2018年11月8日木曜日

10月の備忘録

前回の投稿からちょうど1ヶ月。ブログを更新できないまま場当たり的に仕事をやっつけ続ける日々が続いています。以下、とりあえずこの間にこなした仕事を備忘録として書いておきます。
 
・駒場で「学際科学概論」の講義:105分の講義を連続2コマで、終わったら声がかすれました。が、自身の研究に深くかかわる内容を講義できるいい機会でした。
・科研費の申請書作成:手元にリサイクルできる企画があったので、計画調書としてリライトして提出しました。枠が挑戦的研究なので、まあ、採択されないと思いますが。
・医学部の学士編入生を相手に「現代文明論」の講義:3年ぶりに担当したので思い切って内容を変えて「心の病は実在するか?」というタイトルにしました。精神医学の哲学がらみの講義。講義につづく学生のディスカッションでは、精神障害の命名と診断をめぐって、なかなか味わい深い意見が多々出ていました。
・身体図式と身体イメージに関する展望論文:自他研の面々で書いた論文のとりまとめ作業…作業が遅れてみんなに迷惑をかけていたのですが、ようやくエディット終了。
・リハビリテーション関連の議論:小脳病変に由来する運動障害の理学療法を専門としている菊地豊先生とディープな議論。小脳変性症の当事者の映像をいくつか拝見しましたが、触発されて考えることが多々ありました。今後も、運動障害と運動学習について、時間をかけて議論を深めていくことになりそうです。
・国際シンポジウムの準備:毎年3月にデンマークの東海大学ヨーロッパ学術センターで開催しているシンポジウムの事務的な準備がようやく始まりました。
・準備中の単著の執筆:進捗はまあまあです。
・フックス本の読書会:毎回議論が盛り上がるのでなかなか進みませんが、3章まで読み終わりました。

あれこれ迫り来る主任のお仕事(こちらは「お仕事」であって本来の「仕事」ではありません)の合間にこれだけ研究を進めたので、よしとします。
 
 

2018年10月8日月曜日

発売が始まりました

以前ここでも告知した文化心理学関連の以下の書籍、オンライン書店での発売が始まったようです。いわゆる比較文化的アプローチではなく、「そもそも文化とは」という視点を強調していること、過去の心理学のなかで文化を重視した論者を(ヴントの民族心理学も含めて)再発掘していることが本書の大きな特徴だと思います。
 
Gordana Jovanović, Lars Allolio-Näcke & Carl Ratner (Eds.). (2018). The Challenges of Cultural Psychology: Historical Legacies and Future Responsibilities. New York, NY: Routledge.



実物をまだ手にしていないのですが、カラフルでいい感じの装丁ですよね。ちなみに、私が分担したのは以下の章になります。

Shogo Tanaka
Chapter 17: The self in Japanese culture from an embodied perspective

身体化された自己の観点から、日本文化における自己の問題を論じています。出版社向けのプロポーザルに収録されたアブストラクトは出版された書籍のなかに収録されなかったようなので、ここに転載しておきます。いわゆる「西洋的自己-非西洋的自己」という二分法ではなく、身体的自己が文化的コンテクストによって個人主義的なものにも集合的なものにも生成しうる点を強調した論考です。内容に関心のある方はぜひ本書を手にとってみてください。
 
[Abstract]
The main aim of this paper is to consider the self in Japanese culture from an embodied perspective. Since early 1990’s, the discourses on the embodied mind have brought a radical change in the sciences of mind, including the notion of the self. In the following argument, first, I briefly describe the basic aspects of the embodied self, the notion of which was derived from the embodied mind paradigm. Then, I examine the discourse on the self in cross-cultural psychology that focuses on the differences in the self between the West and East, including Japanese culture. In the extant literature, it is widely acknowledged that the self in Eastern (or more widely, non-Western) cultures has the characteristics of being “interdependent” and “collective” in comparison with that in Western cultures. In addition to this, the self in Japanese culture has been described as “relationship dependent.” Finally, I give an account of the same characteristics from an embodied perspective in order to find a path to an understanding of the self beyond cultural dichotomies, such as “Western” and “Eastern.” If the self is inevitably embodied, such a self could be constituted as either “individual” or “collective,” “independent” or “interdependent,” regardless of the cultural background.
 

