2020年8月20日木曜日

プロジェクション・サイエンス

アマゾンに発売の案内が出たそうです。


新しい認知科学の可能性に関心がある方にとっては、面白い内容を多々含むものになっていると思います。サブタイトル「心と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学」がそれを物語っていると思います。

ちなみにアマゾンの表示で編者の鈴木宏昭先生の名前が「宏招」と間違って表示されていますが、なぜなんでしょうか。

田中も分担して1章寄稿しました。
田中彰吾「ポスト身体性認知としてのプロジェクション概念」(2章)

他の章の多くは学会誌『認知科学』でプロジェクション・サイエンスの特集が組まれたときの原稿を増補したものですが、田中は書き下ろしで新たな原稿を寄稿しました。「プロジェクション」という概念に託して、身体性認知科学の未来について考えています。あえて「ポスト身体性認知科学」という言葉を使ってみました。

短期間で一気に書いたものなので雑な箇所も残っているかもしれませんが、従来の身体性認知科学が陥っている現状を超える手がかりについて、ストレートに考察する論考になっています。この原稿を出発点にして、今後もっと「ポスト身体性認知」に連なる研究を進められればと思います。

身体性の問題だけでなく、「プロジェクション・サイエンス」は意味や価値という従来の認知科学がうまく扱ってくることができなかった重要な問題を多々扱っています。今後の展開に期待が持てる分野になりそうですよ。
 


2020年8月1日土曜日

書評を寄稿しました

今週の図書新聞に書評を寄稿しています。

図書新聞
第3459号(2020年8月8日)

聞くところによると、前号に掲載されたとある社会学系の書籍の書評がSNSで炎上しているんだそうで(相当に酷評されていることに著者が反撃しているらしい)、それについての編集部の見解が新たにこの号に掲載されています。

そういう話題性に富む(?)書評に比べれば私のものはマイルドで普通の書評です。以下の書を取り上げました。

佐藤義之著『「心の哲学」批判序説』講談社(選書メチエ、2020年4月刊)
書評:「物質から意識を見るか、生命から意識を見るか--進化論を取り入れることで、物理主義に依拠する従来の心の哲学に対して根源的な批判を試みる」

有料ものなのでコンテンツはここで公開できないですが、ご関心のあるかたは上のリンクから読んでみてください。

同書は、心の哲学で主流になっている、いわゆる物理主義から意識を理解する立場(物理世界が因果的に閉じているという見方に立って、神経過程に還元して意識を理解する立場)に対する根源的な批判を試みています。きちんと読めば、物理主義の立場で意識を理解しようとするのがそもそも無謀な試みであることに納得がいくぐらい、よく整理された批判を重ねています。第二部では現象学的な意識の理解が試みられていますが、それよりも第一部の「心の哲学」批判の部分が良いですね。

個人的には、大学院生の頃に意識科学の議論に関心を持って調べ始めた頃から「ハードプロブレム」は疑似問題だよなぁ、という感じを持ち続けて今に至ります。なので心の哲学のように物理主義から意識を理解する試みそのものに乗れず、現象学から身体の問題を考えてきました。ポイントは、ハードプロブレムはやはり心身問題の焼き直しなので設定そのものを退ける必要があって、心身問題を「身身問題(body-body problem)」として再整理するところに現象学の役割がある、ということです。

このあたりの事情は、これも講談社選書メチエからいずれ出版される共著『心の哲学史(仮題)』の担当章に整理して書いておきました。共著といっても各章6〜7万字詰め込まれてますから、私の章も薄い書籍分ぐらいの分量はあります。お楽しみに。


 


2020年7月31日金曜日

後味の悪い話

後味の悪い話を耳にした。どこかで表出しないとこの後味の悪さを消化できそうにないので書いておく。

昨年末、同じセンターに所属する同僚が海外で立派な賞を受けたのだが、その報を聞いた学内のとある人物が「へぇ、○○センターの先生って暇なんだね〜」との感想を漏らしたのだとか。この人物、学内では誰もが知る大物である。そういう人物が「受賞するほど研究できるのは暇だから」という風にしか見ていないらしい。

別に噂話をあげつらって悪口を書きたいわけではない。ではなくて、大学の中枢で実務を担う中核的な人物が学術研究を「暇つぶし」程度にしか見ていない、という今の日本の大学に広がりつつある現実をここに記しておきたかったのである。

