっちも研究会の名称が長いですね。思わず略してしまいました。
 
時間と場所は過去の開催例に準じて明治大学で13:30〜になると思われます(詳細は決まりしだいご報告します)。講演はいつも2名の方にお願いしていますが、次回は森岡正芳先生(立命館大学)と染谷昌義先生(高千穂大学)にお願いすることになりました。
 
詳細は10月中旬に再度ご連絡します。お楽しみに。

ところで、先日の日本心理学会ではシンポジウムでとても充実した議論を重ねることができました。内容に踏み込んで書く時間が今はないのですが、また追って何か関連記事を書ければと思っています。
 
た
 

2017年9月11日月曜日

今年の日心

あっという間に9月も中旬ですね。
来週は久留米シティプラザで日本心理学会が予定されています。
今年は、こんな企画でシンポジウムを組んでいます。
 
2017年9月22日(金),11:20-13:00,久留米シティプラザ(会場 4G/スタジオ2)
公募シンポジウム「行為から考える「私たち」」
企画:田中彰吾・片岡雅知,司会:田中彰吾,話題提供:片岡雅知,山本絵里子,高野裕治,高橋英之,指定討論:亀田達也
 
企画の趣旨はこんな感じです。
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人はしばしば「私」ではなく「私たち」という観点に立って行動する。ごく当たり前に集団で協力して行動するし,ときには自分を犠牲にして集団に尽くしたり,逆に同調圧力に負けて周囲に合わせてしまうこともある。そもそも,人は「私たち」の観点にどうやって到達するのだろうか。ひとつの方法は,「心の理論」のような推論能力を通じて互いの心を読み,理解を共有することだろう。だが,そうした能力を持たない子どもや動物も,「私たち」の観点から他者との協力や群れでの行動を遂行しているように見える。こうした「私たち」の観点は,推論以前に直接知覚できるもの,すなわち互いの「行為」にもとづいているのではないか。人や動物は,互いの行為を同期させたり相互に調節したりするなかで「私たち」の観点を獲得しているのではないか。本シンポジウムでは,この基本的なアイデアについて,人,動物,ロボットなどの観点から検討し,「私たち」に迫りたい。
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日心では2013年に「自己」、2015年に「他者感」をテーマにして議論したのですが、今年は「私たち」です。ジョイントアクション(共同行為)に注目すると、ひとは「私」ではなくて「私たち」というレベルで柔軟に行為しています。他者の行為の意図を理解し、それに合わせて自己の行為を調整し、自他で共同のゴールに向かって行為を進め、その過程をモニターし、うまくいかなければもう一度お互いに行為を調整してみる…
 
現象学的に「意識」に着目すると、意識はどこまでも「私」の意識経験でしかないですが、共同行為に着目すると「私たち」という観点にもとづく心的表象はいろいろと成立しているように見えます。加えて、「私たち」という観点が行為のレベルでいちど成立してしまうと、それは他者への期待や、自己の行為への義務のように、ある規範や倫理の次元を作り上げてしまう面もあります。今回のシンポジウムは、いうなれば、社会性へのミニマルなアプローチという意味合いを持つものになると思います。
 
学会に参加予定の皆さまは、ぜひ現地にてお会いしましょう。
 
た
 

2017年9月3日日曜日

こころの科学とエピステモロジー

このブログでもだいぶ前に紹介しましたが、心の科学の基礎論研究会を母体とする電子ジャーナルが創刊されました。研究会関係者のMLですでに告知が回っていますが、以下に転載しておきます。
 
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日頃、心の科学の基礎論研究会の活動にご賛同いただいて感謝しております。
 
さて、この8月20日、電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』誌の「創刊準備号」を発行いたしました。
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/
 
概要は上記サイトをご覧いただきたいと思いますが、ジャーナルの創刊は本研究会創設時からの懸案であり、このほど皆様のお力添えによって実現したことを、大変うれしく思っております。
 