 

2018年9月30日日曜日

旅の余韻

出張続きの9月でした。いまもまだ余韻の中にいます。
 
9月中旬、ハイデルベルクで「Time, the Body, and the Other: Phenomenological and Psychopathological Approaches」というカンファレンスに参加。トーマス・フックス氏の年来の研究者仲間が集まるアットホームな雰囲気の会議でした。現象学と精神医学というサブタイトルがついていますが、名だたるエナクティヴィストもたくさん来ていて(Hanne De Jaegher, Ezequiel Di Paolo, Tom Froeseといった面々)、彼らのトークを聴きながら、動きと行為を出発点にして自己と世界をとらえることの意味を改めて考えました。私は少し違った文脈で対人恐怖症について話したのですが、そちらにもいろんな方からコメントをもらえて励みになりました。ちなみにショーン・ギャラガーの講演が行われたアルテ・アウラ(1886年に建てられた建学500周年の記念講堂)の雰囲気がとても良くて、束の間「学問の殿堂」にいる気分に浸りました。
 
下旬、日本心理学会で仙台へ。大会中日は大学を抜けられなかったので泣く泣く日帰り。しかも出番が二回あったので25日・27日と日帰り二回でした。今回の大会はいずれも心理学と哲学の中間領域に関係するシンポジウムで、一件は現象学と心理学史、もう一件は科研費のプロジェクトに関連する「個別事例学」の企画でした。初日は40人弱、3日目は立ち見の出る盛況で、「日心も変わったなぁ」と感じた大会でした。10年前なら、こんなに哲学寄りの企画ではこの半数くらししか人が集まらなかったと思います。質的研究が強くなったこと、再現性問題をきっかけに心理学の方法の問い直しが進んでいること、意識や自己といった研究領域では心理学と哲学の問題意識が重なること、等々、いろんな要因が背景にありそうですが、私のように心理学の哲学を手がけてきた研究者からするとこの変化は歓迎すべきものに感じます。この種の議論を通じて新たな知が生まれてくることを信じて、今後も議論を続けたいと思います。
 
そして最後に大阪。認知神経リハビリテーション学会に参加してきました。とても得がたい経験でした(関係者の皆様にお礼申し上げます)。大会前日の28日夜に大阪入りして関係者の懇親会に参加したのですが、会長の宮本先生や重鎮の森岡先生、生理研から来られていた吉田先生とずっと議論をしていました。身体性をめぐって、意識の謎をめぐって。で、それはその日だけでは終わらず、大会1日目それぞれの講演の前後に楽屋でもずっと続くという感じで、長い長い座談会をやっていたような感じでした。レセプションでも若いPTやOTの皆さんから答えきれないくらい多くの質問をいただいて、ひたすら答えていたら何も食べる間も無く終わってしまいました。皆さん患者さんの身体に日々真摯に向き合っておられるからか、身体経験についての(哲学的な次元を背後に含む)深い質問ばかりでした。「病態を深化する」という大会テーマもこれには関係していたと思います。病態を深く理解することは、現象学的身体論とも響きあうテーマです。私も触発されて多くの問いと思考を持ち帰ってきたので、これから自分の言葉にしたいと思っています。
 
というわけで、旅の余韻が終わらないまま、10月に入ろうとしています。


 

2018年8月29日水曜日

9月の登壇予定(3)

その3。
9月29日〜30日、大阪の門真市文化会館ルミエールホールにて「第19回 認知神経リハビリテーション学会学術集会」が開催されます。

光栄なことに大会の特別講演者として話をさせていただきます。声をかけていただいたタイミングが身体図式・身体イメージの国際シンポを開催した直後で、ちょうどイアン・ウォーターマンのリハビリ過程に即して身体イメージについて考え直していたところでした。ウォーターマンは感染症に由来するニューロパシー(末梢の神経障害)に陥り、首から下の触覚と固有感覚を失ってしまった患者です。その患者が、身体を見つめて身体イメージを活用することで、日常生活のさまざまな行為を実行できるようになったのですが、ここには、リハビリテーションにおける運動イメージと身体イメージの持つ本質的な意義が隠れているように思うのです。当日はこの点を掘り下げて考えてみたいと思っています。