私の所属先だけではなく、今どきの大学にはこういう雰囲気は深く浸透しつつある。大学を「改革」する実務的な仕事をこなす「会社人」的な能力が強く求められる。大学教員は「教員」なのであとは教育だけをちゃんとやってくれればいい、研究は工学系のように産業に直結して「金になる」ものが中心、産業化や技術革新につながらない「虚学」はいらない。そういう雰囲気。

まぁ、こういう雰囲気が強くなると大学に限らず組織は必ずダメになる。「役に立つ」ということだけが優先されているからだ。就職の役に立つ教育、産業の役に立つ研究、社会の役に立つ大学、改革の役に立つ教員。あらゆる面で「目的」は先に決められていて、それを実現する手段に成り下がっている。そして、そもそもの「目的」を生み出すことは誰も考えない。

研究は、何をすべきか定まらないところから始まる。何のために行動するのか、という価値を創造するところに学術研究の根幹があるのであって、その行動を取り巻く環境や社会や歴史的文脈を読み解こうとするときに学術的な知性が必要になるのである。こう書くと「虚学」を擁護しすぎのように見えるかもしれないが、どんな分野の研究でもそれが研究として始まる場面では必ず虚学の要素を含み、そこに知的創造の最初の場面がある。

こういう活動が「暇」の産物に見えるのは、どっちに向かって走るべきかという「解」が決まっていると思い込めるだけの単純な知性しか持ち合わせていないからに違いない。
 
 

2020年7月18日土曜日

心理学ワールドに寄稿しました

表題のまんまです。先日発行された日本心理学会の機関誌「心理学ワールド」に拙論を掲載していただきました。

田中彰吾「自己と他者を区別する」
心理学ワールド,90号,pp. 13-16

ちなみに、特集「人を区別する」の一部です。もうすぐ(といってもコロナのせいでいつになるか不明です)『自己と他者』という単著が出るのですが、その原稿を書き終えて間もない頃に心理学ワールドから寄稿のお声がけをいただいたので、なんともタイムリーなお仕事でした。そのわりに単著で書いたこととほとんど重複していないのですが… 

ミラーニューロンの話から入って、させられ体験、Who-system、エージェンシーといった話題を扱っています。自己と他者は脳内では共通のしかたで表象されているかもしれないのに、自他を混同する経験が現実にはほとんど起こらないのはなぜでしょうね、という問いをめぐる論考です。

ちなみに、特集は他にも平井真洋先生や山口真美先生が寄稿されていてかなり面白いです。是非ご一読のほどを。以下のリンクからたどれます。

心理学ワールド 第90号
 

 

2020年7月8日水曜日

青くさい話

各国の情勢が激しく動いていますね。米国ではBLMとANTIFAが結びついてほとんど文化大革命のような様相を一部で呈していますし、香港では民主主義が死を迎えつつあるように見えますし、中国とインドの国境では紛争が起きていますし、尖閣や台湾周辺も緊迫しているようです。コロナ後の世界はほとんど一触即発のような綱渡り状態ですね。

こういう情勢なので政治と学問の関係をときどき考えるのですが、学術研究は政治的な自由がなければそもそも可能にならない部分が大きい一方で、逆に学術研究の成果が人々の自由に資するものでなければならないと強く思います。学術には知を生み出す役割があるわけですが、たんに政策的な目的にかなうだけの知は道具としての知であって、生きることそれ自体に役立つ価値創造的なものにはなりません。

デカルトは三十年戦争にみずから赴いてその中で考え抜いていますね。私はデカルト主義者ではありませんが、激変する政治情勢のなかに自分の身を置き、かつ自分だけに忠実に、自由にものを考え抜こうとした姿勢は立派です。デカルトが発見したコギトという自己は、近代社会が後に基盤に据えることになる自由な個人のプロトタイプだったのだと思います。現代ではむしろ、ポスト・デカルト的な「身体化された自己」を今後の社会を支える主体として政治的に位置付ける作業が必要なのだと思いますが。

大学という制度の中に巻き込まれて研究活動をしているので、私の考えることも自分の置かれた状況からそう自由なものになれないことは百も承知です。…が、歴史の変わり目に立ち会っているという感触が深くあるからこそ、ひとが生きることそれ自体に資するような研究をしたいと強く思います。

青くさい話に聞こえるかもしれません。でも、以前単著を出したときに書いた通り、自分の書くものに関してはいつまでも青くさくありたいと思っています。読後感として青草のにおいが読者の体に残るような著作を書きたいものです。
 