年一回発行予定で、創刊号の原稿締め切りは来年2月頃を予定していますので、「投稿規定」をご覧の上、ご寄稿ご投稿をお考え戴ければ幸いです。
 
また、リーフレットを添付いたしました。御知り合いや関連のMLなどに散布していただき、寄稿・投稿を呼びかけていただければ大変ありがたく存じます。
 
これからもよろしくご指導ご鞭撻の程、お願いします。
 
2017年8月 心の科学の基礎論研究会世話人一同
  
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詳しくは、上記リンクをたどって創刊準備号をご覧ください。田中も編集委員のひとりとして参加しております。

よろしくお願いします。

た
 

2017年9月1日金曜日

帰国しました

先週開催されていたISTP 2017に合わせてドイツから帰国しました。学会中は座長2件、司会1件、自分の発表4件というなんとも大変な1週間でしたが、議論自体はとても面白くてあっという間に終わってしまいました。自分の発表は萌芽的な内容のものばかりだったので、これから論文になるところまで発展させたいと思っています。

ともあれ、1年間の在外研究もおしまい。これから日本での仕事に戻ります。ひとまず、ご報告まで。
 
た
 

2017年8月16日水曜日

現象学からはじめる書棚散策

今週から現象学関連本のブックフェアが始まっているそうです。植村玄輝・ 八重樫徹・吉川孝(編)『ワードマップ 現代現象学』(新曜社)の刊行記念とのこと。リンクしておきます。 
酒井泰斗プロデュース「いまこそ事象そのものへ! 現象学からはじめる書棚散策
 
刊行されたワードマップそのものも目次を見ると良質な現象学入門書の印象を強く受けますが、ブックフェアで列挙されている書籍リストもすごいです。分量的に通常のブックフェアをはるかに超えているのですが、それだけではなくて、選書されている書籍を眺めると、ある「ゲシュタルト」のようなものが見て取れます(そのような気がします)。
 
…こう言えばいいんでしょうか。現象学の初心者がすいすい読めてわかった気になるようなヤワな本はまったく選ばれていないように見受けられます。が、読むことを通じて現象学の深みに入っていけるような本が多い印象なのです。
 
ここで「現象学の深み」と言ってみたのは、現代の現象学が圧倒的な量のテクストとともに生み出している言説の文脈、という意味もありますが、それだけではありません。ブックフェアの趣旨文で酒井氏がこんな風に述べていますが、
 
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本書『ワードマップ』では、現象学が「経験の探究」として提示されていますが、ここでいう経験は、私たちが世界の中で様々な対象に出会い・様々なやり方で関わることを指しています。つまり、物事を経験の相において、経験される事柄 と 経験する者 を切り離さずに捉えることをとおして 哲学的課題に取り組む探究のプログラムとして、現象学が特徴づけられているわけです。
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ここに書かれている意味で、「経験の探求」にもっと深く入っていける導きになるような本がたくさん並んでいます。個人的にも、かつて大きな影響を受けた本や、いまだに大きな影響を感じ続けている本が多く並んでいて、感慨深いものがあります。
 
…いやいや、感慨にふけりたいのではなくて告知がしたかったのでした。選書されたもののなかに、田中も関係している書籍が3冊あります(選んでいただいて感謝です)。ブックフェアに行ってみようと思っている皆さま、この機会に書店で手を伸ばしてみていただけると幸いです。
 
ダレン・ラングドリッジ『現象学的心理学への招待:理論から具体的技法まで』(田中彰吾・渡辺恒夫・植田嘉好子訳),新曜社,2016年(現象学に裏づけられた質的研究のガイドブックです。著者のラングドリッジさんは来週の国際理論心理学会で来日されます。8/22に基調講演、8/24にはシンポジウムで登壇をお願いしています。プログラムはここで確認できます)
 