私の教え子のなかにも、リハビリテーションの現場で働いている卒業生がいるので、この分野の専門家とのコラボレーションを楽しみにしています。


 

2018年8月28日火曜日

9月の登壇予定(2)

その2。
9月25〜27日、仙台国際センターで日本心理学会第82回大会が開催されます。
田中も関係するシンポジウムで話します。

(1)
9/25 (火) 13:10-15:10 小会議室2
シンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて-近代心理学と現象学」
企画代表:渡辺恒夫,話題提供:渡辺恒夫・田中彰吾・村田憲郎,指定討論:直江清隆・渡邊芳之,司会:渡辺恒夫

(2)
9/27 (木) 13:10-15:10 会議室3B
シンポジウム「事例研究はいかにして「客観的」たりえ、他者に利用可能たりうるか?」
企画代表:三嶋博之,話題提供:河野哲也・佐藤由紀・青山慶,指定討論:三嶋博之・田中彰吾,司会:染谷昌義

(1)のほうは「心の科学の基礎論研究会」の議論のスピンオフ企画のようなものです。ブレンターノ、ゲシュタルト心理学、フッサール現象学、という歴史的起源をたどりつつ、そこから発展する可能性のあった「もうひとつの心理学」を考えます。
 
(2)は、去年から進行中の科研費プロジェクト「生態学的現象学による個別事例学の哲学的基礎付けとアーカイブの構築」の企画です。「個別事例学」としていま議論を進めているものの経過報告という意味合いがありそうです。今回はとくに、一回しか生起しない出来事を事例研究として位置付けるにはどうすればいいのか、という論点を掘り下げることになりそうです。

心理学会に参加予定の方は会場でお会いしましょう。


 

9月の登壇予定(1)

これから登壇する予定をいくつか。
その1。

9月13日、ドイツ・ハイデルベルクで開かれるカンファレンス「Time, the Body, and the Other」で話します。


このカンファレンス、じつはハイデルベルクでヤスパース講座の主任をつとめてきたトーマス・フックス氏の60歳の誕生日祝いという隠れた意味があります。カンファレンス・ディナーは、彼にゆかりのある人たちが集まっての誕生パーティになるらしいです。これは盛り上がりそうで楽しみ。

カンファレンスのタイトルを見て、私は当初、鏡像、身体イメージ、反省的自己の話をしようと思っていたのですが、準備をするうちに気が変わりました。今回は対人恐怖症の話をしてきます。対人恐怖症は、他者の視線に出会った瞬間を契機として、私の身体がいつもどおりのあり方を失って、赤面したりどもったりし始めるという点で、「Time, the Body, and the Other」というテーマをうまく反映している主題だと思います。

2018年8月27日月曜日

8月の備忘録

たまたまTVをつけたら日テレで24時間テレビをやっていて「えっ、もう8月終わっちゃうの?」と何とも言えない脱力感におそわれた田中ですこんにちは。

とりあえず、8月に進めた主な仕事を備忘録的に記しておきます。

  • 同僚のO先生と来年の職場の時間割原案の作成(ひたすらむなしく頭を使う時間だった…)
  • 友人と共著で書いている論文の執筆(今まで読んだことのなかったフランツ・ファノンを初めて本格的に読んで人種差別や植民地的経験についていろいろ思うところあり)
  • 11月に質的心理学会で登壇するシンポジウムの準備(ナラティヴについて考えます)
  • 8月中旬に北京で開かれた世界哲学会の準備(河野先生と企画したラウンドテーブル1件、自分の研究発表1件。どっちも盛況でありがたかった。ちなみに初北京で食事は満喫したのですが、途中からアレルギー性?の鼻炎がひどくなってまいりました)
  • 8/24に立教で開かれたヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』合評会で司会(司会を依頼されたタイミングでたまたまファノンを読んでいて人種差別について考えを深めたくて依頼を受けたのですが、ンゴさんやレビュアーの発表を聞いていて考えることがいろいろあり。おそらく、身体イメージのレベルでのネガティヴな経験が身体図式へと織り込まれ図式がうまく機能しなくなる点に差別される経験の身体性の核心があると思う。他にも多々刺激を受けた)