2020年6月21日日曜日

ひたすら書き続ける

もうすぐ6月も終わり。今年も半分が過ぎようとしています。結局、コロナ禍で2月末ごろから学会や研究会など人前で話す仕事がすべてキャンセルされたせいで、大学の仕事以外は書くことにひたすら専念した半年間でした。備忘録を兼ねて記録しておきます。

1月
・東大出版会「知の生態学」シリーズの1冊として予定されている単著の最終章を書く(約18000字)
・近代科学社「プロジェクション・サイエンス」の共著に寄稿する担当章を書く(約17000字)

2月
・協同医書出版「臨床の中の物語る力」(共著)に寄稿する担当章の残り2/3を書く(約27000字)
・講談社「心の哲学史」(共著)の担当章の冒頭1/5を書く(約13000字)

3月
・引き続き、「心の哲学史」担当章の続き1/5を書く(約13000字)
・共編著「Body Schema and Body Image」(Oxford U. P.)のイントロダクションをYochai Ataria、Shaun Gallagherの両氏と共同で書く(約4000ワード)
・立正大学紀要に収録される武内大氏の論文へのコメント論文を書く(約9000字)

4月
・日本心理学会「心理学ワールド」から依頼された特集原稿を書く(約5000字)
・引き続き、「Body Schema and Body Image」のイントロを共同で執筆する(約5000ワード)
・引き続き、「心の哲学史」担当章の続き2/5を書く(約26000字)

5月
・図書新聞から依頼された書評を書く(約2000字)
・昨年度で終了した科研費の最終報告書を書く(約9000字)
・米国の某大学院で引き受けている博士論文審査のレビューを書く(約1000ワード)

6月
・引き続き、「心の哲学史」担当章の最後1/5を書く(約13000字)

ざっとこんな感じです。4月は文字通りコロナ禍の対応で大学の業務がすごい量になっていましたから、われながらよく書いたと思います。どうも、大学の事務仕事がストレスになるときほど、その反動で意地になって何かしら書く傾向があるみたいです。逆に授業期間は教育現場にいるのが楽しいので執筆がおろそかになりがちです。遠隔授業でも学生と向き合ってはいますからね。
 
ところで、さすがにこれだけ書くと、以前とは心境が変わってくるようになりました。もともと一介の研究者として執筆してきたので、学術的な水準の高さや正確さにこだわってやってきました。ただ、この上半期のようにあれやこれやたくさん書くようになると、本当に自分の言葉が読者に届くのかどうか気になるといいますか、書いたものにどの程度のインパクトがあるのかすごく気になります。売れ行きだけで単純には測れないとしても、やっぱり一定数は商品としてきちんと売れるようにならないと、執筆活動も続かないだろうなと思います。

というわけで、出版されたらみなさんぜひ買ってください(笑

…なんておちゃらけている一方で、これだけ書いても、なにかを本当に書いた気になれない自分もいます。


 

2020年5月29日金曜日

F・ファノンについて (Ataria & Tanaka, 2020)

初めて、人種差別の問題に言及する論文を書きました。社会問題としての差別について言及しているというよりは、身体的経験として人種差別がどのように生きられているのか、ということを論じたものです。

フランツ・ファノンという黒人の精神科医の経験を主なテクストにして考えています。ファノンは現在はあまり読まれることのない思想家だと思いますが、フランス領マルチニーク出身の黒人としてフランスで教育を受けた人物で、自身の被差別の経験を生々しい文章で1950年代に残しています。

Ataria, Y., & Tanaka, S. (2020). When body image takes over the body schema: The case of Franz Fanon. Human Studies. (online first)

彼が生きた1950年代当時に比べれば、いまの世界にはこれほど激しい人種差別は見られなくなっていると思います。が、目立つものではない分、よりささやかな非言語的経験としてエスニシティにまつわる差別を経験することも現在では増えているようにも思います。視線や接触や言葉づかいのように。身体図式のレベルでの人種差別、とでも言えばいいでしょうか。

この論文、身体図式や身体イメージの観点からエスニシティを考えたい方にご覧いただけると幸いです。
 

 


2020年5月10日日曜日

『現象学入門』の書評が出ました

コイファーとチェメロによる『現象学入門』の翻訳は刊行からもうすぐ2年になります。現象学の入門書にもさまざまなものがありますが、本書は身体性認知科学とのつながりから現象学を歴史的に展望したものになっている点でとてもユニークで、わりと好評を得ております。