田中彰吾『生きられた〈私〉をもとめて: 身体・意識・他者 (心の科学のための哲学入門 4)』北大路書房,2017年(心の科学の近年の知見と現象学の古典を往復しながら、身体・意識・他者というテーマに沿って自己アイデンティティの根源に迫っています)
 
S・コイファー&A・チェメロ『現象学入門:新しい心の科学と哲学のために』(田中彰吾・宮原克典訳),勁草書房,未定
 
最後のものだけ未刊です、すみません。前にここのブログ記事で紹介したときは訳文作りが進行中でしたが、先日ようやく一通り終わりました。ただいま、2018年早めの刊行を目指して共訳者の宮原克典さんと奮闘中です。この本は、新しい心の科学を生み出すことが現象学の未完のプロジェクトである、という歴史的なパースペクティヴで書かれたユニークかつ注目の現象学入門書です。心の科学から現象学に入りたい人にとっても、逆に現象学から心の科学と哲学の未来を考えたい人にとっても、必須の入門書になるはず(?)です。
 
ブックフェアは紀伊国屋書店新宿本店3階で開催中とのことです。新宿にお立ち寄りのさいはお忘れなく。
 
た
 

2017年8月12日土曜日

シンポジウム:Focusing on the narrative self in human sciences

帰国後のISTPでの発表を準備しています。今日はとりあえず25日午前の以下のシンポジウムの準備。

8/25 11:00-12:30  Room A1203
[Symposium 34]
  Focusing on the narrative self in human sciences
[Organizer]
  Kayoko Ueda (Kawasaki University of Medical Welfare)
[Presenters]
  Kayoko Ueda (Kawasaki University of Medical Welfare)
  Masahiro Nochi (The University of Tokyo)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
[Discussant]
  Ken Nishi (Tokyo Medical University)

タイトルを日本語にすると「人間科学におけるナラティヴ・セルフを焦点化する」と、ちょっとぎこちなくなってしまいますが、趣旨はこういうことです。
 
心理・教育・福祉・看護など、対人支援領域での質的研究においてナラティヴ・アプローチは重要な位置を占めています。ただ、理論的には問題も多くあります。本人の語りを重視するといっても、インタビューを受ける側の研究参加者の観点はもともと研究者の観点とは異なりますから、研究者が理解できることにはおのずと制約があるかもしれません。一方、インタビューを深いものにしてナラティヴを分厚いものにすれば、その分だけ理解が深まったとしてもデータは参加者と研究者の共同作業の産物になり、妥当性の確保が難しくなっていきます(別の研究者が同じ題材に取り組んでも、まったく違う記述になる可能性があります)。また、ナラティヴが聞き手の前での語りだとすると、聞き手が変わると内容が変わってしまったり、聞き手の態度や関心によって語りの内容が変化したりといった問題もあります。
 
なので、エビデンス・ベースでないアプローチであることに由来するさまざまな理論的問題がナラティヴ・アプローチには内在しているのですが、それをポジティヴに解消する手立てとして「ナラティヴ・セルフ」というキーワードを立ててみてはどうか、というのが今回のシンポの趣旨です。ナラティヴだけではなく、研究参加者のナラティヴ・セルフまで迫ることができれば、研究者の側の恣意性を超えて、より一貫性と妥当性をもってナラティヴを理解する手がかりが得られるのでは、という提案になっています。(ちなみにエビデンス・ベースのアプローチにはそれ固有の理論的な問題点が多々ありますので、誤解なきよう)。
 
パネリストの植田先生と能智先生が事前に報告内容のレジュメを送ってくれたのですが、それを見ていて興味深いことに気づきました。お二人とも、ナラティヴの理解が研究者の側の主観に引きずられないよう、いかにして研究参加者を正確に理解できるかという問題意識を追求しているのですが、そのさい、参加者の身体、語りの裏にある沈黙、情動など、いわば「当事者の実存」に着目しているのです。
 