  • 某出版社から予定している次の単著の企画書を作成
  • 来月末の日本心理学会で登壇するシンポジウム「もうひとつの心理学史を求めて」の発表準備(ただいま進行中)
という感じで、あっという間に8月がもうすぐ終わります。
 


2018年8月9日木曜日

自撮りを入れてみました(Tanaka 2018)

こんばんは。
 
今年、刊行が始まった新しいジャーナルで「Human Arenas」というのがあって、私もAssociate Editorとして参加しているという話を以前書きました。
新ジャーナル:Human Arenas

それで、去年、国際理論心理学会が東京であったときに、関係者と「Locating the bodily borders of individuality」という名称のシンポジウムを開いたのですが、その発表を論文にするようせっつかれていました。

…うーん、締め切りが4月末だし、他に優先順位の高い仕事いくつか抱えてるし書けないよな〜、ってほとんど諦めていたのですが、他の仕事の合間にところどころ浮いた時間で短い論文をなんとか書きました(自分で自分をほめてあげたい-笑。

ただいま、Online Firstの状態で雑誌のサイトで公開されています。以下のリンクをたどって右側にある「Download PDF」をクリックすると無料でダウンロードできます。

Tanaka, S. (2018). Bodily Basis of the Diverse Modes of the Self. Human Arenas, 1. https://doi.org/10.1007/s42087-018-0030-x

中身は一種のレビュー的な内容です。身体経験がいかにして多様な自己のあり方を支えているのか、現象学的な分析を短くまとめてあります。前反省的な自己、反省的な自己、自律的な自己、相互依存的な自己、それぞれ、身体経験が環境や他者との相互作用を通じてどのように焦点化されるかに応じて、構成される自己の様式も異なるという話です。
 
ところで、文章が短いので何か工夫できないかな〜と思って、自撮りの写真(顔ではなくて手だけですが)をいくつか入れてみました。(a)物に触れる、(b)自分で自分に触れる、(c)他者に触れられる、それぞれの場面で紙面を充実させるのに写真に一役買ってもらいました。手作り感がなんとも残念な感じに仕上がっていますのでぜひご覧ください(笑
 

 
[2018/8/11 追記]
先ほど上記リンクを確認したら、第1巻第3号にページを割り当てられていました。正確な書誌情報は以下になります。
Tanaka, S. (2018). Bodily basis of the diverse modes of the self. Human Arenas, 1, 223-230.
引き続き、リンクからたどってPDFファイルを無料でダウンロードできるようです。






2018年8月3日金曜日

序が読めます-『現象学入門:新しい心の科学と哲学のために』

こんにちは。

7月末に販売された拙訳、コイファー&チェメロ『現象学入門』ですが、勁草書房編集部のサイト「けいそうビブリオフィル」で冒頭の「序」が読めるようになりました。
 
あとがきたちよみ『現象学入門』
 
6ページの短い文章に、本書のサブタイトル「新しい心の科学と哲学のために」を凝縮したような内容が記されています。逆に、普通の現象学入門に期待されるけれど、本書には書かれていないことについても、この序で明記されています。

ちなみに、序には、私が原著で読んだときに思わず顔がほころんだ(うれしくて)一文があります。

「あなたが現象学を学ぶべき最も簡単な理由は、すべての人が現象学を学ぶべきだからである。」(The simplest reason one should study phenomenology is because everyone should. )

こんなに強烈な価値判断に満ちた一文をさらっと書けてしまうのって、なかなかすごくないですか? これがたんに著者らの現象学に対する偏愛だったなら、この本をわざわざ訳したりはしなかっただろうと思います。