このたび、知人の芹場輝さんが『こころの科学とエピステモロジー』誌に本訳書の書評を寄せてくれました。


力作の書評です(力が入り過ぎててところどころ熟語や漢字の選択が硬くで読みづらいですが…)。とくに、「3.本書の内容紹介」は1ページ程度できわめて正確に本書を要約しているので、ここだけ読んでも本書がどういう構成なのかがよくわかります。

なお、最後の「言語の現象学」について触れているくだりは、私自身も課題にしているところですね。身体性の問題から現象学に接近すると、スキルや「身体化された自己」など、どちらかというと環境と身体の相互作用に関心が向かいがちになります。とくに、ダイナミカルシステム理論を使って現象を記述するアプローチになると、そもそも物理的次元の記述だけが問題にされ、「心」なるものについての独立した記述は不要になりますし。

このブログでも何度か書いてきましたが、身体性・行為・知覚から論じ始めながら、言語を使うことで派生するナラティブの次元をどのように理論に取り入れていくかはとても重要です。今年から科研費で取り組み始めたプロジェクトもこの論点にかかわっています。なので、私自身の仕事は、『現象学入門』の翻訳作業が完了した地点からもう一歩前に歩き始めているという感じではあります。遅々として進まないのがもどかしいですが。

ともあれ、コイファー&チェメロ『現象学入門』のファンの皆さん、あるいは買ったけど積読になっている皆さん、途中で投げ出している皆さん。上記書評を読んでみてください。
 
 

『こころの科学とエピステモロジー』第2号

田中も編集委員のひとりを務めている電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』の第2号が刊行されました。

こころの科学とエピステモロジー
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/

上記のサイトから全記事ダウンロードできます。今号のハイライトは、有名ながら日本語で読めなかった「ゲシュタルト質について」(エーレンフェルス、1890)の本邦初訳が収録されたことでしょう。

主な内容
・エディトリアル「手作りの科学としての夢研究」(編集委員長)
・原著論文「階層的自律コミュニケーション・システム(HACS)モデルを用いた
 小説の共同性付与メカニズムに関する基礎情報学的考察」(中村肇)
・翻訳論文 エーレンフェルス著「ゲシュタルト質について」(村田憲郎/訳・解題)
・創刊号「心的現前時間」(シュテルン)へのコメント特集
・高砂美樹/村田憲郎
・創刊号へのコメント論文(伊藤直樹)
書評・ノンフィクション部門
・コイファー&チェメロ著『現象学入門』(評:芹場輝)
・西研著『哲学は対話する』(評:渡辺恒夫)
書評・フィクション部門
・桜木紫乃著『緋の河』(評:渡辺恒夫)
・映像メディア時評「『人文死生学研究会番外編涼宮ハルヒ』+京都アニメーション
 お別れの会参列報告」(土居豊・渡辺恒夫・三浦俊彦)

また、田中彰吾・宮原克典訳の『現象学入門』にもついに初の書評が出ました。知人の芹場輝さんによるものです。これは心して読まねばなりませんね。後日コメントします。
 

 

2020年5月2日土曜日

禍いの4月

今年度の大学は一斉に遠隔授業を取り入れる方向で動いています。もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて。4月は結局その対応にふり回されて終わってしまいました。

教務関係の主任を今年も引き受けている関係で、この4月は、現在の所属先に着任して以来もっとも大学の校務が多かったのではないかと思います。まさに「コロナ禍」という言葉がぴったりでした。

記録をかねて、ふり返っておきます。

3月30日:所属先の現代教養センターの科目担当教員に連絡。この時点では授業開始が4/24に後ろ倒しになっただけで、通常通り教室で開講する予定でした。いわゆる「三密」を回避する授業運営を依頼。

4月3日:授業開始がさらに後ろ倒しになり、5月11日開始が決まりました。また、遠隔授業に変更になる可能性を初めて担当教員に通知しました。ただ、この時点ではまだ正式決定ではありませんでした。

4月9日:学内で6日に春学期授業をすべて遠隔にすることが決まり、それに合わせてセンターとしての対応方法をとりまとめ、メールを配信。使用するシステムについてはこの時点では決定できず、その前に、授業回数、定期試験、大人数クラスの履修制限など、大枠の対応について連絡。

4月17日:これまで学内で利用されてきたオンライン・システムを利用して遠隔授業を実施する方針でマニュアルを作成し、配信。この頃、他大から既存システムがダウンした話が複数入ってきており、学内でも調査が始まる。