つまり、シンポはさしあたり「ナラティヴ・セルフ」を提案するものなのですが、二人ともそれを少し超える場所を指向しているようなのです。「ナラティヴ・セルフ」は、本人のライフストーリーを背景にして構成されているアイデンティティですから、基本的には「物語の形式で語られた自己」であり、「語りうる自己」です。対して、とくに能智先生は写真に映ったある男性の身体を時系列で追うことで「語り以前の語り」を読み解こうとしていて、まさに当人の実存に迫ろうとしています。
 
私もこのシンポの準備をしていて「ナラティヴ・セルフ」の概念の歴史をたどり直しながら考えたのですが、ライフストーリーとしてのナラティヴはある観点から人生を俯瞰したときに紡ぎ出される物語であって、「ある観点」それ自体は物語のなかに登場してきません。ここでいう「ある観点」とは、語りを紡ぎ出している現在の時点で、身体を通じて私が生きているところの、世界との関わりです。
 
これは、ハイデガー風に「気分」と言ってもいいかもしれませんし、ジェンドリンのように「フェルトセンス」と言ってもいいかもしれませんが、「暗にそう感じてしまっているもの」なので、語り全体を脚色するものでありながら、はっきりと言語化されて語りのなかに表出しません。いわば、語りを支える語り手そのもののスタンスなので、これが語りのなかに盛り込まれれば物語全体のフレームが変化してしまうはずのものです。実人生でそのようにナラティヴが変化すれば、当人の生き方そのものが変わってしまうことでしょう。
 
いずれにしても、ナラティヴを問うていくと、その向こう側にある語り手の実存を問う必要がありそうなのですが、三人ともそれぞれのしかたでそういう深い問題意識を共有しているようです。西先生の指定討論でどんなコメントが出てくるかも含めて、当日の議論を楽しみにしています。
 
た
 

2017年8月5日土曜日

北大路書房のレア本

知人が興味深い写真を送ってくれました。
都内某所のジュンク堂では、拙著はこういう感じで置かれているそうです。
 

画像を特大表示にしているのですが見えるでしょうか? ほとんど無理かもしれませんね(もちろん私はすぐに見つけられるのですが)。左から10冊目が拙著です。
 
収録されているシリーズが「心の科学のための哲学入門」なので、心理学の棚にはおかれていないのですね。この段はほぼすべて「心の哲学」の関連書で埋まっています。北大路書房の本で心理学の棚に置かれないのって、けっこうなレア本なんじゃないでしょうか?
  
そして、上の段をみると右端にステレルニー、ソーバー、といった生物学の哲学者らしき人たちの本が。一番右の帯だけ見えてるのは…どうやら職場の同僚の松本俊吉さんの著作『進化という謎』では? この段は「生物学の哲学」関連の書籍が多いみたいです。
 
ということは、書棚が科学哲学のコーナーってことですね。ネット書店ではなくてリアル書店に行かれる方は、ぜひ科学哲学のコーナーに行ってみてください。それで、拙著を見かけたらぜひ手に取ってみてください。私のかけた魔法できっと買いたくなります(笑
 
そういえば、もうすぐ紀伊国屋新宿本店で「現象学ブックフェア」が始まるそうですね。『ワードマップ現代現象学』の刊行記念らしいですが、選書の中には田中の『生きられた〈私〉をもとめて』も入っていると風の便りでききました。日本ではマイナーな「現象学と認知科学(Phenomenology and the Cognitive Sciences)」の路線の本にまで気を配っていただいて嬉しい限りです。関係者の皆さん、ありがとうございます。帰国したらすぐに紀伊国屋に行かなくては。
 
た
 

2017年7月31日月曜日

しばらくの間、

ツイッターのアカウントを閉じることにしました。
 
もうすぐ帰国せねばならないせいか、ここ数日、帰国後の自分の生活が断片的に思い浮かぶことが増えています。それ自体はいいのですが、問題は中身。なぜかネガティブなシーンばかりなのです。長時間の会議にイラついている姿、授業のコマ数が多くて疲れている姿、問題学生への対応でうんざりしている姿、など。職場がらみの、いやな感じの場面が多いです(同僚に叱られそうですが…)。
 