本書は、現象学の古典的な考え方について、現代の視点からフェアに評価しつつも、そこに流れている新たな可能性(とくに身体性認知科学に連なる)を拓こうとしています。ぜひ上記サイトにお立ち寄りください。
 

 

2018年7月25日水曜日

現象学入門-新しい心の科学と哲学のために

今日、見本が届きました。
 
ステファン・コイファー&アントニー・チェメロ著
『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』
田中彰吾・宮原克典訳,勁草書房,2018年7月,定価3300円+税
 

黄色の装丁に緑色の帯で、私が想像していたよりもきれいな仕上がりでした。現物をスキャンしてみた写真が↑です。カバーを外すと黄緑色の装丁になっていて、これもなかなか美しいです(こちらはスキャンしたら色味が残念な感じに変わってしまったので書店で手にとってみてください)。
 
帯に入っている一文「フッサールから現代の身体性認知科学へ」は、本書の特徴をひとことで端的に表現してくれています。現象学を専門にするコイファーと、生態心理学から出発して身体性認知に取り組むチェメロの共著でなければ、こういう本は書けなかっただろうと思います。
 
帯の裏面は訳者解説から文章を拾っていただいたのですが、こちらは先の一文をもう少し丁寧に伝えるものになっているので、ここに掲載しておきます。
 
「本書には大きな特徴が二点ある。一点目は、独特の専門用語や論述の難解さで知られる現象学を、英語圏の哲学に特徴的な明晰な論述スタイルで解説していることである。二点目は、フッサール以来の現象学の中心的なテーマは「身体性認知科学」にこそ最も鮮明に受け継がれている、という著者たちの独自の観点を貫いていることである。それゆえ本書では、現象学という思想的潮流の歴史が、19世紀末の科学的心理学(第1章)、ゲシュタルト心理学(第4章)、ギブソンの生態心理学(第7章)、ドレイファスによる認知主義批判(第8章)、身体性認知科学(第9章)など、通常の現象学入門書ではあまりとりあげられることのないトピックの丁寧な解説とともに描き出されている。」
 
これから現象学を学びたい人、身体性や技能の観点から過去の現象学を振り返ってみたい人、心理学や認知科学の歴史と哲学的基盤に関心がある人、現象学が拓く将来の科学と哲学を考えてみたい人…、とにかく皆さま、手にとってみてください。
 



2018年7月15日日曜日

近況報告

ごぶさたしています。
 
前回の投稿が6/10ですから、1ヶ月以上このブログを更新できない時期が続いていました。理由はいたって単純です。4月から所属先の部署で主任をまかされているのですが、その事務仕事で忙殺されていてここで何かを書く時間がないのです。主任をやっているおかげで大学の中枢で何が起こっているかがわかる場面も増えましたが、それがわかってもポジティヴな気分になることはまずないです(いまどきの大学が置かれている苦境ばかり知ることになります)。知れば知るほど大学をやめるほうがいいんじゃないかと考えることもあります。まあ、研究にも教育にも専念できないポジションというのはとかく精神的に良くないです。
 
以下、とりあえずこの間の活動記録です。

1) 訳書:コイファー&チェメロ『現象学入門-新しい心の科学と哲学のために』(勁草書房近刊)→校正作業が終わりました。アマゾンのページもできています。黄色でいい感じに目立つ装丁なので仕上がりが楽しみです。

2) ブックプロポーザル:3月に開催したBS-BIのシンポジウム、書籍化に向けて、アタリア、ギャラガーの両氏と動いています。プロポーザルがほぼできました。いい出版社から出せるといいのですが。

3) ちなみに、このシンポジウムは自他表象研究会のメンバーもみんな発表してくれたので、その内容を全員で論文化する作業を進めています。夏休みが終わる頃には投稿できるかなぁ。

4) IHSRC:6月下旬に米国サウスカロライナで開かれたInternational Human Science Research Conferenceに参加して発表してきました。現象学の境界領域で、看護、心理、教育、福祉、哲学、倫理などの関係者が集まっていました。ビジネスミーティングで2021年東京開催を打診し、流れを作ってきました。

