2019年5月24日金曜日

もうすぐ発売:Thinking about Oneself

更新できないうちにまた1ヶ月たってしまいました。GWは依頼原稿と研究費の申請書を書いているうちにあっという間に過ぎてしまい、気づけば元号も変わっていました…

それで、今回の更新は新著の案内です。友人のルカ・タテオ氏編集による以下の書籍がもうすぐ発売になります。先ほどチェックしてみたら、すでに書影つきでアマゾンのページができていました。

 


タイトルから伝わる通り、リフレクション(反省)がテーマの一冊です。教育や看護のような対人支援領域ではリフレクションを実践に取り入れることが近年盛んになっているようですが、そういう動きとも一脈通じている書物です。というのも、アマゾンの内容紹介にもありますが、行為と対立する作用として反省をとらえるのではなく、具体的な行為のなかに反省を置き直し、生活世界や心的機能のなかで反省が持つ意義を多角的にとらえたものだからです。

最初に原稿を送ったのが2年ぐらい前で、査読&改訂が終わったのも1年以上前でしたから、ずいぶん時間がかかりました。こういう共著ものって、結局早く原稿を出しても他に遅れる人がいるから、たいてい当初の出版予定より後にずれ込むのですよね…。まあ、でも、ちゃんと出版されるところまで話が進んだので安堵しています。担当箇所はこんな感じです。

Shogo Tanaka 
Chapter 9: Bodily origin of self-reflection and its socially extended aspects
 9.1 Introduction
 9.2 Body-as-object for oneself
 9.3 Body-as-object for others
 9.4 Empathy as a socially extended self-reflection
 9.5 A missing part of “me”: Self-reflection and social anxiety
 9.6 The place of beginning
 9.7 Conclusion

反省は基本的には「私が私の経験を振り返る」作用ですが、自己自身を客体化する二重感覚のような身体的経験(自分の手で自分の体に触れる経験)のなかにその萌芽を含んでいます。ただ、以前著作のなかでも論じたように(『生きられた〈私〉をもとめて』第3章)、そのような経験は他者によって客体化されることで初めて動機付けられます。なので、反省するという作用は、「私が私を客体化する」以前に「他者が私を客体化する」という経験にさかのぼって基礎づける必要があります。…といったことを考えていくと、たとえば5節で論じたような社交不安のような経験とも発生的には同じ根っこを持っていることがわかります。反省、自己意識、間主観性、共感、社会不安、をすべてまとめて考察した稀有な(?)論考になっています。ご関心のある方はお問い合わせください。

 

2019年4月24日水曜日

プロジェクション科学における身体の役割 (田中 2019)

こんにちは。前回の投稿からあんまり時間が経っていないので「やったー」と早めの更新を喜んだのですがすでに2週間も過ぎていたのですね…

今回は新しい論文が出ました、という報告です。『認知科学』のVol.26, No.1がプロジェクション科学の特集を組んでいるのですが、その一部として掲載していただきました。2017年12月に認知科学会の冬のシンポジウムがあり、そのときの主題がプロジェクション科学だったのですが、そのさいに話したことを論文化したものです。

内容は、ラバーハンド錯覚の意味を考え直し、フルボディ錯覚の再解釈を試みています。フルボディ錯覚は方法が二つあって、その二つが研究者のあいだでもやや混同されて論じられることがあるのですが、その違いについても触れてあります。また、そもそもフルボディ錯覚って身体の外部に自己が「乗り移る」ような感じとは違いますよ、という点についてもちゃんと考えました。

学会のジャーナルなのでそのうちJ-STAGEでも公開されると思いますが、昨日論文のPDFファイルをいただいたので一足お先にここで公開しておきます。

田中彰吾 (2019).「プロジェクション科学における身体の役割-身体錯覚を再考する」『認知科学』26(1), 140-151.