4月22日:遠隔授業が決まって初の教授会。まぁ、ご多分にもれず授業運営方法についてあれこれ質問が出ました。教授会は3時間ぐらいの長丁場でした(見方によってはそれでも短かかったのかも)。教授会ももちろん遠隔ですが、この時点ですでに数十時間は教務関係者と遠隔で会議をこなしていたので、これといって新鮮味もなく。

4月25日:既存のシステムがアクセス過剰でダウンするだろうという学内の検討結果を受けて他のシステムを利用する方法を模索。マニュアルの改訂準備に着手。

4月28日:既存のシステムは利用時間に制限が加わるとの通知が学内で配信される。学生のアクセスは学部ごとに週2回に制限されるとのこと。

5月1日:既存システムに加えてMicrosoft Teams等の代替手段を確保するよう依頼する改訂版の遠隔授業マニュアルを配信。細々とした変更が多数あって、作るのに苦労しました。

主な日付を並べましたが、各日付のあいだに複数の打ち合わせ、会議、セミナーが随時Teamsで入る過密スケジュールの4月でした。

愚痴ですが、今月の私の月給は、時給に換算すると最低賃金をかなり下回ると思います。失職するよりはマシですが、労働時間が異常に長くて「社畜」という言葉が初めてわが口を突いて出てきた4月でした。優秀で事務処理能力もきわめて高い同僚の教務関係者たちに支えられても、このありさまですからね。

遠隔授業の導入でこれだけ振り回されると、さすがに3月以前の世界がはるか遠くに感じられます。それに、大学の現場もこれだけの変化を経験すると、コロナ以前の世界に単純に戻ることはないでしょう。今後、遠隔授業を実践しながら、変化の方向を見極めたいと思っています。

ところで、こんな渦中でも4月に共著の原稿を20000字くらい書き進めました。自分を褒めてやりたいと思います。



2020年4月4日土曜日

新たな助成

これまで、当サイトおよびエンボディードアプローチ研究会は以下の公的資金の助成を受けて運営されてきました。

2015~2019年度,科研費・基盤研究(B)「Embodied Human Scienceの構想と展開」

2019年度で助成期間が終了しましたが、このたび、新たに以下の助成を受けることが内定しました。ここに記して感謝申し上げます。

・2020年度〜2023年度(予定),科研費・基盤研究(B)「身体化された自己:ミニマルからナラティヴへ」

前年度までは「Embodied Human Science(身体性人間科学)」を構想してきました。中心に据えてきたのは、いわゆるミニマル・セルフの問題です。不必要な要素をすべて取り払ってもなお残る自己とは何か。これを身体性の観点から明らかにしました。また、その延長で、身体行為にもとづいて自己と他者がどのように相互理解を発展させるのか、記述することを試みました。

今年度からは、ミニマル・セルフからナラティヴ・セルフ(物語的自己)に少しずつ研究の焦点を移していく予定です。身体行為にもとづく自己は、身体レベルで経験した出来事をどのようにものがたり、さらにその物語にもとづく自己アイデンティティを構築していくのか。こうした問題意識にもとづいて今後の研究を展開していきます。

今後も引き続き、当サイトおよびエンボディードアプローチ研究会をよろしくお願い致します。 
 

 

2020年3月27日金曜日

間身体性療法が奏功した症例?

友人から来たメールの件名が「間身体性療法が奏功した症例」となっていて、何のことだろうと思って本文を読んでみたら私のことが書いてありました。いわく、若い頃と違って私の笑顔が歪んでいないんだそうです。この写真のことです。

間身体性、ご存知の通りメルロ゠ポンティの概念です。自己の身体と他者の身体のあいだには潜在的に通じ合う関係があって、それはあくびの伝染や笑顔の連鎖のように、同調する身体表現として顕在化します。メールを送ってきた友人によると、若い頃の私は屈託のない笑顔を浮かべることがなく、いつも微妙に歪んでいたとのこと。もちろん、本人的にはそんな自覚はまったくなかったのですが。心外なこと甚だしい(笑

それはともかく、間身体性はコミュニケーション場面でもきわめて重要な要因を果たしています。新型コロナウィルスの感染拡大に応じてテレワークが盛んになりつつありますが、オフィスワークには身体性を共有できる良さと、それに由来する固有の意義があります。おそらく、テレワークが発達すればするほど、テレワークだから実現できることと、オフィスワークだから実現できること、両方の意味が別々に自覚されるようになるだろうと思います。