6) Human Arenasに投稿する特集論文、レビューが「Minor Revision」で掲載可の結果で戻ってきたのでとりあえず修正して再投稿。去年のISTP東京大会のシンポジウムで話した内容を論文化しました。

6) Routledgeから9月に出る予定の「The Challenges of Cultural Psychology」の自分のパートの最終ゲラが届いたのでさっそくチェックして送り返しました。

7) 去る7月7日に、心の科学の基礎論研究会で、東大精神科の榊原さんが拙著の合評会で評者をつとめてくれました。多様なトピックを扱った本ですが、中身を丁寧に読んだうえで行き届いたコメントをくれて、著者として嬉しかったです。批判に十分に応じていない箇所も残ったかもしれませんが、それは今後の宿題とします。
 
8) トーマス・フックスの『脳のエコロジー』、読書会メンバーとともに読み進めています。ただいま2章に入っています。
 
9) 昨年12月に認知科学会・冬のシンポジウムで話したプロジェクション科学の特集論文をただいま執筆しています。
 
…こうやって記録すると、時間がないながらに活発に活動はしています。といいますか、主任で時間を取られて研究できなくなるのはとにかく悔しいので、睡眠時間を削ってやっているというのが本当のところです。
 
では、また。


 

2018年6月10日日曜日

離人症論文(Tanaka 2018)とブックガイド

以前ここでもお伝えしましたが、2016〜17年にかけて科研費の助成を受けてハイデルベルク滞在中に主に取り組んでいた離人症についての研究が、ようやく論文になって刊行されました。


「身体から切り離されているとはどういうことか?」という刺激的なタイトルをつけてありますが、離人症の主な症状のひとつである「disembodiment feeling(脱身体感)」を追求したものです。

脱身体感とは、自分が身体から離れたところにいるように感じられる、そこから自分の行為を傍観している感じがする、という症状を指します。文字通りに受け止めると体外離脱的な状態のようにも聞こえますし、心身二元論を支持する経験的事実のように解釈できるかもしれません。…ですが、本当のところはどうなんだろう、そういう理解でよいのだろうか、という疑問に取り組んでいます。

なお、実験的に引き起こされる体外離脱として知られる「フルボディ・イリュージョン」の体験内容と何がどう違うのか比較しながら、解明を試みています。詳細は本文に譲りますが、行為場面での主体感(sense of agency)に着目すると、必ずしも自己と身体が明確に切り離されている状態ではなさそうだ、というのが私の理解です。脱身体感を引き起こしている主な原因は、身体の所有感(sense of ownership)が極度に低下していることに由来していると思われます(その背景には離人症に特有の感情鈍麻があります)。こういう基礎的な理解が、将来の治療のヒントになればと願っています。
 
ところで、離人症については、知人の芹場輝さんがブックガイドを以前作成してくれたので、研究アーカイブに約1年前から掲載していました。掲載当初、洋書の案内もいずれ追加する予定になっていましたが、このたび、大幅に加筆増補したリストができました。

 *離人症・関連書籍

ご覧いただけるとわかりますが、離人症の関連資料について、日本語で書かれたもっとも網羅的なガイドになっています(英語でもこれほど充実したものは見たことがないです)。今回は洋書だけでなく全編が改訂されて、「入門・概説・ルポ編」7冊、「記録編」15冊、「研究書・専門書編」19冊、「治療編」4冊、「文学編」9冊、「映画編」2件、全体で21ページという充実ぶりです(「研究書・専門書編」には恥ずかしながら拙著も含まれています)。これを読むだけでも、離人症がどのような症状をともなう病理であるかを理解できると同時に、その臨床像が決して一様ではないということも把握できる内容になっていると思います。

では、また。


 

2018年6月7日木曜日

7/7に拙著の合評会があります

早いもので、北大路書房から『生きられた〈私〉をもとめて-身体・意識・他者』を出版して1年がたちました。この間、複数の大学院の授業で教科書として使って授業を実施しましたが、わりと好意的なフィードバックを学生からはもらっています(自分で言うのもアレですが)。
 