ご笑覧くださいませ。
 


2019年4月10日水曜日

お知らせ2件

前回の投稿から再度あっという間に1月たってしまいました。
 
この間、デンマーク出張&国際シンポジウム開催、レビュー論文の修正、出版社と打合せ、インゴルドのシンポ、大学の年度末業務、英文ジャーナルの査読、フックス読書会、大学の年度始め業務、単著の執筆、英文共著論文の修正、などなどをこなしていました。こうやって忙しく立ち回っていると、年度末や年度始めであっても、どこか気持ちのけじめがつかないので困ったものです。
 
ところで、このブログ上で告知したいことが2件あります。
 
その1。昨年度の認知神経リハビリテーション学会で講演させていただいたのを機に、その方面の関係者の方々とより議論を深める機会を折に触れて持つようになりました。その延長で、来月から「身体性リハビリテーション研究会」という名称で新たな研究会を不定期に開催します。臨床現場での身体性に深入りする場面が多くなりそうなので当面クローズドな集まりになりますが、リハビリと現象学、身体論に関心のある方はお問合せください。
 
その2。これまでの執筆者と査読者としての経歴を買われて…なのかどうかわかりませんが、哲学的心理学と理論心理学の国際ジャーナル『Theory & Psychology』のEditorial Boardとして加わることになりました。心の哲学や心理学の基礎論に関心のある方は、ぜひご寄稿ください。小さいですがインパクトファクターもちゃんとあります。日本ではこの分野の市場がいまだに小さいのですが、国際的にはそこそこの規模はあります。International Society for Theoretical Psychologyに参加されるとよくわかりますよ。
 
では、また。
  

 

2019年3月10日日曜日

『味わいの現象学』

面白そうな本が出ましたね。

村田純一『味わいの現象学-知覚経験のマルチモダリティ』(ぷねうま舎)2019年

いちばん面白そうでかつ全体にとっても勘所になっていそうな箇所(6章1節「触覚と身体」)はノートを取りながら読んだので要約をアップしておきました。研究アーカイブのページからどうぞ。

触覚を近感覚に分類し、視覚や聴覚から区別するというのが心理学での常識的な見方です。が、あらゆる感覚にはそれを伝える媒質が必要だとするアリストテレスの考え方からすると、皮膚が接触して触覚が生じるという見方は成り立たない、触覚を伝える媒質は身体(肉)である。6章はこんな議論から始まります。

詳しくは本文に譲りますが、6章のこの個所は、ギブソン、フッサール、メルロ=ポンティの知覚論と身体論を結ぶ要の議論が展開されていてとても面白いです。一方で、触覚にも視覚や聴覚と同じような「射映」の構造があるとしながら、他方で、触覚は自己との結びつきや世界内存在を支える仕掛けになっているという本書の主張には、見るべきものが大いにあると思います。

個人的には身体図式が知覚において果たしている役割について、納得するところが多々ありました。ご恵贈いただいた村田純一先生にこの場を借りて感謝いたします。


 

2019年3月9日土曜日

インゴルドと「あいだ」のシンポジウム(3/24 立教池袋)

こんにちは。
約2週間後ですが、インゴルドと「あいだ」のシンポジウムが立教大学で予定されています。

3/24 14:00〜17:00
インゴルドと「あいだ」のシンポジウム
http://kao-shintai.jp/news/files/20190324_Sympo.pdf
立教大学池袋キャンパス1号館1104教室

人類学者ティム・インゴルドさんの翻訳プロジェクトが現在進行中で、今回はそれに関係するシンポジウムです。固定された分野を軽やかに飛び越えるインゴルドさんの仕事にちなんで、人類学、哲学、心理学、教育学の分野からパネリストがそろう貴重な議論の機会になります。

田中は14:50〜15:30のセッションで指定討論のような形での参加になると思います。何を話すかまだ何も考えていないのですが、「あいだ」については言いたいことはいろいろあるので、準備はそんなに困らないかも、と思っています。