こちらで過ごした時間がとにかく充実していたので、それとのコントラストでこの先の生活が思い浮かんでもポジティブな連想にならない、ということなんでしょう。心のはたらきはそういうものです。認知活動にもゲシュタルトがあって、ある背景のうえではじめて連想が図になって現れてきます。
 
それで、そういう場面のひとつとして、愚痴をツイートしている自分の姿が何度か浮かんできたので、そんなことに使うんだったらアカウントを閉じちゃってもいいのでは、と思いついた次第。研究会とか本の告知のこともあるので元に戻すかもしれませんが、それ専用に別アカウントを始める手もあるので、しばらくこの状態を試してみます。
 
なお、このページは今まで通りなのでよろしくお願いします。
 
た
 

2017年7月28日金曜日

国際理論心理学会での企画3

さらに前記事への追加です。
国際理論心理学会(ISTP 2017)の二日目、8/22夕方に下記のシンポジウムがあります。
 
8/22(火):17:15-19:15, Room A1203
[Symposium 22]
  Locating the bodily borders of individuality
[Organizer]
  Luca Tateo (Aalborg University)
[Presenters]
  Lívia Mathias Simão (University of São Paulo)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
  Giuseppina Marsico (Aalborg University / University of Salerno)
  Jensine I. Nedergaard (Aalborg University)
  Zachary Beckstead (Brigham Young University-Hawaii)
[Discussant]
  Jaan Valsiner (Aalborg University)
 
この企画はデンマークのオールボー大学の先生方による企画です。自己と他者の境界、主観性と他者性の境界、個体性と集合性、こうしたものの起源として身体経験を理解する試みです。田中も見る-見られる、触れる-触れられる経験をもとに身体の間主観的次元について話そうと思っています。
 
このシンポ、内容もそうですが形式面で面白さがある企画かもしれません。枠が2時間でスピーカーは5人いるのですが、プレゼンは1人10分のみ、話題提供を1時間以内に抑え、あとは会場との討論に1時間を割くというタイムテーブルになっています。

オーガナイザーのタテオ先生はみんなで濃く議論する感じを狙っていて、話題提供者の理論的背景もけっこう散らしてあるので、混沌として結論の出ない流れになるかもしれません。ただ、その分、自分の考えをぶつけてフロアの議論に参加した人には、得るものも多い議論になると思われます。身体性に関心のある方はぜひ会場にお越しください。
 
た
 

2017年7月22日土曜日

国際理論心理学会での企画2

※8/5記:大会プログラムに変更があり、この企画は8月25日、13:30-15:00に変更になりました。
 
 
前記事への追加です。
国際理論心理学会(1STP 2017)、8/24日午後にはこんなワークショップがあります。

8/24 15:30-17:00 
8/25 13:30-15:00  Room A302
[Workshop 3]
  Alternative concepts of self, body and mind from contemporary Japanese perspectives
[Organizer]
  Tetsuya Kono (Rikkyo University)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
[Presenter]
  Tetsuya Kono (Rikkyo University)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
  Takayuki Ito (International Research Center for Japanese Studies)
  Yu Inutsuka (The University of Tokyo)
 
この企画は、現代(に必ずしも限りませんが)日本のパースペクティヴからオルタナティブな「自己」と「心身論」を議論する趣旨のものです。河野先生、伊東先生とは2015年の京都カンファレンス、2016年の国際心理学会議と、2年続きでアジア的な心身観から自己をとらえなおす議論を続けているので、これが3回目になります。
 
近代的な「自己」のとらえかたは、そのベースに独特の心身の見方(二元論)を持っていて、それが個人主義的な発想や独我論的な心観と緊密に連動しています。しかも、こうした観点は心理学の根っこにある仮説的な見方にもなっています。では、日本的な、あるいは東アジア的な観点を取ることで、こうした自己の見方を刷新できるのでしょうか。また、そうだとして、それは現代の心の見方にどのような貢献をなしうるのでしょうか。こういった論点を考えるワークショップです。
 