ひとつの理由はこういうことのようです。心の科学的研究に関連するトピックを取り上げながら、それを哲学的な論点と結びつけて考察を深めていく本って、ありそうでいて実際にはそう多くないのです。科学者が書くものは事実の記述に寄り過ぎているものが多いですし、哲学者の書くものは哲学上の論点が先行して研究上の知見にあまり寄り添っていないものが多いので(私は哲学側から書いていますが、できるだけ科学的研究が解明しようとしている当の主観的経験に沿って考察を進めることを心がけました)。
 
また、心の哲学を背景にするものなら類書はあったかもしれませんが、現象学を背景にするものは少なかったように思います。ギャラガー&ザハヴィの『現象学的な心』はありますが、内容は素晴らしいものの入門書と呼べるほど読みやすいものでもないですし。ちなみに、同じ勁草書房からもうすぐコイファー&チェメロ『現象学入門:新しい心の科学と哲学のために』が拙訳で出ますので、楽しみにしていてください。
 
…というわけで、この1年、拙著は地味ながら堅調に一定の読者に受容されている感じかも、というのが著者自身の見立てです。
 
ところで、そろそろ正式なお知らせが以下の研究会のウェブサイトに出ると思いますが、7/7に「心の科学の基礎論研究会」でこの本の合評会を開催してくださることになりました。評者は、東大精神科の榊原英輔さんです。どんな議論になるのか、楽しみにしています。
 

 

2018年5月20日日曜日

9月発売です-文化心理学関連

すっかり忘れていましたが、2017年1月にこんな記事を書いていました。
うれしい来客

その後複雑な経緯があって(…とジョヴァノビッチさんから裏話を聞いてます)編集が滞っていたらしいのですが、以下のタイトルでRoutledgeからようやく出版されるらしいです。

Gordana Jovanović, Lars Allolio-Naecke, Carl Ratner (eds.) 
The Challenges of Cultural Psychology: Historical Legacies and Future Responsibilities.
London, UK: Routledge.

文化心理学も近年わりと盛んではあるので、いろいろな研究がなされていますが、基本的にはいまだに比較文化的なアプローチが多いように思います。要は、文化を一種の独立変数として事象を説明するようなアプローチですね。

今回出る本は、いわゆる比較文化的なアプローチとは明確に違います。理論的背景を重視しながら「そもそも文化とは」という次元に哲学的あるいは歴史的な観点から切り込んだチャプターがたくさん配置されています。上のリンクから目次を見てもらえばわかると思いますが、第2部ではヴィーコ、ディルタイ、カッシーラーといった哲学者の仕事が取り上げられ、第4部ではロム・ハレやケネス・ガーゲンのような哲学的心理学に近いスタンスの人たちが寄稿しています。

私も「日本的自己」について初めてまとまった文章を書きました(17章に「The Self in Japanese Culture from an Embodied Perspective」のタイトルで入っています)。以前から「西洋的vs東洋的」という二分法に陥らないやり方で、身体性に基礎を置いて自己と文化の問題を考えてみたかったので、ちょうどいい考察の機会を与えていただきました(もう少し詳しいことは上記の「うれしい来客」で読めます)。
 
そういえば、論文ではなく書籍に英文で寄稿するのはけっこう久しぶりです。しかも今回はRoutledgeのようなメジャーな出版社なので、出版された本を手にするのを楽しみにしています。
 

 

レジュメ追加(フックス『脳のエコロジー』)

しばらくぶりに研究アーカイブのページを更新しました。

今回は、ただいま読書会が進行中の Thomas Fuchs "Ecology of the Brain" の序文 (introduction)を追加しました。
https://drive.google.com/file/d/1v4gGBht7zfOp6tEG7nOpSoa7QYb8wa-M/view

論旨は明確なので、ここであれこれ解説を加える必要はないでしょう。リンクをたどって内容をご覧ください。

本書はやはり、神経科学の哲学における新たな動向として、注目すべき内容を多く含んでいるように思います。脳を環境との関係で考える、というエコロジカルな発想は以前からあったように思いますが、それをソーシャル・ブレインおよび間主観性との関連でも論じている点は、私の知る限り例がほとんどないように思います。