年度末の慌ただしいタイミングですが、関心のある方はぜひお越しください。
 


2019年3月8日金曜日

単著の進捗

お久しぶりです。前回の投稿から早くも1ヶ月が過ぎてしまいました。

この間何をしていたかというと、いろいろと迫ってくる大学の事務仕事の合間をぬって単著の執筆にもっぱら取り組んでいました。現在、2020年の4月刊行を目指して動いている企画があるのですが、その1章と2章、60ページ分くらいの執筆が終わったところです。さらにその合間に短い原稿をいくつか書いたりシンポジウムでの講演をこなしたりしていたので、まあ私にしては順調に進んでいるほうです。

内容とは関係ないですが、この間に身についたスキルがあります。私はもともと研究室で事務仕事をこなしながら原稿を書くということがまったくできない人間でしたが(自宅の書斎でしか執筆できませんでした)、できるようになったのです。

ひとつ単純なコツがあることに気づきました。研究室にいるさいに電話がかかってきたり人が訪ねてきたりすると、そこで自分の思考がいちど途切れるので、結果的に原稿が進まなくなります。自宅にいても電話はかかってきますが、書斎では自分の身体がすぐに執筆モードに戻れるので原稿が書けていたのです。研究室は電話に加えて人が来るので、自分の注意がどうしても対人関係に大きく割かれてしまって、執筆モードに戻るのに時間がかかります。しかも、身体がもともと「人の持ってくる案件に対応すること」に向かって潜在的に構えているので、そもそも執筆モードに入りづらい。
 
それで、授業期間が終わったのを境にそういう構えそのものを意識的にやめてみることにしました。人が来ようが、電話がかかってこようが、デフォルトの身体モードは執筆する状態に保っておく。自宅の書斎にいるときと同じモードで身体を使うのです(脳のモードと違って身体のモードは意識的なコントロールがききやすいようです)。大学の事務仕事を「研究と執筆の合間に対応すべきこと」としてモードを切り分けてしまえばよいのでした。図々しくなるってこういうことなんだなぁ、とも思いましたが…

というわけで、この1ヶ月ぐらい大学にいるときの身体のモードを切り替える訓練をしながら、研究室でしつこく執筆していました。昨年の4月に管理職になった頃は、大学にいる時間が長くなって研究はできなくなるなぁ、とよく思ったのですが、それから1年近く自分なりに工夫を重ねてなんとか両立する様なスキルを身につけ始めました。よかったよかった(といってもワークライフ・バランスが崩れて家族に迷惑をかけているのですが…)。
 
というわけで、来年の今頃には刊行直前でゲラの校正が終わるところまで仕上げていたいなぁと思っています。乞うご期待。
 
 

2019年2月7日木曜日

自己をめぐる冒険 (2/20-21 東大本郷)

例によってイベント告知で恐縮ですが、2/20-21に下記シンポジウムがあります。

2019年2月20日(水) 12:30〜17:00
2019年2月21日(木) 9:00〜17:00
東京大学本郷キャンパス,武田先端知ビル・武田ホール

主催は、北海道大学で採択されているJSPSのプログラム(先導的人文学・社会科学研究推進事業)「アイデンティティの内的多元性:哲学と経験科学の協同による実証研究の展開」です。

上記リンクをたどってみてください。哲学×科学というプログラムの趣旨がよく伝わってくるシンポジウムで、話がかみ合えば相当面白いイベントになる気がします。上記ホームページのプロジェクト概要には「複数の実証研究の展開を通して、哲学と科学が真の意味で融合した、新たな研究のロールモデルを提供することを目指す」とあるのですが、本当にここまで展開できるとすごいことになりそうですよね。

先日、岡崎で開かれたCoRN 2019では、「意識」をめぐって同様に「哲学×科学」な議論が展開されていました。そちらもかなり面白かったのではありますが、意識という概念のとらえどころのなさ、概念化の幅の広さに、具体的な成果を出すさいに用いるべき方法の難しさを感じました。