以下は、そんなことを考えるうえで参考にしていただけるであろうインタビュー記事です。


今回は、オフィスデザインを事業としている「フロンティアコンサルティング」社によるインタビューでした。インタビューはそれこそスカイプではなく私の研究室で同じ空間を共有しながら行ったものです。ウイルスの感染拡大が問題になる前の1月上旬に実施できたのは今思うと幸いでした。

わりと分かりやすい記事にまとめてくださっていると思います。身体性、空間デザイン、オフィス空間に関心のある方々ご覧いただければ幸いです。

 

2020年3月16日月曜日

研究会中止 (3/25 東海大学)

来週25日に予定されていたエンボディードアプローチ研究会、残念ながら中止することになりました。トム・フラインスさんがオランダから来日される予定だったのですが、先週あたりからヨーロッパでも新型コロナウイルスの影響が顕著で、大学閉鎖にともなって出張も許可されない状況になっているとのことです。

研究会を楽しみにされていた皆さまには申し訳ありません。時期を改めての開催を検討しておりますので、どうぞご容赦ください。


2020年3月14日土曜日

雑誌『体育の科学』に寄稿しました

昨年9月に久々に体育学会のシンポジウムに登壇する機会があったのですが、そのときにお話しした内容をもとに執筆した原稿が『体育の科学』に掲載されました。

体育の科学70巻3月号:特集「eスポーツを考える」(杏林書院)

特集には、当日シンポジウムでご一緒した秋吉遼子氏(東海大学)、佐藤晋太郎氏(早稲田大学)も寄稿されています。お二人ともわりと網羅的に論点をおさえているので、eスポーツに全般的に関心のある人には参考になる紙面構成になっていると思います。

私の寄稿分は以下のような構成です。

田中彰吾「身体性哲学からみたeスポーツ」
 1. eスポーツと他のスポーツとの共通点
 2. eスポーツに固有の特徴
  1) 身体図式の利用方法
  2) 仮想空間への適応
 3. スポーツの身体的経験と情報技術

もともとeスポーツの専門家ではないのでたいした内容は書けていないのですが、体育哲学的な論考としては日本では今のところあまり例がない考察になっているかと思います。

ちなみに、「eスポーツはスポーツじゃない」という主張は世間でもよく聞かれるところですが、それはeスポーツを考えるさいの問題ではありません。本当の問題は、情報技術の急速な進化とともに、ひとの身体経験そのものが劇的に変化しつつあることです。eスポーツを考えることは、情報化された未来の身体について考えることでもあります。今回の原稿では最後に少し触れただけですが、いずれこのことの意味を、VR技術やBMIなどとも合わせて、じっくり考えてみたいと思っています。
 




3.11から9年

早いもので東日本大震災から9年たちました。昨今コロナウイルスの関係で年度末・年度はじめの対応に追われているのですが、その慌ただしさが9年前と似ているせいで、改めて当時を思い出すことが多いです。

ウイルスとは直接関係ないのですが、先日震災関連で取材を1件お受けしました。かつてこんな論文を発表していたのですが、その内容について問い合わせがあったためです。

田中彰吾(2015)「復興のランドスケープ-東日本大震災後の防潮堤建設を再考する」『文明』第20号,81-90ページ

当時も今も東海大の文明研究所の所員を兼務しているのですが、当時は震災復興の研究プロジェクトに従事していて、心理学や身体論から貢献できるテーマとしてランドスケープ論を取り上げたのでした。とくに当時は巨大防潮堤建設が始まりつつあったので、主としてその問題を批判的に取り上げました。

当時気仙沼や陸前高田まで行って現地を歩いてみて感じましたが、この防潮堤建設は東北のランドスケープを一変させてしまうに違いないと予感しました。どうやら、その予感は本当になりつつあるようです。以下の記事を読んでいただけるとよくわかるかと思います。残念ながら読者限定記事なので会員でない方はアクセスできないようですが…。

読売新聞(2020年3月5日朝刊)
[震災9年]復興のゴールは<上>かさ上げ移転 薄らぐ絆
[震災9年]復興のゴールは<中>避難先に愛着 鈍る帰還
[震災9年]復興のゴールは<下>住民の輪で街づくり

田中のコメントは<上>に部分的に掲載されています。「復興後の街に共通するのは、現実感のなさだ」「人と風景がうまくつながっている感じがしない。人々のなりわいや暮らしになじむ街づくりを行う視点はあったか」というコメントを紹介していただきました。

ただ、防潮堤はじめ復興のあり方に批判的なことをいう前に、あの震災で命を落とされた方々につつしんで哀悼の意を表したく思います。私の拙い論文もその思いをもとに書いたものです。