た
 

2017年7月14日金曜日

国際理論心理学会での企画

来月8月下旬に開催される国際理論心理学会(1STP 2017)で、下記2件のシンポジウムを開催します。大会は1日のみの参加も可能ですから、ぜひ足をお運びください。会場は、立教大学池袋キャンパスです。詳しい大会案内ページは以下です。

[The 17th Biennial Conference of The International Society for Theoretical Psychology]

<1>
8/24 11:00-12:30  Room A1202
[Symposium 26]
  Quest for new methods in phenomenological psychology
[Organizer]
  Shogo Tanaka (Tokai University)
[Presenters]
  Darren Langdridge (The Open University)
  Tsuneo Watanabe (Toho University)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
[Discussant]
   Masayoshi Morioka (Ritsumeikan University)

この企画は、現象学的心理学の新しい方法を考えるシンポジウムです。邦訳が刊行されている『現象学的心理学への招待』の著者、ラングドリッジさんをスピーカーに招いて議論します。インタビュー、当事者の記述、実験の持つ可能性を考察します。
 
<2> 
8/25 11:00-12:30  Room A1203
[Symposium 34]
  Focusing on the narrative self in human sciences
[Organizer]
  Kayoko Ueda (Kawasaki University of Medical Welfare)
[Presenters]
  Kayoko Ueda (Kawasaki University of Medical Welfare)
  Masahiro Nochi (The University of Tokyo)
  Shogo Tanaka (Tokai University)
[Discussant]
  Ken Nishi (Tokyo Medical University)

こちらの企画は、2016年7月末に明治大学で開催した「現象学と人間科学」のワークショップの続編です。昨年議論したときに、ナラティヴ・アプローチの問題点が浮上してきたので、今回は「ナラティヴ・セルフ」を主題にして人間科学と質的研究の基礎を再考します。こちらは植田先生にオーガナイズをお願いしました。

ちなみに田中は上記2件以外にも、シンポジウム1件、ワークショップ1件、という感じで合計4回登壇します。果たして大会終了まで私の体は倒れないでもつんでしょうか(笑

た
 

2017年7月6日木曜日

第80回心の科学の基礎論研究会

MLで告知が回っていますので、以下に同じ案内を貼り付けておきます。いずれの発表も、文字通り「心の科学の基礎論」をめぐる重要な講演になるものと思われます。例によって田中は帰国前なので参加できませんが…

た
 

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「心の科学の基礎論」研究会( 第80回)のご案内
表記の研究会を下記の通り開催いたします。奮ってご参加下さい。

【日時】2017/7/22(土) 午後1:30~5:30(午後1時開場)
【場所】明治大学駿河台キャンパス研究棟2階第8会議室
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html

・趣旨 本研究会も80回目(21年目)を迎え、かつオープンアクセスジャーナル「こころの科学とエピステモロジー」創刊を来年に控え、特集「心理学のエピステモロジー」と銘打って以下の企画を行います。
・司会 渡辺恒夫(東邦大学/心理学・現象学)