次回は「自己」なので、身体性のように目に見える次元で各種の実験に落とし込む研究がいろいろと可能なはずです。そういう意味で未来の研究が垣間見える面白いイベントになるかも、と期待しています。田中は「自己はどこまで脱身体化できるか?」というやや挑戦的なタイトルで21日朝にお話します。ぜひ会場に足をお運びくださいませ。
 
 

2019年1月17日木曜日

松前重義学術賞をいただきました

2018年度の松前重義学術賞をいただきました。松前重義賞は、東海大学の創立者松前重義氏を記念した賞で、「学術、文化、スポーツの各部門で、建学の精神に基づく顕著な成績を収めた学園の学生、生徒、児童、園児、教職員および卒業生を顕彰するもの」(大学HPより)だそうです。なかでも学術賞はもっとも権威ある賞とのことで、ありがたく思うと同時に身の引き締まる思いです。

今回は所属先の所長である成川忠之先生からご推薦をいただいたのですが、その時点では受賞はないだろうと思っていました。というのも、歴代受賞者のリストは大半が医学系や理工系のハイ・インパクトな研究をしている先生方で占められていて、人文社会系はほとんど見当たらないからです(歴史学の三佐川亮宏先生の名前は見つけられますが、ドイツ史研究で日本学士院賞を受賞された雲上人ですからね…)。
 
私も東海大学に着任してすでに10年以上で、振り返るといろいろな仕事をしてきましたが、研究は自分がいちばん熱心に取り組んできた活動なので、それがこのような形で表彰されたことは素直に嬉しいです。この場を借りて、大学の関係者や、学内外のさまざまな場面で研究を支援していただいている皆さまに深くお礼申し上げます。つねづね、研究は一人でするものではなくていろいろな方々とのコラボレーションを通じて初めて形になるものだと思っていますので、ここでのお礼はたんに形式的なもの以上の強い意味を込めています。
 
学術賞の対象となった研究課題は、「身体性人間科学の構想と展開」です。これは、進行中の科研費のプロジェクト「Embodied Human Scienceの構想と展開」をそのまま日本語にしたものですが、簡単にいうと従来の「身体性認知科学」の立場を人間科学にまで拡大するところに主眼があります。

身体性認知(embodied cognition)は1990年代に確立された心の見方で、心を、環境から切り離された「内界」、身体の奥に隠れた「内面」として見るのではなく、身体性・行為・スキルに立脚してとらえ直そうとする立場です。

この立場を推し進めていくと、そもそも心と身体を分離するのではなく、心・身体・環境を連続的にとらえる、より統合的な人間観が必要になります。なので「心理学」「認知科学」という名称ではなく、「身体性人間科学」というコンセプトで進めているのが近年の私の研究です。この観点から見えてくる「自己(self)」については、昨年『生きられた〈私〉をもとめて』(北大路書房)にまとめました。また、他者理解については「Theory & Psychology」誌に論文を複数発表しています("Intercorporeality as a theory of social cognition" "Intercorporeality and aida"など)。今回の受章はこれら一連の業績に対するものです。

いずれにしても、私の研究は心の見方を変えること、そこから始まる新しい人間観を立ち上げることにかかわります。東海大学は近年、人々のQOL(quolity of life)の向上に資する大学づくりを目標に掲げています。今後の私の研究もそれに多少とも貢献できるものになればと思います。

ところで、授賞式(昨日ありました)がすごくフォーマルなものだったので驚きました。場所は霞ヶ関ビルの最上階のフロアにある大学の校友会館で、学長や副学長はじめ、学校法人の理事のようなお偉方がお揃いでした。松前重義賞は、学術研究だけでなく、芸術、スポーツ、教育など学園のすべての活動を対象にしたものということで、それぞれの方面で優れた仕事をされている方々が一堂に会していました。もちろん先の箱根駅伝でチームを優勝に導いた両角速監督も。そういう方々が集まる場所だけあって、授賞式後の懇親会も華やいだ雰囲気と重厚感がともに感じられる味わい深いものでした。
 
懇親会には大学行政の重鎮がたくさんおられたので、「人間科学の研究所を作らせてください」と各方面にお願いしてきました。さて、実現する日は来るのでしょうか…
 


2019年1月7日月曜日

CoRN 2019 (1/23-25 岡崎)

今月の下旬に、愛知県の岡崎市で意識研究の国際会議があります。

2019年1月23〜25日,岡崎コンファレンスセンター
CoRN 2019
Consciousness Research Network

意識研究の分野ではASSC (Association for the Scientific Study of Consciousness) が国際会議としてはよく知られているのですが、CoRNはそのアジア版ということらしいです。ASSCは現象学系の研究者が少ないので今まで一度も参加したことがなかったのですが、今回は、生理学研究所の吉田正俊氏のお声がけで田中もひとまずCoRNに参加することになりました。北澤茂先生の基調講演はじめ、いろいろ興味深い話が聞けそうなので楽しみにしています。

…ではあるのですが、お題がなかなか大変そうで、どうしたものやら。二日目に設定されている「Debate session #1」に登壇して話題提供と討論をするよう依頼されています。テーマが「How to collaborate philosophy and science for consciousness research?」(意識研究のための哲学と科学の協力のしかた)なので、なにか全般的に無難な話はできるのだろうと思いますが、それでは「ディベート」と呼べるようなものにはならないんでしょうし。

あと、依頼にはもうひとつ条件があって、Debate session #1は、その前の時間帯にあるTutorial session #1でのレクチャー内容を踏まえたものにしてくださいとのこと。事前にチュートリアルで参加者で議論の前提を共有して、それを踏まえて議論しましょうという趣旨だそうです。そちらのタイトルは「Introduction to philosophy of mind and the hard problem of consciousness」(心の哲学と意識のハードプロブレムについてのイントロダクション)です。

哲学と科学が協力して意識研究を目指す、という設定には共感するところ大なのですが、そもそもハードプロブレムの問題設定に乗れないところのある私としては、何に焦点を当てて議論すると参加者にとって得るもののある場になるのか、ちょっと考えあぐねています。まぁ、当日までにいいアイデアが浮かんでくるよう、ポジティブな構えで待つほうがよさそうですね…
 

 

2019年1月2日水曜日

質的心理学辞典

昨年紹介を怠っていた仕事がありました。これです。
 
 
『質的心理学辞典』
能智 正博(編集代表)
香川秀太・川島大輔・サトウタツヤ・柴山真琴・鈴木聡志・藤江康彦(編)
新曜社,2018年11月30日発売
 
私も以下の8項目を執筆しました。
・解釈学
・解釈学的循環
・現象学
・実在論
・実存
・心身二元論
・身体化
・超越論的現象学

解釈学や解釈学的循環の項目は私よりもふさわしい執筆者がいるのではないかとも想像しましたが、考えてみると新曜社から刊行させていただいた翻訳書ラングドリッジ『現象学的心理学への招待』はリクールの解釈学に大きく影響を受けて展開している新たな現象学的心理学の方法を紹介しているものだったので、いちおう担当範囲内だったのかもしれません。

この辞典は、現象学や解釈学だけでなく、心理学の哲学・原理・歴史・方法といったところにきちんと目配りが効いているので、心理学の「そもそも論」に関心のある人は手元に置いておくと便利です。哲学・人類学・社会学・精神医学・障害学・看護学などの関連領域の項目も多々あって参考になります。
 