・講演1 加藤義信(名古屋芸術大学/発達心理学)
【題】アンリ・ワロンの発達論の独創性に学ぶ:現代発達心理学の批判的捉え直しのために
【要旨】心理学は人文・社会科学の中で最も自然科学化が進んだ領域であると見なされている。その一つの下位分野である発達心理学も例外ではない。/第一線で活躍する多くの発達研究者にとって、研究するとは、英語の学術誌に掲載された論文を読み、そこで共有されている問題意識を自らのものとした上で、「科学的」であると受容される方法の枠内でデータを収集し、それらを論文に(できれば英語で)仕上げて投稿し新知見のプライオリティ競争に参加することと、今や同義である。しかし、発達研究において、自然科学と同様のこうした学問の「制度化」、さらには「国際化」が、あたかもアメリカを中心に地球規模で成立していると、本当に考えてよいのだろうか。発達研究が当該研究者(及びその研究者の所属する階級・社会・文化)の発達観・子ども観・人間観に深く規定されて一定のバイアスのもとにしか成り立たない学問であるとすれば、この領域における「自然科学的な学問共同体」の存在を無自覚に想定するのは幻想に過ぎない。/自戒を込めて言えば、発表者がこれまで行ってきた認知発達の実験的研究も、こうした研究スタイルと無縁であったわけではない。ただ、上記のような問題意識だけは若い頃から持ち続けてきたので、一方で、今や時代遅れとみなされる20世紀前半のフランス語圏の二人の発達のグランド・セオリスト、ピアジェとワロンにずっとこだわりながら、英語圏を中心とする発達研究に欠けた視点をそこから学び取ろうとしてきた。特に最近は、ワロンの発達論に含まれる幾つかのアイデアが現代の発達心理学に新たな地平を切り開く可能性を有していることに注目してきた。今回は、この点を中心に話題提供することにしたい。

・講演2 山口裕之(徳島大学/哲学・エピステモロジー)
【題】心の科学のエピステモロジー:現代心理学が暗黙のうちに前提とするものを探る
【要旨】現代の心理学は、「心」を対象とする科学である。そこには、丸ごとの人間に介入して結果を質問票などで測るといった研究だけでなく、何か作業をしているときに使う脳の領域をfMRIなどで測定したり、神経細胞の電気的反応を調べたりといった「脳の研究」も含まれる。/しかし、そもそも「心」とは何だろうか。心理学において研究されている「知覚」「知能」「情動」「態度」などといった概念は、普遍的に妥当する概念なのであろうか。心は脳と単純に同一視してよいものであろうか。/少しばかり近代哲学を読んでみると、現代の
心理学とよく似た主題が扱われていることがすぐにわかる。知覚の研究はデカルトやロックなどに含まれているし、コンディヤックなどフランス啓蒙思想には人間の発達段階に対する体系的な考察が含まれている。しかし同時に気づくことは、そこで使われている言葉が、現代の心理学用語とは異なっていることである。mindではなくsoul(フランス語ではâme)が、emotionでなくpassionが、それぞれ一見すると前者と同じ意味で使われている。attitudeやmotivationなどという言葉は見かけず、volontéがそれらと重なりながら大幅にはみ出すような含意で使われる。intelligenceは、大文字で書けば「神」のことである。全般的に言って、当時の心(soulないしâme)の議論には、キリスト教的な色彩が濃い。/現代の心理学は、そうした近代哲学の議論を換骨奪胎することで、「科学」の一分野となったのである。そしてそのとき、「心」に対する特定の見方が、暗黙の前提として立てられることになった。今回の発表では、近代哲学から心理学へ、何が受け継がれ、何が変容したのかを考えることで、現代心理学の「暗黙の前提」を探りたい。
 
・誰でも参加できます。申し込み不要、原則無料です。
・注意!研究会はお互いに学び合う場です。自説を声高に一方的に主張し続けるような行為は迷惑行為に当たりますので御遠慮下さい。また、本研究会は哲学の研究会ではないので、こころの科学と直接関係のない哲学論議もお控え下さい。
・心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご覧下さい。
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/kokoro
・担当世話人:渡辺恒夫 東邦大学(psychotw[アットマーク]env.sci.toho-u.ac.jp)


2017年6月29日木曜日

何とか終えた…

昨日までの暑さのせいで準備が間に合わないかと思いましたが、なんとかかんとか午後4時過ぎに準備を終え、午後6時からハイデルベルクのコロキアムで話をしてきました。


テーマは、離人症における自己と身体。ハイデルベルクに来て進めてきた研究プロジェクトのまとめになる話をしてきました。離人症を経験する個人は、しばしば自己の感覚が身体から切り離され、あたかも身体の外側にあって身体で起きていることを観察している、ということを訴えます。これは、哲学史上の議論にひきつけて考えると、デカルト的な二元論を擁護する症状に見えるわけです。デカルトは身体から切り離された自己を徹底して擁護する議論をしていますから。