ところでこの辞典、全1098項目が収録されています。辞典としては決して規模の大きなものではないのですが、出版までのスピードの速さに驚きました。執筆依頼をいただいたのが2017年7月で、最初の原稿締め切りが10月、そして2018年11月末の質的心理学会の大会では製本された初版がブースに並んでいる、という流れでした。辞典ものは執筆者の数が多くなるので、締め切りを守れない執筆者が自然と増え、刊行が当初予定よりずれ込むことが多いのですが、刊行までほぼ当初予定通りでした。すごいですね。私も別件である書籍の編集にたずさわっているので、見習いたいものです。
 


2周年

新年おめでとうございます。

このブログも開設して2年が過ぎました。昨年はもっぱら自分が関係する学術イベントと書籍の告知用にしか使えていなかったので今年は何とかしたいなと思っています…が、ブログに使える時間が増える見込みもないので、大きく変えられないだろうと思います。なので、告知をするときに少しは中身のあるコメントを加えることで、多少改善できればいいかなと思っています。
 
皆さまにとって2019年が幸せな一年でありますように。幸せついでに、このブログにもときどき立ち寄ってもらえると幸甚です。
 

2018年12月2日日曜日

湯浅泰雄賞・受賞のお知らせ

タイトルにある通り、このたび、湯浅泰雄賞をいただくことになりました。昨年上梓した『生きられた〈私〉をもとめて: 身体・意識・他者』(北大路書房)に授かったものです。
 
本日(12/2)、人体科学会の大会で授賞式が開かれることになっており、私も参加すべきところではあるのですが、受賞のお知らせをいただく前に決まっていた「International Workshop on Philosophy of Psychiatry」での講演があるため、参加がかないません。そこで、授賞式でお礼のメッセージを選考委員長の大井玄先生に読み上げていただくようお願いしました。以下、このブログにも掲載することで、読者の皆さま、出版社の関係者の皆さまにもご報告致します。いろいろな形で拙著を応援してくださり、誠にありがとうございました。
 
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このたびは、拙著『生きられた私をもとめて』に湯浅泰雄賞を賜わり、誠にありがとうございます。当初、受賞のお知らせをいただいたときは、ありがたく思うと同時に、とても驚きました。といいますのも、本書は心身二元論の克服を試みるものではありますが、宗教的経験や神秘主義をできるだけ排除して、私なりの見方を提示したものだからです。湯浅先生ご本人の思想とは必ずしも折り合わない内容の書籍であるにもかかわらず、本書を湯浅賞にご推薦いただいた先生、ならびに、ご選考いただいた委員の先生方のご厚情に、改めて深く御礼申し上げます。

私が人体科学会に初めて参加したのは、1999年に中央大学で開催された大会でした。当時まだ大学院生だった私は、たんに知的な理解だけではなく、生き方や実存の問題にかかわる何かを求めて、大会に参加した記憶があります。大会ではいろいろな方にお会いしましたが、私自身は、当時の出会いをひとつのきっかけにして、自分の実存的な関心から離れない研究活動を心がけてきました。とくに、今回の著作には、それが色濃く反映されているものと思います。

今回の受賞を機に、これまでより一層、学ぶことと生きること、そして書くことが有機的につながるような学問を探求し、形にしたいと考えております。これまでと変わらぬご指導をいただければ幸いに存じます。誠にありがとうございました。
 
2018年12月2日
田中彰吾
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すでにやや懐かしい記憶になっていますが、この本を書き上げて初校にとりかかったころ、「自己」というある意味で青臭いテーマ(青年期の自分探しの延長で関心を持つ人が多そうなので)を扱っているものの、いい意味でそういう「青さ」を忘れない読者に届いて欲しいという願いを持ちました(「青い読者に届きますように」)。人体科学会のように、生き方の問題を大事にしている学会で表彰されるなら、拙著にこめられた願いがひとつかなったことになると思います。著者としていま読み直すと至らない点は多々あるのですが、これを機により多くの「青い読者」に届くといいなと願っています。
 
 
2018年12月20日・補記
先日この件で取材を受け、受賞について、東海大学のホームページで紹介していただきました。東海大学新聞の川島省子さんがインタビューをもとに記事を作成してくれました。ありがとうございます!
現代教養センターの田中彰吾教授が著書『生きられた<私>をもとめて』で第12回湯浅泰雄著作賞を受賞しました
 

2018年11月21日水曜日

12/1-2 精神病理の形而上学

今週末の質的心理学会もまだ終わっていないのですが、その次の週、12月1日・2日に、以下のイベントがあります。
 

先の7月に『精神病理の形而上学』という訳書が刊行されたのですが、その著者のピーター・ザッカー氏を招聘して二日間のシンポジウムを行うそうです。私も二日目に登壇してお話します。同書はなかなか興味深くて、精神科疾患について、いわゆる本質主義の立場でもなく、社会構成主義の立場でもなく、プラグマティズムの立場から哲学的な考察を深めようとしています。著作はややとっつきにくい感があるので、本人の講演を聞いてみると面白いかもしれません。場所は両日とも駒場18号館4F、コラボレーションルーム2です。
 
 

2018年11月15日木曜日

QOLを考える

少し前になりますが、11月1日号の東海大学新聞に記事を掲載していただきました。掲載していただいた、といいますかQOLについて夏頃に原稿依頼があったので、これも貴重な機会かなと思って寄稿しました。お題はQOLです。
 

「知の架け橋」というシリーズ記事で、今年は大学新聞に2ヶ月に1回のペースで「「QOL」を考える」というコラムが設定されています。ウェブ版の大学新聞でも同じ記事が収録されると思いますが、ちょうど来週の質的心理学会で議論するナラティヴの問題に絡めて書いたので、ここにも掲載しておきます。
 
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QOL。もちろんQuality of Lifeの略である。「生活の質」と訳される現代の重要なキーワードのひとつで、本学もまた「人々のQOL向上に資する大学」を目指している。もともと、英語の「Life」は生活、生命、人生など幅のある意味を持つ言葉なので、QOLという概念もそれが用いられる文脈に応じて多様な含意を持つ。ここでは、研究者としての筆者の立ち位置から見えるQOLのひとつの側面について、思うところを手短に述べてみる。

もともとQOLが論じられるようになった社会的背景のひとつに、医療現場の問題がある。20世紀後半は生命科学と医療技術が急速に発展し、先進国では人々の平均寿命が大幅に伸びただけでなく、がんのような難治性の疾患においても患者の生存率は着実に向上するようになった。単純に言うと、人々が生きていられる時間はそれだけ長くなったのである。このこと自体は喜ばしいが、問題は、生きている時間が長くなっても、その中身が豊かになっているとは必ずしも言えない場合もある、ということにある。だから、生きている時間の「質(quality)」が問われることになったのだ。

全身にチューブやセンサーが取り付けられ、意識不明の状態で延命が続いている重症患者を、その見た目から「スパゲティ症候群」と呼ぶことがある。このような状態でも家族は生きていて欲しいと願うかもしれないが、患者本人には生きていることの充実感を得るのは難しいだろう。生きている時間の量と質がこれほどくっきり分離して現れる状態は他にない。たんに生存が保たれている状態と、その人の生命や生活や人生が充実している状態を区別する何か、それがここで問われている「質」に他ならない。

じつは、QOLをめぐる議論が医療現場から一般社会へと広まりつつあった1980年代、心理学の世界では違った文脈で「質」が問われるようになっていた。数量化して測定できるデータをもとに人間の行動を解明することを心理学は伝統的に重視してきた(そして現在もそうである)が、数量化できない人間の主観的経験を解明しようとする「質的研究」と呼ばれる方法が勢いを持つようになったのである。質的研究にもいろいろな立場があるが、本人がみずからの経験について語る言葉をデータとして重視する傾向は共通している。とくに、重要な出来事や人生についての本人による語りは「ナラティヴ(narrative)」と呼ばれる。