そして、デカルト的な二元論に反対するところから始まっている私の「身体化された自己」の議論にとっては、離人症における自己感覚は、デカルト的自己を擁護するのか、身体化された自己を擁護するのか、議論を決定づける試金石のような症状なのです。

この問題に関して私が最終的に注目していることのひとつは、エージェンシーの問題です。離人症を経験する個人は、しばしば自分の身体行為があたかもロボットのように自動化されているといいます。しかし、彼らの身体は麻痺しているわけではないのです。生活に必要な行為はすべてなすことができます。だとすると、エージェンシーの感覚は存在しないわけではなくて、少なくとも身体行為を開始する時点でははたらいているはずです。ロボットのように感じてしまうのは、エージェンシーではなくて、むしろ身体のオーナーシップが損傷しているからでしょう。彼らは、自分の意図したとおりに行為することができるのですが、固有感覚を通じて「私の身体が動いている」という感じを経験できないため、行為が自動的に生じているように感じてしまうのでしょう。

そして、そうだとすると、少なくとも行為開始時点でのエージェンシーの感覚だけは身体に由来するはずで、その一点においては、離人症に苦しむ個人も、やはり身体化されていると言えるのです。これはおそらく治療とも接点を持つでしょう。身体行為(もっというと身体を動かすエクササイズ)を通じて、少しずつ身体のオーナーシップを回復することができれば、症状も多少は緩和されるのではないかと思います。私は臨床家ではないので治療に関して踏み込んだことは言えませんが、具体的な運動を手掛かりに身体性を回復することができるなら、治療について希望が持てるのではないでしょうか。

ともあれ、無事に話し終えることができて良かったです。しかも、今日の講演は「カール・ヤスパース図書館」というレジェンドな場所で行うことができたのでした。光栄な一日でした。

た
 

2017年6月28日水曜日

暑い…仕事が終わらない…

6月の中旬くらいからドイツはものすごく暑い。ドイツだけではなくて、今年のヨーロッパは広い範囲が熱波に覆われているらしい。テレビのニュースでは山火事の映像をたびたび見かける。
 
これだけ暑いと昼間はほとんど仕事にならない。もともとヨーロッパは室内でクーラーを使わないし、今でもエアコンがきいているのは商業地だけで、普通のオフィスには扇風機さえ置いてない。私の研究室にもエアコンはない。仮住まいのアパートにもエアコンがない。
 
昼は暑すぎるので、もっぱら気温の下がる夜(…といっても日が暮れて涼しくなる午後9時ごろ)に研究を始めるのだけど、これはこれで具合が悪い。暑いから窓を開けっぱなしにしていると、室内の灯りを目指して小さな蚊が大量に入ってくる。ドイツの建物には網戸がない。
 
刺されないので実害はないのだが、デスクスペースを照らすライトの周囲を、おそらくは30匹をくだらないであろう数の小さな蚊がくるくると飛んでいる中で、本を開いてパソコンの画面に向かう。気が散ることこの上ない。
 
こういうのを4~5日経験したらうんざりしたので、たまらず扇風機を買った。小さくて、首の回転がいかにも洗練されていない、見るからに安物の扇風機。なのに50ユーロ。蚊には困らなくなったが、こんどはブンブンと音がやかましい。それに、閉めきった状態で扇風機をまわしても、生ぬるい空気が室内を循環するだけでそれほど涼しくならない。まったく… 
 
明日(というかもう日付が変わって28日なので今日なのだが)、こちらのコロキアムで講演を頼まれている。すでに午前1時。当然のようにまだ準備が終わらない。このままいくと間に合いそうにない。困った。
 
た