たんに生きている状態と、本人がそこに何らかの積極的な意義を感じつつ生きている状態の違いを考えるうえで、ナラティヴは重要な観点を提供してくれる。フランスの哲学者リクール(1913-2005)も述べているが、人はみずからの人生を物語ることで、自己アイデンティティを見出す生き物だからである。あなたは、自分の人生について友人に語って聞かせるとしたら、どんな物語にして語るだろう。今まで生きてきた時間をどのように振り返り、今から生きる時間をどのように展望するだろう。きっとその物語は、あなた自身にとってQOLを考える大事な入口なのである。
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QOLはいろんな角度から論じることができそうですが、こうしてみるとナラティヴもQOLを考えるうえで意外に重要な切り口になりうることがわかっていただけるのではないでしょうか。
 

 

2018年11月12日月曜日

11/25 質的心理学会シンポジウム

ちょうど2週間後ですが、こういうシンポジウムに登壇します。

日本質的心理学会・第15回大会
11月24〜25日@名桜大学

シンポジウム「ナラティヴを通した他者理解―聞き手の視点と感性に注目しながら」
- 企画・司会:植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
- 話題提供者:田中彰吾(東海大学),植田嘉好子(川崎医療福祉大学),能智正博(東京大学)
- 指定討論者:西研(東京医科大学)

 企画趣旨
 ナラティヴは生の出来事についての語りや物語を指し、心理、福祉、医療などの質的研究における重要な手がかりとされてきた。ブルーナーは人間の思考様式を「論理-科学的様式」と「物語的様式」とに分類し、人々の生活の社会文化的次元や個人的豊かさを理解するうえで「物語的様式」の重要性を強調した。また医療では科学的根拠を重視するエヴィデンス・ベイスト・メディスンに対して、患者の語りや対話に基づくナラティヴ・ベイスト・メディスンが提唱されている。
 ただ、こうしたナラティヴは真空のなかに生まれるものではなく、インタビュー等の対話のなかで生じるものであり、あるいはそのようななかで聞き手によって聞き取られるものである。患者やクライエントの語りを、あるいは語られないナラティヴを、他者である私たち研究者はどのように理解し、妥当な研究データとして活用することができるのか。
私たちはこれまでにも学会の場で「ナラティヴ・セルフ」について議論してきたが、前回の議論では、次のようなテーマが浮かび上がっている。
  ①ナラティヴにおける情動や欲望の次元、
  ②語り手と聞き手の関係や相互作用、および聞き手の感性の問題、
  ③ナラティヴ分析におけるパースペクティヴと妥当性の課題
 ナラティヴを用いる実践や研究では、クライエントや研究協力者等の「他者」に対する理解が前提であり重要な目的でもある。しかしそれがどのように聞き手において実現され、第三者へと普遍化されるのか。本シンポジウムでは、上記のテーマを意識しながら田中、植田、能智が話題提供を行い、それを踏まえて現象学者の西が指定討論を行って、人間的な経験の本質に迫るルートとしてのナラティヴに関する議論を深めていきたいと考えている。
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このメンバーでシンポジウムを組むのは2回目で、昨年8月の国際理論心理学会でのシンポジウム以来になります。もっと遡ると発端は2016年7月にエンボディードアプローチ研究会で開催した「人間科学と現象学―他者の経験にアプローチする」にあります。現象学を人間科学に応用するさいには、そもそも研究者がインタビュー対象者をどのように理解できるのかが問題になります。そのとき、インタビューの聴き手と語り手の関係性に依存する次元を超えて相手を理解するには、語り手の表面的なナラティヴを超えて、ナラティヴによって構成されているアイデンティティの次元にまで迫る必要があるんじゃないか、という議論になったのでした。今回の企画も、こうした議論の延長にあります。

今回は会場が沖縄県名護市の名桜大学になります。沖縄に行くのは10年以上ぶりなので、ランドスケープの変化を目にするのも楽しみにしています。